No.94⌒★巨大寺社集積する大須観音ゾーン【名古屋市中区】
名古屋は行きたくない街ナンバー1、とか
観光するところがないと散々に言われてるから、そんなものかな、と思ってました。
名古屋の人が、知人を名古屋観光案内していて、「名古屋はこんなものしかないんです、すみません」と謝ってる姿も見ました。
名古屋に名古屋城とレゴランド以外に行くところはあるんでしょうか。
名古屋駅で降りたら、
まずドニチエコきっぷを買いましょう(必須)。
土日は600円で地下鉄と市バスに乗り放題。
平日は850円で乗り放題。(祝日は調べてね)。
平日なのにドニチエコきっぷという名前なのかは、調べてません…。
地下鉄が1回200円はかかるので、3回も乗ればお得だということになります。
きっぷを買ったら、地下鉄東山線に乗車します。
ちなみに、名古屋~栄駅間の東山線は信じられないほどの混雑ぶりです。
栄から出ている山手線みたいな環状線、地下鉄名城線もかなり混雑(GWだから?)。
でも、町なかに出てみたら東京ほど人はいなくて閑散としているし、観光地の行列も大したことないし、名古屋駅と栄駅周辺だけのあの、人の集中ぶりはいったい何なんでしょう。
まずは地味なところから回ります。
降りられないほど人の多い地下鉄の列車から何とか降りて、伏見駅で乗り換え。大須観音駅下車。
大須観音駅というだけあって
大須観音
が近くに建っています。
じゃらんによる、愛知の神社・神宮・寺社ランキングでは熱田神宮、豊川稲荷に次いで3位に位置するお寺です、が、
全然知りませんねえ…(´_ゝ`)
2位の豊川稲荷も知りません。本当に有名なんでしょうか…。
大須観音は日本三大観音の一つ、そしてその経蔵は日本三経蔵の一つでもあるそうです。
その近くに
本願寺の西別院
がありますが、
その姿はインド風。
思えば、築地の本願寺もインド風のデザインでした…。
築地の本願寺と比べると、こざっぱりしています。
普通の建物にインドらしいものを乗せただけ、という気もします。
本家(?)築地本願寺の伊東忠太の名作建築には敵わない出来栄えですね。
広い堂内。椅子が並べられていて、椅子の後ろに賽銭箱があるのも築地本願寺風です。
この辺りは寺街となっていて、
崇覚寺(そうがくじ)
もそのひとつ。
植物がたくさんあってとにかく美しい境内。
境内は表通りと裏通りの通り道のようになっていて、
その通路が植物のトンネルになっている、こじんまりとしたお寺です。
境内が美しすぎて、国登録有形文化財となっている、本堂にあまり目がいかないお寺ですね( 'ω' ;)。
写真には写りませんがユスリカがこんもりと丸くなって、たくさん飛び回っています。
名古屋市の中心部ですが、植物にとっても虫にも人にも、ここはオアシスになっています。
No.93⌒★再建新築吉田茂邸【大磯町】
池の向こうに見えるのが、新築された吉田茂邸。
この心字池を中心とした
池泉回遊式の庭園
になっています。
その、中心の肝心の池は、茶色ににごって汚れきっています…(;´Д`)。池以外はきれいですよ、何せ新装した公園なので。
庭園自体は中島健という人の設計です。
お堂の向こうに見えるのが、新築された吉田茂邸。
お堂は七賢堂と呼ばれ、七賢とは岩倉具視・大久保利通・三条実美・木戸孝允・伊藤博文・西園寺公望・吉田茂のことだそうです。
吉田茂像の向こうに見えるのが、大磯の長いロングロングビーチ。
像は大磯の海を見ず、自邸も見ず、遠く遠く平和条約を結んだサンフランシスコを向いています。
美しい庭の向こうに見えるのが、
吉田茂邸。
公園の入場料は無料ですが、吉田茂邸は500円の入館料がかかります。
総理大臣になったのが、1946年。つまりこの家は吉田茂が頂点に上り詰めたその頃に建てられ、日本の戦後を支えて来た家でもあります。
その後、火災により吉田茂邸は焼失、2017年の4月に一部を再建した形で旧吉田茂邸としてOPENしました。
吉田茂って、高度成長期の人だったか、安保の頃の人だったか、と思ったら戦後すぐの人だったんですね。
この公園を訪れる人たちは、ある一定の年齢層の人たちがほとんどです。
リアルタイムじゃなくても親世代あたりから、吉田茂のことを聞かされて育ってきた世代の方がたくさんやって来ていました。
食堂。
ここは広い庭園が一望できる一等地です。
食堂の壁は柔らかいビニール地になっています。
天井に透明の防煙の垂れ壁みたいなものも設けられていますね。住宅というより博物館などの用途でしょうか。
