No.92⌒★藤村晩年の庵【大磯町】
鴫(しぎ)はもういない鴫立庵から、少し海から遠ざかったところに、
島崎藤村の旧居
があります。
住宅が密集した一角にあって、海は見えません。
島崎藤村は詩人として、また小説家として「破戒」などの作品を出しました。
被差別部落に生まれ、生涯そのことを隠し通すようにとの父よりの戒めと、部落出身だろうと周りから言われる圧力の間で苦しむ瀬川丑松の物語ですが、
「穢多」などの用語が出てくるので、
その作品自体も差別的だという批判とその逆の評価の間で揺れ動くものになっています。
この藤村旧居は、妻が亡くなり、
姪のこま子との許されぬ愛(その後フランスに逃亡)が勃発し、
さらに再婚し、という人生を送った島崎藤村が最晩年の2年間だけ住んだ家で、余生を送った家です。(71歳で死去)
藤村は実際の人生でも小説並に波乱万丈な人生を送っているんですね…( 'ω' ;)
「こま子との愛が再燃」なんていう出来事もあります。
波乱万丈な藤村はシンプルな部屋に住んでいました。
天井の目地がずれているが気になりますが、他は特に気になるところはなし。
部屋内には入れず、外から眺めるのみになります。
小さい庭。
大まかには植栽など当時のままなようです。
藤村はこの家に2年住んで亡くなりましたが、
近くの地福寺に、
藤村の墓
が残っています。
建築家の谷口吉生氏の父、谷口吉郎氏によって設計されました。建立したのは1949年昭和24年のことでした。
島崎藤村が亡くなったのは1943年の戦時中のことだったので改めて建立したのかもしれません。
幅に対して細い墓石でシャープな美しい墓です。
隣には一回り小さな、再婚した妻、静子さんの墓があります。
こういう時、早くに亡くなった最初の奥さんはどうなるんでしょう…。
藤村旧居やそのお墓がある大磯駅周辺から西へ、バスに乗って城山公園までやってきました。
ここには広い公園と郷土資料館がありますが、
最近、この公園の隣に、
吉田茂邸エリア
が新規OPENしました。
城山公園は、庭園は水が汚く、
見晴台は酔っ払いが占拠していたり、
見るべきところは少ないですが、城山というだけあって小高い山を生かした木々に囲まれる公園になっています。
それに対して吉田茂邸エリアは見るべきところはたくさんあります。
屋根に曲線状の切り欠きがあったから兜門…
…の切り欠きは門の裏を見ないと分かりません。その兜門から入場。
きれいに整備された庭園ですが、水質は最悪。
OPENしたばっかりじゃないの…?( 'ω' ;)
汚い水の城山公園と管理者が一緒なんですかね…今は美しい吉田茂邸エリアですが、いつか城山公園と同じくあまりきれいでない公園になって行くのかと思うと残念です。