No.54⌒★サッカーの町、藤枝市の田中城【藤枝市】
藤枝市はサッカーが盛んな町として知られています。
サッカー強豪校として有名な藤枝東高校や(知らん…)、
後のJリーグチームの藤枝ブルックスや(アビスパ福岡になったからもういない)、
などなどで有名だそうです。
駅のずっと北の方にある白子商店街にはサッカーエース最中が売っています。
まん丸なサッカーボール型。
最中はもともと月をイメージして作られたものらしいので、
実はこの形が一番いいのかもしれません。
最中を売っている甘栄堂は普通の和菓子屋ですが、お店にはサッカー少年らしき若者も来ていました。
東京からは新幹線で静岡駅下車、そのまま東海道本線で西焼津駅まで。
西焼津から数100m歩くと、藤枝市に入り、
田中城下屋敷というところに到着します。
元々田中城にあった櫓を明治の初めにこの地に移築したこの屋敷。
物見櫓だったので背が高く、内階段も急ですがこれを当初、住宅として使っていたようです。
見た感じからして階高が高くて狭い気がします。さぞかし住みづらかったことでしょう。
住宅は、大体の場合、横に広いほうが使いやすいのです。縦に長い住宅なんてよく住んでいましたね…。
しかし
さすが物見櫓だけあって眺望だけは最高のものです。
この眺望を得るために住みづらい物見櫓に住んでいたに違いありません。
昭和60年に市に寄贈されたおかげで、
敷地内は公園として整備され、無料で散策することができます。
敷地内にある梅の季節はもう少し。
田中城はこの下屋敷からすぐのところにあった城で、
二重三重の堀に囲まれたサッカーボールのような丸い形をしています。
田中城は真ん中あたりの、ここです!徳川家にとっての重要な城、駿府城の西の要にあります。
田中城主はこの表によると、本多豊前守正寛四万石と書いてあります。
本多正重系統の、本多氏のお城です。
このお城で食べた天ぷらが原因で、徳川家康が死んだという伝説が残っているお城でもあります。
田中城があった場所は市立西益津小学校になっていました。
校内には、城と堀のミニチュアが置いてあります。
小学校の周りにも、随所に堀の跡などがあり、そこが城だったことが分かると思います。
地形は城の当時のサッカーボールの形のまま、変わってないですね…。
No.53⌒★小田原の別邸群【小田原市】清閑亭など
新装された小田原城。
からわずか100m南に行ったところに、
清閑亭があります。
「清閑」はデジタル大辞泉によると、「俗事にわずらわされず静かなこと」。
清閑亭は、豊臣秀吉の部将黒田官兵衛の子の長政から連なる福岡藩の、
最後の藩主黒田長知の長男黒田長成の別邸として建てられました。
海に近くて高台にあるので、邸からは相模湾とその先の真鶴半島まで望むことができます。
あまり車の入って来ない場所にあり、確かに俗事にわずらわされず静かに過ごせそう。
長成は貴族院議員をしていたので、東京から離れた落ち着いたこの場所を選んだんでしょうか。
入るのは無料。受付もないから入っていいのか心配になります。
内部はきれいめの数寄屋造りですね。
どうやら最近、BSの番組「百年名家」にこの建物が出たらしく、
「この戸は実は外せるんだよー」とか、にわか物知りがたくさんいらっしゃいました。
奴らは勝手に戸を外したり付けたりしてますが…(-"-)
机の、ぐるっと回す昔の電話式の呼び出しを回すと、
どこからかスタッフが現れます。
そして飲み物や軽いお菓子を注文が可能。
気持よく太陽を浴びながら、紅茶を飲みました。
さて、清閑亭は有形文化財ですが、
この近くには他にも有形文化財がいくつかあって、
上の建物は「ういろう」を売っている小西薬局の建物。
ういろうと言っても、更年期障害などに効く苦い薬のういろう。