火災報知機もエレベーターも完全装備。安全性、バリアフリー度は増していますが、その分どこまで忠実に再現してあるのか分かりにくいところもあります。
バリアフリー法は時として、文化を破壊します。
2階の金の間は寄棟みたいな舟形天井。金色の目地、ナチュラルブラウンの木材。
非常照明などは目障りです。
襖引手は金色、金箔を散りばめています。
その隣の銀の間は平天井。銀色の天井、続き間なので床材は同じ。
金の間と銀の間の間は下がり天井になっていて、天井仕上げを切り替えています。
襖は銀箔を散りばめていますが、引手は真っ黒です('Д')。
銀色じゃないんだ…。
金の間、銀の間のある新館は吉田五十八による設計です。
掛かっている額は、
人々の知識を開いて世の中の事業を成就させることの意味、
それでもって東大合格者数が最も多い、開成高校の名前の元ともなった言葉、「開物成務」と書いているのだと思います。
ちなみに、設計の吉田五十八は開成中学校の卒業、施主の吉田茂は開成学園とは無関係の人物です。
まさか、自分の学校の言葉を吉田五十八がここに掲げたんでしょうか…。
吉田茂はサンフランシスコ平和条約という、世の中の事業は成功させましたが、
バカヤローの一言などで、支持を失っていきこの家の求心力も無くなっていったのです…。
No.92⌒★藤村晩年の庵【大磯町】
鴫(しぎ)はもういない鴫立庵から、少し海から遠ざかったところに、
島崎藤村の旧居
があります。
住宅が密集した一角にあって、海は見えません。
島崎藤村は詩人として、また小説家として「破戒」などの作品を出しました。
被差別部落に生まれ、生涯そのことを隠し通すようにとの父よりの戒めと、部落出身だろうと周りから言われる圧力の間で苦しむ瀬川丑松の物語ですが、
「穢多」などの用語が出てくるので、
その作品自体も差別的だという批判とその逆の評価の間で揺れ動くものになっています。
この藤村旧居は、妻が亡くなり、
姪のこま子との許されぬ愛(その後フランスに逃亡)が勃発し、
さらに再婚し、という人生を送った島崎藤村が最晩年の2年間だけ住んだ家で、余生を送った家です。(71歳で死去)
藤村は実際の人生でも小説並に波乱万丈な人生を送っているんですね…( 'ω' ;)
「こま子との愛が再燃」なんていう出来事もあります。
波乱万丈な藤村はシンプルな部屋に住んでいました。
天井の目地がずれているが気になりますが、他は特に気になるところはなし。
部屋内には入れず、外から眺めるのみになります。
小さい庭。
大まかには植栽など当時のままなようです。
藤村はこの家に2年住んで亡くなりましたが、
近くの地福寺に、
藤村の墓
が残っています。
建築家の谷口吉生氏の父、谷口吉郎氏によって設計されました。建立したのは1949年昭和24年のことでした。
島崎藤村が亡くなったのは1943年の戦時中のことだったので改めて建立したのかもしれません。
幅に対して細い墓石でシャープな美しい墓です。
隣には一回り小さな、再婚した妻、静子さんの墓があります。
こういう時、早くに亡くなった最初の奥さんはどうなるんでしょう…。
藤村旧居やそのお墓がある大磯駅周辺から西へ、バスに乗って城山公園までやってきました。
ここには広い公園と郷土資料館がありますが、
最近、この公園の隣に、
吉田茂邸エリア
が新規OPENしました。
城山公園は、庭園は水が汚く、
見晴台は酔っ払いが占拠していたり、
見るべきところは少ないですが、城山というだけあって小高い山を生かした木々に囲まれる公園になっています。
それに対して吉田茂邸エリアは見るべきところはたくさんあります。
屋根に曲線状の切り欠きがあったから兜門…
…の切り欠きは門の裏を見ないと分かりません。その兜門から入場。
きれいに整備された庭園ですが、水質は最悪。
OPENしたばっかりじゃないの…?( 'ω' ;)
汚い水の城山公園と管理者が一緒なんですかね…今は美しい吉田茂邸エリアですが、いつか城山公園と同じくあまりきれいでない公園になって行くのかと思うと残念です。
No.91⌒★鴫飛んだロングビーチ【大磯町】
湘南発祥の地
だという、大磯に来ています。
この看板を見ても、何がどうやって「湘南」が発祥したのか、全くわかりませんでしたが…(;´Д`)
分かったのは、中国の湖南省に湘南というところがあったということだけです。あとは解読できず。
