No.218⌒★【鎌倉市】法華堂と偉人たちの墓地群/離乳食断食の終わりの兆し
【建築遺産のlog!】第218号
2018年8月24日
鶴岡八幡宮を少し過ぎたあたり。
この辺りはまだ観光客が徒歩でうろうろしています。
いくつかの寺社があったり行列のできる蕎麦屋があったり。住宅地も広がっていて、観光地と生活の場が混在している地域。
法華堂跡
ここは「法華堂跡」に通じている、入り口です。
法華堂跡というだけあって、建物は影も形もありませんでした。
法華堂は北条義時という鎌倉幕府2代執権だった人の墓所として建てられたと言われています。
北条義時は源頼朝に従って各地で転戦していたりしたんですが、源家が滅びたあとは執権として権力を握ったんですね。
頼朝が死んでからは、誰が実権を握るかでサバイバル状態になる鎌倉政府ですが、北条義時も和田一族を滅ぼしたりして、ようやく北条家が完全に権力を握ることができました。
そんな北条義時の法華堂跡も、源頼朝の墓のすぐそばにあります。
3代将軍で頼朝の子の実朝が殺害されて亡くなったのも北条義時の代。
義時も正統性を強調しようと、頼朝と同じ丘陵地に墓を建てたかったんでしょうか。
北条義時の法華堂跡と呼ばれる平地の先のずいぶん急な階段を上っていくと、やぐらがいくつか現れます。
この山は三浦一族の墓もあるし、一帯が墓地なんですね。
で、そのやぐらですが、右側のが大江広元で、鎌倉幕府で政所の初代別当だった、ということで歴史の試験にも出てくる人のお墓。
そして左側のやぐらは毛利季光の墓と言われていて、毛利家の祖ともいわれている人ですが、大江広元の子でもありました。
その大江広元親子の墓のさらに右隣にもやぐらがあります。
このやぐらへはしきりがあって、ここへ行くためには、急階段を一度下って、また登り直してからくる必要があります(*´Д`)。すぐそこに見えてるのに…。
このやぐらは、薩摩の島津家の祖とも言われる島津忠久の墓だとされています。
ここには、幕末に明治維新を成し遂げた長州藩と薩摩藩の祖が2人とも眠っているんですね。
ちなみに、源頼朝の墓は薩摩藩8代藩主の島津重豪が建てたものです。
いろんな人が複雑に絡み合っている墓地群でした…。
★auraの子育て日記(1歳0か月)
離乳食拒食症気味の娘ですが、最近は少し、いろいろと口にするようになりました。
バナナとか、コーンスナックとか、蒸しパンとか、牛乳寒天とか…
お菓子ばっかりですが(`´)
先が思いやられるのでこの系統のものはあまり上げないようにはします。
離乳食も少しは食べるようになってきたんですよ。
思えばここまでの道のりは長かかったです。
0ヶ月の時:粉ミルクは飲むものの母乳は飲みづらいのであまり飲まない生活
1ヶ月の時:母乳の飲み方が分かって、母乳オンリー。粉ミルク拒否。
2ヶ月:引き続き母乳オンリー
3ヶ月:引き続き母乳オンリー
4ヶ月:引き続き母乳オンリー
5ヶ月:引き続き母乳とフライング離乳食スタート
6ヶ月:母乳とわずかな離乳食
7ヶ月:母乳とわずかな離乳食
8ヶ月:母乳と少し離乳食
9ヶ月:再び母乳オンリー(離乳食断食中)
10ヶ月:母乳オンリー(離乳食断食中)
11ヶ月:母乳オンリー(離乳食断食中)
12ヶ月:母乳と少し離乳食
1歳:母乳と少し離乳食と、お菓子はいくらでも!
断食生活を挟んで離乳食も少しずつは食べるようになってきました。
外食のおかずは味付けが濃いためか、よく食べます!
もしかして、離乳食を食べない理由はただ単に味が薄いからだけなんでしょうか…。
だとしたら離乳食を食べないことはそんなに気にすることがなくて、普通食が食べられるぐらいの年齢になったら、普通にもりもり食べるんでしょうね。
ということであまり気にしないようにはしています(と、自分に言い聞かせてる)。