苦い苦いういろう薬と合わせるように食べたお菓子をういろうと言ったとか、
ういろうと一緒に入ってきたお菓子がういろう薬に似ていたのでういろうと呼ばれるようになったとか、
由来はよくわかりませんが、繋がっていることは確かなようですね。
それはそうと同じ名前を付けるなー!('Д')まぎらわしい…
甘いういろうを2本買い、あまりの多さに食べきれませんでしたが…(ノД`)(賞味期限は1週間)
食べ残すと冷蔵庫でどんどん固くなっていく、ういろう。
そういえば、冷蔵庫に入れると固くなるとか店員さんがごにょごにょ言ってた気がしますが、名前を言ってはいけない虫Gに食べられるよりはいいですね。
ういろう屋からさらに100mほど海へ向かったところには
小田原文学館があります。
小田原は温暖な気候なので文学者が多数居住しました、と書いてあります(HPに)。
鎌倉も文学者が多数いることで知られていますね。
文章を書くには南の、海に近い温和な地域が適しているのです、きっと(東京にも近くて電車1本で行ける)。
ぼくも、小田原にくれば素晴らしい文章が書けるようになるんでしょうか…。
小田原に来れば素晴らしい文章がかけるのか、素晴らしい文章が書けるから小田原に来るのか。後者のような気もします。
裏へ回れば広い庭にベンチが置いてあり、のんびりと過ごすことができます。
スペインから直輸入したというスパニッシュ瓦とサンルーム。
屋上にパーゴラが見えますね。
デザインはごてごてとしたものではなく、さっぱりとしたものです。
ここは政治家の田中光顕(宮内大臣など)の別邸で1937年に建てられました。
田中光顕は1939年に亡くなりました。わずか2年しかいなかった上に、亡くなったのは静岡県蒲原町の別荘でした。
この頃の政治家はいっぱい別荘を持ってるんですね…。
いまじゃあ、新幹線であっという間に行ける小田原ですが、当時は俗事から離れられる、ショートトリップの先にあったのです。
No.52⌒★千葉市南部の建造物【千葉市】大巌寺、ホキ美術館
千葉モノレールからは離れ、JR本千葉駅→蘇我駅まで電車で移動。
そこから徒歩で約1㎞、坂道や曲がり角をたくさんこなすと
淑徳大学の先に大巌寺があります。
広い寺内ですが、持っていた多くの土地が今や淑徳大学の敷地になっています。
いったい昔はどれだけ広かったことでしょう。
大巌寺の開基はこの付近に勢力を持っていた千葉氏四天王のひとりの原胤栄夫妻(夫妻?)、
開山は道譽貞把上人です。
世界大百科事典によると、
開山と開基は同義語的に用いられるが、寺院の創建に尽力した資主を開基とよび,その開創の僧を開山とよんで区別している、だそうです。
金を出した原胤栄夫妻が開基、開いた僧の道譽貞把上人が開山ですね。
無理やりスロープが付けられた大巌寺本堂。
お寺といえどもバリアフリーを考えなければならない高齢化社会なのです。
正面の唐破風が、形といい色合いといい、とても美しいものです。
その下にアルミサッシが、横一列にビシィッと並んでいるのは、少し残念ですね。
お寺といえども隙間風を無くすアルミサッシを考えなければならない超高齢化社会なのです。
ちなみにこのお寺は国登録有形文化財。
なんでしょう、金属屋根にアルミサッシという組み合わせで、あまり有り難い感じはしません。
ただ、屋根などの形は他には変えられないものを感じるので、それで有形文化財に登録となったんでしょうか。
元は江戸末期に建てられたものだそうですが、その改修のために陳腐なものになってしまいました。
大巌寺の近くには高貴そうな猫がただぽつんと座っていました(シャム?)。
近づいても逃げず
媚びを売ることもなく
ただぽつんと座っています(顔だけ警戒してる)。
土気駅からはまた1㎞ぐらい、今度は住宅地の中を歩いて行きます。
そこにあるのは有名なホキ美術館!