とにかく湘南がここで発祥してしまったようです。
全長6㎞にも及ぶ、まさに大磯のロングビーチの海岸線を擁する大磯は湘南の中心地と言ってもいい場所ではあります。
どこまでもどこまでも続く海岸線…。
茅ヶ崎や江の島から遠いここは、サーフィンではなく、釣りの人の方が多いようです。
大磯駅前には、
大磯迎賓館
と呼ばれる建物があります。
無情にもCLOSEDのお知らせがあってシャットアウトされましたが、
メニューを見ると、
一番安いピッツァランチ2400円から始まり、スペシャルランチ3600円、
ディナーコース6000円から10000円ぐらいまでのまあまあ高い価格帯です。
レンタルスペースとして借りることもウェディングをすることもできる、国登録有形文化財の邸宅です。
迎賓館から5分ほど歩くと
鴫立庵
の建物群があります。
湘南発祥の地の碑の隣!
鴫立庵のパンフレットによると、
鴫立庵室は歴代庵主の住まいとして使われていました。
鴫立庵は単に風流韻事の庵室であったばかりでなく、活発な文化運動の職場でもあった。
崇雪という人が西行の歌にちなんで「鴫立庵」び標石を立てたと伝えられこの標石が湘南という言葉の始まりとか…。
などという文が並んでいて、肝心のどういう家なのか、庵主とは何なのか、という記述が無くさっぱり分かりません。
さては、湘南発祥の碑の説明文を書いた人と同じ人が作ったのか…。
起承転結の、転と結しか書かない上級者向けの碑とパンフレットです(-_-;)。
初級者は、Wikipedia大先生に教えてもらいましょう。
Wikipedia大先生がおっしゃるには、
鴫立庵は俳諧道場。
日本三大俳諧道場の一つとされる。
敷地内に建てられた石碑にある銘文「著盡湘南清絶地」から、「湘南発祥の地」とされることもある。
名称は西行の歌「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」による、とのこと。
全8行しかないWikipedia大先生のお言葉なのに、知りたいことが全て分かりました!
中ではコーヒーと共にあんぱんを食べることができます。
あんぱんは大磯駅前のパン屋「パンの蔵」のあんぱん。
奥にいるのは、吉田茂の絵ばかり並べて売っているおじさんです。
この町にある吉田茂の絵はだいたい彼の手によるもの、とぼくは睨んでいます。(大磯町は吉田茂の別荘地として有名)
鴫立庵の建物は俳諧人の家だけあって質素に造られています。
敷地内には西行他の歌人たちの歌碑が多数設置してあり、車の音はうるさいもののゆったりとコーヒーなどを飲んで過ごすことができます。
庵の横の川はすぐそこの海に流れ込んでいて、河口にも住むという鴫(シギ)は昔はたくさんいたのでしょう。(鴨ではない)
神奈川県だけでもハマシギ、ヘラシギ、オグロシギなどたくさんの種のシギが絶滅危惧種として指定されていました。
鴫立庵の周りも都市化が進み、鴫の住む場所はもうありません…。
No.90⌒★住宅街の現代建築たち【さいたま市浦和地区】蔵の灯
さくら草公園は、JR西浦和駅から、西方向。
東方向へ行くと、
ビストロ蔵の灯
があります。
ここは、藤野高志氏が設計しました。藤野氏は生物建築舎という怪しい名前の設計事務所を主宰している方です。
1階がレストラン、2階は見なかったけどギャラリー用途などで使える江戸時代に建てられた蔵の改修です。
思い切って玄関を大きく切り取っていて、蔵にしては中は明るい空間でした。
やはり、横に広げるよりも、縦に広げる方が光は多く取り込めるようですね。
室内の壁は藁がたくさん詰まっている土壁の内装。
天井からも光が降り注いできます。
行ったのはランチで、
ランチはお肉御膳、魚御膳、松坂牛ステーキ定食など4種類から選ぶことができました。
これはお肉御前。
たしか、松坂牛のスジ煮込みがメインの日替わり定食です。肉は口の中でとろけます。
煮込みは煮込んであるのを入れるだけ、
左側は刺身やカルパッチョなど新鮮な魚たちで、盛り付けるだけ、ということなのか驚くほど早く料理が運ばれてきます。
デザート付き1800円は高いのか、安いのか…。
基本は洋食の店だと思いますが、
温かい日本茶、居酒屋風おしぼり、刺身、白ご飯、箸で食べるスタイル、と見ていくとやっぱり和食かも。
ワインは、信州善光寺ワインの「ミュゼ」が出てきました。
食材はもしかすると全て、日本産のものなのかもしれませんね。
ここでは少し、いかつい感じの店員さんが出迎えてくれます。
