建築遺産のlog!

世界中の建物に行けるといいな

いろいろな設計事務所(前編)

私は設計事務所をいくつか転々としてきましたが、設計事務所といってもほんとにいろいろです。

もう、そこの社長のカラーが前面に出るので、100社あったら100通りの設計事務所があります。

「組織系」と言われる一部設計事務所以外、全て小企業ですからね。そこには数々のワンマン社長たちがひしめいているのです。

 

1社目:土木設計事務所

 

最初に入ったのは土木設計事務所でした。

入社当時、どぼくの「ど」の字も知らなかったんですが、CADの講習を3ヶ月受けただけで、簡単に入れました!

まあ、今でも土木の設計なんてできないですけどね。何で入れたんでしょう…。

 

土木設計は、高速道路や、橋梁、トンネルなどの設計をします。団地などの宅地造成、いわゆる宅造なんかの設計も行います。

都心から地方まで、山の上から川底までいろんなところで設計活動をするので現地調査などは大変です。

 

真夏の日に、自衛隊基地の中のとある施設の調査に行ったこともありました。

そこでは無数の蚊が飛び回っていて入った瞬間に10か所ぐらい刺される劣悪な環境でした。

顔面がボコボコになりながら作業をようやく終了し、暑さと疲れとかゆみに耐え兼ね、ビールを飲んで帰りました。

 

その時に飲んだビールが今までで一番おいしかったかもしれません。

 

他には、光も差さない真っ暗闇の廃墟の部屋でトイレなどの寸法を測るという仕事もありました。

何があってもトイレの鏡は絶対に見ないようにしていましたね。

何か映っては行けないものが映りそうですからね。

そんな廃墟を1階、2階、3階と全ての部屋を計測して一日かけてやっと終了です。

その調査した場所は、今は超高層タワーマンションが建っています。

あのタワーマンションも廃墟の跡地だと思うと微妙な気持ちになります。

 

そんな大変な土木設計ですが、土木はとにかく儲からない業種。

給料は激安で、生きていくのがやっとの生活でした。

残業代は全く無し。ボーナスもほとんど無し。

夢も希望も無い職場だと感じました。

 

昔は橋などの花形の設計が多かったようですが、最近は電柱の地中化だとか、既存高速道路のデータ化作業だとかしょぼい設計ばっかりさせられてました。

そんななか、社長はすごくいい人で、溌溂とした体育会系の社長。

 

この人なら一生ついていこう!と一瞬は思いましたが、給料のあまりの安さと残業の多さに1年で辞めました…。

 

 

2社目:某マンション設計事務所

 

2社目は来る日も来る日もマンションの設計ばかりやっているマンション専門の設計事務所でした。

 

建築の「け」の字も知らなかったのに雇ってくれました。

当然、会社に入ってから、梁ってなーに?「スラブ」ってなんだ?民族のことか?っていう感じで最初はかなり苦労しました。

梁ぐらい分かれよ!と今は思いますが、ほんとに知らなかったんです。

 

設計してたのは誰もが知っているマンションのブランド。

マンションって間取りの設計がとても多いので、間取りを描くのが好きな人は向いていると思います。

特に最上階の部屋はだいたいハイクラスの部屋になっていて、中の想定家具の絵なんかも細かく描いたりして面白かったです。

リビングの畳数は20畳確保、寝室は小さくても絶対に10畳確保、など細かく決まっていてそれに合わせるために間取りを考える日々でした。

 

ここの社長は目立たないおじいさん社長で(給料は手渡し)、専務がほぼ会社を牛耳っていました。

専務は社長が病気になると露骨に喜びます。(社長になれるから?)

 

その専務は、なぜか会社をねぐらにしていて、

朝出社すると打合せテーブルで寝ています。

会社に風呂はもちろんないので、たまに強烈な臭いが彼の周辺からは漂っていました(*´Д`)。

社長は今にも引退しそうな感じの高齢だし、跡取りがこんな感じだったらまずいと思い、ここもやはり1年ちょっとで辞めました…。(後半へ続く)