No.241⌒★
【建築遺産のlog!】第241号
2019年4月27日
太宰府は古い歴史を持っているので、古い人々の墓が多数各地にあります。
これは菅原道真公の息子である隈麿公とされているお墓。
道真と一緒に太宰府へ下ってきて、その翌年には早くも亡くなってしまいました。いったい何があったんだ…。
隈麿公のお墓にもしっかりと梅の花が咲いていました。
お墓は大宰府政庁に背を向けて南面して建っています。
道真の娘、紅姫の供養塔。近くにある榎社の中にも、同じ紅姫の供養塔があります。
公園の一角に供養塔があるのは少し気味が悪いですよねえ。
紅姫供養塔のそばには、梅…ではなくて桜の木かな?
行き止まりの道の一番先にあるためか、公園自体はほとんど使われた形跡がなく、すべり台も木で覆われていました…。
公園は紅姫供養塔と共に朽ち果てていくようです。
菅原道真が住んでいたとされる場所に建つ、榎社。
901年に大宰府に来てから、903年にはもうすでに亡くなっているんですね。
2年で亡くなってしまったのは、大宰府という、都から比べれば僻地に追いやられてしまったのが原因なのか、隈麿公を1年で亡くしてしまったのが原因なのか、どちらなんでしょう。
絶望すると人間は死んでしまうんですね…。
榎社にも梅の花は咲いていました。
近くには高橋紹運の首塚とされる塚もあります。
1歳半の娘は、この辺りに来ると抱っこをせがみ、なぜか頑として降りようとはしませんでした('Д')
大友氏と島津氏の壮絶な戦いの後、自刃した高橋紹運の首を首実験のあと、この地に埋めたと書かれています。
本当に首が埋まっていて呪われているのか、頑なに降りるのを拒否する娘を連れてすぐに退散しました…。
小学生の頃、この近隣の町に住んでいた時は、太宰府は呪われた町だ、と小学生の間で噂されていて、人が変な亡くなり方をしたり、事故が続いたりすると、「太宰府の呪い」と言われたりしていました(あくまで小学生の間で)。
何の呪いなのかはそのころはよくわからなかったんですが、こうして少し歩いてみて、何となくそれが分かった気がします。
まあ別に太宰府市民の友達も呪われていることもなく、みんなすくすく育って行ったので、迷信ですね。
ただ、左遷された菅原道真の恨みや、数百人の城兵と共に玉砕した高橋紹運の無念の死、それらが偲べる史跡が徒歩数分以内に固まっていました…。
★auraの子育て日記(生後1歳8か月)
遠くの観光地より近くの公園?
よく、子どもと一緒に何時間もかけて自然に触れさせたり、素晴らしい建物で過ごしたりしています。
でも、行き帰りの電車や車の中では暇なのでぐずったりして大変ですよね。
それでたまに近くの公園に行くとただの広場でもただの階段でも、ただのブランコがあるだけでもかなり楽しんで満足した一日が送れたりします(*´Д`)
大変な思いをして遠くまで連れて行くのか、近くの公園で満足した子どもの顔を見るのか、いったいどちらがいいんでしょうね。
高齢者の方々に意見を聞くと、高い確率で「どうせ覚えてないんだから高い入場料とか交通費を出す必要はない」なんていう答えが返ってくるんですけど、それも違うと思いますよね。
結局どちらがいいのか分からないんですが、10連休初日は近場の公園で大満足した娘の寝顔を前にこれを書いています…。
明日は遠出する予定。 多様な経験が人間性を育むと信じて…。