駅から遠く、お昼は空いているので気軽に行けると思いますよ(*・ω・)/
隣の隣の隣ぐらいには、やはり同じく生物建築舎の彼が設計した長屋があります。
隣の隣の家も多少気になりましたが、民家なのでスルーします。
さっきの蔵のレストランは「鹿手袋の蔵」、
こちらは「鹿手袋の長屋」という作品名のようです。
「鹿手袋」は地名で、「しかてぶくろ」と読みますが、昔は「しってぶくろ」と呼んでいました。
尻手袋とも書けるので、川崎市の尻手のように、尻の方、奥の方という意味でしょうか。袋は袋状の土地(たぶん)。
雨の日は水浴びができそうなくらい、大胆に吐水口が造りつけられています。
外壁を濡らして汚したくないので、こうしたのでしょう。豪快にも見えます。
薄いグレーと、緑の木はいいバランスですね。
サントリーニ島の白壁の横の樹木みたいに、
普通の木でも、美しさが引き立ちます(外壁がきれいなうちは)。
反対側はギャラリーなどの店が建ち並んでいました。さっきの木が低い壁の向こうで頭を覗かせています。
店舗エリアと、住宅エリアが1枚の壁で柔らかく分離しているようでした。
以上、鹿手袋の藤野高志作品群の一角でした。
駅から遠すぎて、全体的に人がいないので、お店たちが存続できるのか、とても心配です…。
No.89⌒★悲しみのさくら草公園【さいたま市浦和地区】
サクラソウのつぼみ
埼玉県のさくら草公園
にやってきました。
サクラソウは、天然記念物の中でも、特別天然記念物に指定されています。
サクラソウは、北海道から九州までたくさん咲いていた多年生の草ですが、最近の都市化の影響を受けて、指定地などに細々と生き延びているのみなのです。
さくら草公園は、
歩いて20分ほどで行くことができます。
そこに見たものは、完全に開花前、どころか土しか見えない光景でした…(´Д`)。
土だけかと思ってたら、
よくよく見ると、つぼみが出てきています。
その後、そのつぼみがこんな風に開いて草っぽくなっていくんですね。
外側は赤いのに中は緑色で、なかなか渋い成長をしていきます。
3月始めではまだ早すぎたようです。
サクラソウの見ごろは、4月中旬~下旬の普通の桜よりも遅いぐらいの時期だ、ということを耳にしたので、1年後、再び行ってみることにします。(上の内容は1年前のできごと)
サクラソウの花
さくら草公園へは、
歩いて20分ほどで行くことができます。(仕切り直し)
着いてみて、そこにあったのは、見渡す限りの、草!(;´Д`)
しかし、よくよく目を凝らしてみると、
草に埋もれて咲いていました。
これがさくら草ですね…。
いったい、ここはサクラソウを保護しているのか雑草を保護しているのか、分かりません。
緑の草を楽しむ場、と考えれば楽しめるかもしれません。
近づいてみると、きれいな花です。タンポポもフレームイン。
きれいなんですが、とても地味なスポットなんですね、さくら草公園…。
もっと、芝桜みたいに地を埋め尽くす、一面の花を期待していました。
あまりにも人の手を入れないので、他の草の方が盛んに育ってしまっていて、
背の低い、サクラソウはそこに完全に埋もれてしまうのです。
サクラソウ属サクラソウ科のヨーロッパの品種は、現地ではプリムラと呼ばれています。
その昔、ギリシャでは、恋人を失ったパラソリス青年が悲しみの果てに死んだので、
母親がプリムラに変身させてしまったそうです(;´Д`)。
まったく何があったかはわかりませんが、悲しい花であるようです。
花言葉は「初恋」「希望」そして、「青春の喜びと悲しみ」です。
幸せが芽生えた時からそれが打ち砕かれるまで、そんな花なのです。
ぼくも今日は、一面のサクラソウを期待していったので、その希望ははかなくも打ち砕かれました…。
サクラソウもサクラソウで、ツボミから花になるのを夢見て成長してみたら他の草に埋もれるばかりで、
その希望ははかなくも打ち砕かれてしまうのです…。
…以上、建築が全く出てこない建築遺産のlog!をお送りしました(*‘∀‘)
No.88⌒★金谷港周辺のグルメは良い建築で…保田小・合掌館【富津市・鋸南町】
JR内房線で一転して南下します。
保田駅で下車。
ここには有名な
道の駅 保田小学校
があります。
保田小学校の道の駅は、NASCA代表の古谷誠章氏を筆頭に、設計組織ADHの渡辺・木下氏、ワークショップの北山恒氏、空間研究所の篠原聡子氏と、誰もが知っている設計家グループによる設計なのです!
