No.193⌒★【横浜市金沢区】北条氏の夢の跡、称名寺
【建築遺産のlog!】第193号
2018年5月8日
金沢区は横浜市の中で最も南にあります。
この前、金沢区の地元の子供たちも、「自転車じゃ、横浜まで絶対行けないね…」と嘆いていました。
やっぱり、みんな横浜に遊びに行きたいんですね…。(横浜駅までは17㎞)
金沢区のあるあたりは昔から、荘園として私有地になっていたり、北条家の別荘があったり、金沢八景として観光地となったり、どこか世間から隔絶されたような歴史を辿っています。
北条時代を代表するスポットは、称名寺。
観光ボランティアのおじさんたちがたくさん集まって世間話をしている門を入っていくと池があって、
池の周りには何人かの人が座って、絵を描いていました。のんびりとした空間です。
門は軒唐破風もあって、立派な門です。
鎌倉幕府の5代執権北条時頼(「引付衆の設置」で習ったかも)の頃の人物で北条実時という人物が、この称名寺を開基したと言われています。
北条実時は称名寺の隣に現在も県立の施設として残っている金沢文庫を建てた人でもあり、金沢区の超重要人物です。
称名寺は山号は金沢山(きんたくさん)と名乗っています。まったくそのまんまの名前ですね…。
現在も称名寺の地名は金沢区金沢で、実質上現在も金沢区の中心地になっています。
広い池は浄土式庭園として造られました。
美しい(美しかった?)金沢八景もある風光明媚な(だった?)土地に、極楽浄土を造り上げようとしたんですね。
現在ある池は復元された池。橋も復元されたもので、反橋と平橋というそうです。
池の先にある建物なども再建されたものが多くて、古くても江戸時代までの建物でした。
鎌倉時代の建物は残っていないため称名寺は全体が国指定の史跡とされています。
ただ、絵画や文書などは国宝含めたくさん残っていて、隣の金沢文庫に残されています。
平橋の下には鯉と亀がたくさんいて(キモい…)、訪れた人たちも多くはそこに集まっていました。
橋や建物なんかよりも、鯉や亀の方が人気があります…。
左が金堂(1681年再建)、右が釈迦堂(1862年竣工)。
釈迦堂は頂部に北条氏の家紋「三つ鱗」がデザインされています。
三つ鱗は子孫繁栄を願った北条氏の元に大蛇が現れ、その蛇が3枚の鱗を落としていった故事によるようです。
鱗って実際は四角とか五角形じゃないのー?という疑問はともかくとして、三角形は太古の昔から神聖な形として存在してきたようです。
北条早雲から始まる、後北条家もこの三つ鱗を家紋として使いました。
★auraの子育て日記(生後8か月半)
突発性発疹の話
娘は、風邪と突発性発疹の複合型の病気をもらってきて、ゴールデンウィークは半分以上がそれの対応で過ぎて行きました。
4月に入園して以来、病気をもらってきたのはすでに2回目。
いったい保育園はどれだけ病気が蔓延しているんだ( `ー´)
夏のような陽気の4月に2回も病気になるということは、冬はいったいどうなるんだ( `ー´)
突発性発疹は1歳までぐらいの時期に起こる、39度前後の熱が出るのに本人は元気なままという不思議な病気ですが、たまに風邪と一緒になってしまって重症化するそうです。
熱のせいで、一日中ぐったりしていて寝てる娘。
本人は何も言葉をしゃべれないのでよくわかりませんが、おそらく頭痛と吐き気の症状があるようです(高い高いをすると泣く)。
そのため、保育園でせっかく習慣化した、離乳食をたくさん食べる日常生活を忘れたようで、離乳食を全く食べなくなりました(;´Д`)
離乳食は振り出しに戻る、です。