No.214⌒★【鎌倉市】独占できる庭、華頂宮邸/赤ちゃんの11か月半革命
【建築遺産のlog!】第214号
2018年8月7日
鎌倉霊園から鎌倉方面へ、観光客がどんどん吸い込まれていく報国寺を素通りして奥の方へ行くと、旧華頂宮邸の建物が見えてきました。
車のロータリーのある、玄関の方から敷地へ入って行きます。
観光客は、手前の報国寺へ吸い込まれていくばっかりで、この華頂宮邸には誰も行こうとしないのが不思議ですね。
華頂宮邸は旧華頂家住宅主屋として国の登録有形文化財となっています。
華頂家は、明治時代に宮家となった家で、その3代博恭王の3男博信王が昭和4年にこの家を建てました。
博信王は侯爵なので、華頂宮邸ではなくてほんとうは華頂侯爵邸ですが、普通は華頂宮邸と呼ばれているようです。
玄関からぐるっと庭の方へやってきました。
途中、お金を入れる箱があって、100円だか300円だかを納めて行きます(記憶があやふやだが、いくらでも良かったかも)
観光客が来ない理由がここまで来て分かりました。
邸宅の中には入れないので、庭を眺めるしかないんですね…。
華頂宮邸には、庭師のおじさんが一生懸命庭いじりをしている他は、人の気配が全くありませんでした。
というわけで!やってきたのは華頂宮邸の一般公開デー。(たしか10月頃)
いや、人いっぱいいすぎでしょう…。どこから現れたんでしょうか。
みなさん、中に入れないとなると来ないんですね…。
ベランダからみた庭。左右に山が広がって、正面は空が広がっているという末広がりの土地、末広がりの空でとてもいい地形に邸宅は建てられています。
誰もいなかったお庭にも、たくさんの人がいました。
華頂宮邸は天井やそこに付く電燈を見比べてみたり、それなりに楽しめる建物だと思います。
唯一の和室も小ぶりながら、あります。
天井はどの部屋も見ごたえがありますね。
一般公開デーではなくても大丈夫。
借景付きの美しい庭は存分に楽しめると思います。バラの季節と紅葉の季節は少し混むのかもしれませんが、ほとんどの季節は閑散としていて、そこを訪れた時間、ここは自分だけの庭になります。
かつては水を吐き出していただろう、ライオンのブロンズ像。
華頂邸の主であった華頂博信侯爵は、昭和45年に亡くなりました。
その後、平成に入って鎌倉市が建物を取得し、今に至ります。
少し建物の傷みは感じさせながらも、美しく建ち続けていました。
★auraの子育て日記
赤ちゃんの11か月半革命!の話
最近、急速にしゃべることのできる言葉が増えてきました。
「どうぞ」とか、「いないいない、だー」とか、「はーい」とか…。
まあ、その程度なんですが、2言でも3言でもしゃべることができると、わずかながら会話が成立します。
「ご飯食べるひとー?」「はーい」
「ご飯食べないひとー?」「はーい」←なんにでもはーいと答える…
最近は、ゴミとかおもちゃとかを延々と手渡しされ、「どーぞ」と言われています。それに対して「ありがとう」と返すのを延々とやっているんですが、モンテッソーリ教育の教えによると、これは彼女の「お仕事」なので、めんどくさがらず、何度でも「ありがとう」と返してあげないと行けません(たぶん)。
それから急激に笑う回数が増えてきました。
後ろから勢いよく追いかけた時、こっちに行くと見せかけてあっちに行ってみたり、などの時によく笑います。
ここ1週間ぐらいの間に笑う回数は数十倍に増えたと思います。
それから、前に子ども広場で出会ったお母さんの話によると、1歳前の3週間ぐらいの間に、これまた急速に歩けるようになったそうです。
何となくこのころ(11か月~1歳)ぐらいの間に爆発的な変化が多いように思えます。
2か月革命、9か月革命とありますが、11か月も入れていいんじゃないでしょうか。
そう思うほどの変化で、ますます元気ッズぶりに拍車が掛かっていて、両親は疲弊しています。自分の時間が全然取れません…。