たぶん、誰もが………知ってますよね。
まあ、とにかくその筋では有名な方々ばかり集めたドリームチームのようなグループです。
エントランスはまだ不安定に立っている竹林。
内装外装を設計者毎に割り振って、ここはこの人、あっちはあの人、という風に担当分けしたみたいですね。
でも、なんとなくテイストが似てる設計者たちなので、なんとなく、うまくまとまってると思います。
小学校校舎は金属質な外装で、現代的に生まれ変わりました。
イタリア料理店のDa Pe GONZOという古谷誠章氏が担当したという店でピザを食べましたが、やはり少し高めの、観光地価格でしたね。
ピザ+サラダで2000円ぐらい。目が飛び出るほど高いというわけではないけど、少し高いかな、と思う値段です。
ここまでの交通費が、すでに往復3000円ぐらいかかっているので、そう思うんでしょうか(;´Д`)。
2階では平均台なんかも置いてあって、みんなそれに乗って遊んでたりします。
ハイサイドライトの明るい増築部の空間に、昔のままの元校舎部分。
ここは北山恒氏の担当部分ですね。
ここには他に農産物等が買えるショップや、飲食店3軒、ギャラリーから宿泊施設まであります。
教室に泊まれる宿泊施設は3500円からととても安い価格設定です。
温浴施設も併設されているので快適に過ごせると思います。
さて、東京湾フェリーが到着する港、金谷港の方まで戻って来ました。(保田小に行った日とは違う日だけど…)
ここには古民家のカフェがあります。
元は茅葺だったのであろう、立派な屋根を金属板で覆った大きな民家建物。
カフェえどもんず
という名前の店ですが、合掌館という名前もついてるようですね。
白川郷の合掌造りとは形が少し違うものの、屋根勾配は白川郷並です。
脇の道は雰囲気のいい、石塀が続いた小路ですが、桜も咲き誇っていました。
石塀の小道。このあたりの石塀はやや南国風になっています。
合掌館・カフェえどもんずは、
ここから入ります。
節付きの柱が使われたむくり屋根のエントランスです。
建物の中にも、「武士道」の本やら皇国なんちゃらという本が置いてあったりします。
そのほかはとにかく雑多な店内です。
がらくたか、すごいものか分からないものがたくさん置いてある入り口。
入り口を入っても、店員さんは来てくれません。
ここを勝手に上がって行きましょう。
右は売り物の何か。
左は売り物の飲み物。
後ろにも、手作り感のある、売り物の何か。
その他は全部がらくた。
11時半ごろ行って、半分以上は席が埋まっていました。
比較的、入りやすい店だと思います。
カフェタイムはもっと混むのかもしれませんね。
今は、ランチタイムですが、
ランチっぽいメニューは、ここにはありません。
無数にあるコーヒー(無数にはあるが、数種しか飲むことができない)や紅茶と、バウムクーヘンのセットを食べるしかない店です。
バウムクーヘンは、一輪サイズとハーフサイズがありますが、
手前が一輪サイズ、奥がハーフサイズ。
どちらにしてもとてもおいしそうにやってきます!
「地元・金谷で焼き上げた、バウムクーヘン」と書いてありますが、やはり、金谷にあるバウムクーヘン専門店といえば金谷港の船着場近くにある「見波亭」のことかな?
店内では延々と、このカフェがNHKで取り上げられた時のビデオが流されてました。
その時、常連客(本人)役で出ていた人がいるんですが、ふと、隣を見るとその人が座っていました。