知らない人の車がいい感じに停まっています。
右にある鉄筋の針の山は壁代わりです。
街からかなり離れている割に、入館料が高過ぎる割に(1800円)、たくさんの人が入っていくのは驚きでした。
それにしてもこの町外れで1800円の入館料は高過ぎでしょう。
この異様に建設費の高い建物(40億円)の資金回収だとしか思えません。
ホキ美術館はこの長い箱が2列に並んで建てられていて(2列3段?)、一筆書きにぐるぐると地下2階まで歩いて回れます。
片持ち(キャンチ)の構造で、最大30m飛び出しているそうです。
ギャラリー1の企画展から始まり、地下2階のギャラリー9まで、結構なボリュームがあり、そのすべてが写実画の作品です。
写真のような風景、
写真のような人、
写真のような動物、
写真のような裸婦(/ω\)
内部写真は撮れないのでぐるぐると外観を撮るしかないですね。
右上の箱がエントランスの箱、左上がギャラリー1、左下へ移ってギャラリー2、右下のギャラリー3と繋がっていきます。
それにしても長い建物で、作品を見回るのは疲れると思います。
あながち、1800円は間違っていない、妥当な値段だったのかもしれません…。
No.51⌒★歴史的建造物を包み込む美術館【千葉市】さや堂ホール
千葉市は人口約97万人。
さて、この街はいつの日か100万人に達することがあるんでしょうか…。
プレ100万都市の巨大ターミナル駅千葉駅から、千葉モノレールに乗り換えます。
鎌倉の湘南モノレールと同じく、
鉄骨の真ん中に穴が空いていてそこにモノレールの突起を差し込む
サフェージュ式モノレールです。
モノレールの中では、長さは大阪モノレールに次いで、日本2位の長さで営業しています。
↑湘南モノレールの回
敷地が広い分、湘南モノレールよりも美しい千葉モノレール。
湘南モノレールにはないこの曲線美!
湘南モノレールは土地のない狭い鎌倉をがんばって走っているのです。
終点の県庁前駅は近未来的なデザインになっています。
終点の県庁前駅ではなく葭川公園駅で降りて5分ほど歩いたところにある
千葉市中央区役所と千葉市美術館の複合ビル。
大谷幸夫氏の設計で、1995年に竣工しました。
この建物の外側に大きな柱がたくさん立っているのは…
新しいビルの中に包み込むように古い建物を収容しているからです。
サッシのために歴史的建造物が途中で切断されていますね。
門の前に書いてある説明書きによると、
この建物は、旧川崎銀行千葉支店で、
ネオルネッサンス様式をもつ建造物で、
美術館・区役所の建設にあたり、鞘堂方式により「さや堂ホール」として保存・再生された、と書かれています。
刀の鞘のように、古い建物をすっぽり覆うように建てた方式なんだと思われます。
その、
旧川崎銀行の「さや堂ホール」は美術館側から中に自由に入ることができますが、たまにイベントなどで入ることができません。
2回目に行ったときはイベントもしてないのになぜか入れない、
気まぐれオープンのさや堂ホール…。
このホールは、さや堂ホールと言っているものの、鞘ではなくて、刀の方だと思います。(さやえんどうだと、豆の方)
さやに包まれたホール、という意味でしょうか。
銀行というより迎賓館のような雰囲気。
2階のバルコニー状の通路が通っています。銀行には必要のないスペースだと思うんですが、昔の銀行はなぜかこういう形式の建物が多いですね。
建築されたのは1927年、関東大震災の4年後のことでした。
関東大震災は千葉県をも襲い、千葉市の震度は5以上、すぐ南の房総半島では震度7が推定され、死者も多数出ています。
そのため、この建物の前身の旧建物も焼失してしまいました。
新しいビルの方の最上階のテナント区画は、
少し町から離れた地域にあることもあって、半分の区画は無人になっています。
1995年築ということで一時代前のようなデザインをしています。バブル前後にこういうテイストの建物はたくさん見かけます。
最上階のもう半分の区画はレストラン。
洋風レストランで、魚料理はとてもおいしかったのですが、
ご飯はパサパサですね( ˙-˙ )。
洋食のお店だからご飯にまで気が回らなかったのか、たまたま今日だけなのか…。
ただ、素晴らしい眺望と、折り紙のような形の照明が付いているのを店内から眺めることができます。
刀の鞘にも装飾があるように、この照明も、鞘を彩る装飾なのです。
No.50⌒★廃墟寸前のレーモンドのクラブハウス【藤沢市】
遊行寺の周りは東海道・藤沢宿のいわゆる宿場町となっています。
宿場町らしい建物もちらほらあります。
江戸時代ではなく、明治時代の建物です。軒が蛇腹状の軒蛇腹(2階の軒が斜め)。
古い町なので寺社もあります。
感応院、の中にある三島大明神。
静岡県三島市の三嶋大社と同じ、みしまという名前を使っています。
源頼朝は、三嶋大社に源氏再興を祈願し、実際にそれを果たしました。
この感応院は1218年、鎌倉幕府成立後の創建。
つまり源頼朝と同じ時期に建てられたもので、場所も鎌倉の隣。
頼朝は東海道の抑えとして、信頼でき実績もある神を呼び寄せたんでしょうか。
このお堂は建物全体が回転することで有名です(基礎が少し浮いてる)。
チベット仏教のマニ車は経文が書かれた円筒形のものを手で回しながら建物の回りもぐるぐると右回り(時計回り)に回って行きますね。
奈良の大仏の周りも、右回りに回って拝観します。
四国88カ所霊場巡りも右回りに準繰りに回って行きます。
仏教関連はどうも、右回りのものが多いみたいです。
そもそも人間には無意識のうちに左回り(反時計回り)に動いて行くことが多いと聞きます。400m走などの陸上競技は左回り、コンビニなどの店の作り方も多くは左回り。
左回りは人間に無意識的に働きかける回り方なので、安心感が出ます。
逆に、右回りはそれとは逆に進むので何らかの「意識」が働くのです。
…というわけでこのお堂は右回しに回すといいですね。
悟りか何かを開けることでしょう。
残念なことに、いたずらが多いためか回せなくなってますが…。
少し、北へ上って、小田急江ノ島線の善行駅までやってきました。
レーモンド設計の旧藤沢カントリー倶楽部クラブハウス。
名前の通り、
昔はこの辺りはゴルフ場だったようですが、
今は体育館、競技場などの運動施設が周りをとり囲んでいます。
外壁は非常にぼろぼろ。
メンテナンスなんて一度もされてないんでしょう。
静かに取り壊されるのを待っているといった姿にも見えます。
再生される日は来るんでしょうか。
入るとすぐに大階段があり、
食堂「玉屋食堂」
へと通じています。
ゴルフ場と言えば、重要なのが食堂(*‘∀‘)
ゴルフのハーフを回った後の休憩の1杯!
ゴルフが全て終わった後の1杯!
これを楽しみに来ている人も多いことでしょう(ゴルフは1度しかやったことないけどあの時のビールは格別だった)。
食堂は元クラブハウスだけあって広く、意外に賑わっていました。
美しい梁と屋根のラインが見えます。
大空間を作るための門型の太い柱と梁です。
右のカウンターでお金を払ってあとは呼び出されるのを座って待ちます。
しかし!残念ながら、今月(2017年1月)で閉店してしまうのです。
50年もの長い間営業してきて、僕がこの食堂の存在を知ったのは49年と12か月が経過した頃…。
初めて入った日が最後に食べた日になってしまいました。
さて、建物があれなので気になるのは味と衛生状態。
懐かしい銀色のトレイに乗ってやってきたカツ丼は……
建物の衛生状態はよくわかりません。
汚いかも…。
味は、少し塩気が効きすぎたかつ丼でした。
とにかくボリュームがすごくて、スポーツをする若者たちが集まってくるのも納得できます。
昔も今も、スポーツで汗を流した後の食事を提供しているのです。
いささか、塩気が多いのはそのせいなのかもしれません。
No.49⌒★時宗の総本山遊行寺【藤沢市】
藤沢駅へやってきました。
藤沢駅には改札を出てすぐのJR施設内に、朝(AM7〜)から飲めるバーがあって飲みたい気持ちを抑えるのにいつも苦労します。
幸いなことに見かけた時はいつも満席なので入らずに済みますが、空席だと瞬く間に入って呑んでしまうことでしょう(藤沢の改札は危険)。
…という素晴らしい駅、藤沢駅からは北に700m歩いて(もしくはバス)行くと、遊行寺があります。
時宗と言えば、
一遍(上人)。
一遍と言えば、
踊り念仏!
時宗=一遍=踊り念仏が試験に出るポイントでした(そして一切出なかった)。
育鵬社版「中学校新しい日本の歴史」によると、
「平安時代末から続いた社会不安は、人々の極楽浄土へのあこがれを強めました。」
とあり、さらに浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗の鎌倉時代の6宗教の説明に入ります。
時宗の一遍とか、日蓮宗の日蓮は、全く試験に出ませんでしたね。簡単すぎて。
出るのはたいてい臨済宗の栄西や曹洞宗の道元などの覚えにくい間違えやすい登場人物たちだったのです。
念仏を唱えれば極楽浄土に行けるという浄土宗。
題目を唱えれば救われるという日蓮宗。
そんな中で、踊りながら南無阿弥陀仏を唱え極楽浄土に行こうという時宗も生まれました。
念仏を唱えるだけで、題目を唱えるだけで、浄土に行ける、という庶民にも分かりやすい宗教が出てきた時代なのです。
梅の花が咲き始めている、遊行寺(1月初旬)。
一遍の別名が遊行上人。
遊行とは、僧侶が諸国を巡り歩くことを言い、実際に一遍は諸国を巡り歩き、その挙句に過労で亡くなりました。
遊びに行ってたわけではないんですね…。
遊行寺には計10もの国登録有形文化財があり、写真に見えるのはその一つの御番方です。
小ぶりな唐破風と千鳥破風の玄関。
放生池と、信徒会館。
寺の境内には、仮設レベルの小屋があって、土日のお昼だけカフェとしてオープンしています。
雨の日は休み、と書かれている、やる気の感じられないカフェです。
騒がしい店内。
床は石+土。
壁はビニールと簾。
屋根は波板屋根(ポリカーボネート製の透けるやつ)。
この店の断熱性はゼロに近いですが、盛大に石油ヒーターと石油ストーブが炊かれていて、どこよりも暖かいです!
夏は直射日光でさぞかし暑いことでしょう。冬は天国です。
何てことのないふつうのうどんが出てきました。
暖房とうどんで急速に暖まります。
No.48⌒★整備がいまいちの岡田記念館【栃木市】
栃木駅からずっと北上して行った先には、
国選定重要伝統的建造物群保存地区の栃木市嘉右衛門町伝統的建造物群保存地区が有ります!
黒い、黒いよ。上の行だけ真っ黒…。
重伝建地区、もしくは単に伝建でも通じると思うので、
嘉右衛門町の重伝建地区ですね。
建造物単体での保護ではなく、地域を一括して保護してしまおう、という制度です。
日曜の昼過ぎなのに、誰一人いない栃木市嘉右衛門町伝統的建造物群保存地区!
重伝建地区の多くはこんな感じで、一体何がしたいのかよくわからないところがあります。
民家が多いので、あまり観光客には来てほしくないんでしょうね。
重伝建地区最初に現れる、舘野家住宅。
国登録有形文化財。
総2階建にベランダをくりぬいた変わった形式です。
伝建地区中央部には、岡田記念館というところがあったので入ってみました。
入場料を800円取られ、
饒舌な受付のおばさんの話を延々と聞かされることでしょう。(逃れるのは不可)
それはそうと、岡田記念館というのはこの汚い建物群のことでしょうか(´Д`)?
800円…
中学校の友達の八尋くんちの農家の家がまさしくこんな感じでした。
今にも崩れ落ちそうな日本家屋、掃除されてない雑然とした庭…。
嫌な予感が漂いますが、一応回ってみます。
岡田記念館は展示室がいくつかに分かれています。
古道具を置いてある展示室とか、壺とか、漆器とか武具とか。
これらが一体どのような価値があるのかは分りませんが、
ただ、ただ、説明も無しに雑然と置いてあったり、貼ってあったりします。
手に取れる位置にあるので、価値としてはそれほどないのでは?と思ったりします。
その中でも、この龍の絵はとても立派なものです。4畳分もある、大作です。
龍の爪は3本。
右側の龍。ふた部屋にまたがって置いてあります。
表玄関はこちらですね。敷地の最奥にひっそりとありました。式台もある格式ある入口です。
例幣使様もこちらから入ったんでしょうか。
そして、
見どころは、
以上になります(;´Д`)。
800円にしては物足りない内容…
いささか残念な気持ちで帰りかけると、
受付の饒舌なおばさんから、別館の方も行ってくださいね、との声が。
どうやら別館もあるようです。
改めまして、別邸の「翁島」です。
土嚢が少しあれですが、落ち着いたエントランス。
少し街道からそれていて、敷地は本邸よりも広いかもしれません。
ふたつ合わせて、800円なんですね。
建物は本館よりかなり立派なものです。
少し背の高めの2階建。
下見板張りの木造家屋。
こちらも饒舌なスタッフが隅々まで案内してくれます。親戚かな…?
別邸なのに、豪華なつくり。
それひとつで家が建つという銘木の何々などお金がかけられています。
翁島は広く、庭に竹林や池が広がっていました。
この別邸翁島は、有形文化財に登録されていますが、本邸の方は無印です。
でも面白いのは本邸の方ですね、いろんな意味で…。