建築遺産のlog!

世界中の建物に行けるといいな

No.75⌒★【越谷市】風吹く越谷レイクタウン。中村家住宅

【建築遺産のlog!】第75号

2017年3月22日

 

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JR武蔵野線にできた越谷レイクタウンは、広い調節池で遮るものが何もないので、ものすごい北風が吹き荒れていました。

ここにあるのは、「調節池」なので、レイクではないと思うんですが、レイクタウンなんですね。

池は、pond。

湖が、lake。

調節池は、Detention pond。いや、別にいいんですけど。

 

レイクタウンのイオンモールは24万㎡で、ぶっちぎりで日本一の広さ。

2位、3位の大阪ステーションシティや、ららぽーとTOKYOベイに比べても2倍の面積があります。

大きすぎるので、たまにウオーキングがてら回ったりもしていました。

最後にできた棟のアウトレット棟?なんかは、人もまばらにしかいませんでしたよ。

そもそもこの界隈には、人がそんなに住んでいないのです。

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厳しすぎる北風のせいか、新しく造られた宅地ゾーンには背の高い防風林を兼ねたらしき高い生垣が植えられています。

レイクタウンのショッピングモールがあって便利そうに見えても、ここに住むのは大変なことも多いんでしょう。

埼玉より北は、ここに限らず冬はとにかく北風が強いので、田んぼとか湖とか平坦なところに住むのはNGだと思います。

 

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レイクタウンには、越谷市指定文化財中村家住宅があります。

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茅葺の茅を全て金属板で覆った中村家住宅

玄関の棟、客間の棟と生活棟の3つに大きく分割されていて、立派な住宅だったことがわかります。

 

中村家住宅は、レイクタウンより北の方にあった名主の住宅を移設したものです。

その地域は埼玉県行田市にあった忍藩の領地でした。

行田と越谷はずいぶん離れていますが、飛び地として領地経営をしていたようです。

忍藩は播磨国(兵庫県)や伊勢国(三重県)にも飛び地領土を持っていて、こういう飛び地も合わせて忍藩10万石なんですね。

 

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奥には広い納戸があったようですが、現在は塞がれていて、「韓信の股くぐり」の故事の板戸が飾ってありました。

町で難癖を付けられた韓信は、その相手の股をくぐるという屈辱を受けながらも切り合いは回避し、その後劉邦の下で活躍していくことになります。

将来の野望や志に比べれば、少しの恥などなんてことはないのです。

…という韓信の股くぐりの板戸。

 

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客間の奥の間は、少し質素な感じもします。

 

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畳敷きの玄関では、三人官女の一人、長柄を持った官女が失脚していました。

長柄を持っていないですが、さっきうろうろしている時に、なにか棒状の物を踏んだ気がするので、それかも( 'ω' ;)。

長柄は酒を杯に注ぐためのものですね。

三人官女の他の2人は、

島台と、提子(ひさげ)。

 

「島台」の島はおそらく蓬莱島。そこに松竹梅などの目出度いものを散りばめた飾り物、それを持っています。

「提子」は、つるのある小鍋形の銚子、とあります。これもお酒を入れるものでした。

提子は鍋型になっていたことから熱燗用、長柄は冷酒用と分かれていたという話もあります。

 

今日は、寒かったので、長柄の冷酒は要らなかったんですかね…。

No.74⌒★【三島市と清水町】三島の泉のある風景桜のある風景

【建築遺産のlog!】第74号

2017年3月19日

 

三島市のたくさんの湧水

 

三島市にはたくさんの湧水が湧いていて、

その水は富士山の方からやってきます。

 

富士山に降った水は、だいたい26~28年をかけて地下を流れて三島市の地表に湧いてくると言われています(もっと長いものも短いものもある)。

今、三島市に湧いてきている水は、

イラククウェートに攻め込み、

東西ドイツが統一され、

バブル景気終わり気味の頃の、

1990年の味がするかもしれませんね( *´-` )

 

三島駅についたら、伊豆箱根鉄道駿豆線に乗り、2駅行って三島田島駅で降りましょう。

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オレンジと茶色の門がある、

隆泉苑表門

オレンジは枯草色ぐらいのオレンジです。

門の真ん前に車が停まっていて、この場所からしか撮ることができませんでした。

 

この四脚門登録有形文化財

 

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同じく登録有形文化財隆泉苑も、同じような色合いをしていました。

この日は、隆泉苑の中ではたくさんの黒服の人たちが法事の会食をしているのが見えました。

 

隆泉苑の隆は、鉄興社、日本カーボンなどの社長を務めた実業家の佐野隆一氏の隆の字、

隆泉苑の泉は、

 

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敷地内の庭園に泉があるのでそのことでしょうかね。

泉は富士山の湧き水が混ざった川から、水を引き込みました。

 

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敷地の半分は、佐野美術館として整備されていて、

その他の敷地が隆泉苑庭園になっています。

美術館の敷地を提供してもなお広い隆泉苑で、泉をぐるっと散策しながらのんびりすることもできます。

 

その隆泉苑から、500~600m歩いた、駿東郡清水町に入ったところに

柿田川湧水群

の公園があります。

 

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柿田川公園湧水から発する柿田川とその周りの公園や緑地からなる、広大な公園です。

柿田川はすぐに狩野川に合流してしまうので、全長で1.2㎞しかない、一級河川としては最も短い川と言われています。

 

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JR東海の広告でも有名になった、柿田川の美しい湧水…ですが広告ほど美しく感じないかもしれません。

湧水が美しいんではなく、写真技術がすごいんですね。

 

それでも多少は美しい柿田川湧水群。

丸い石の詰まった穴から、盛んに水が湧き出しています。水量はかなり多そう。

向こうの方にはわさびらしき植物が群生していて、水が無いのかと思うほど、水は透き通っています。

 

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別の場所では青い砂地からも盛んに水が自噴しています。

水が透き通っているので、砂だけに見えます。

 

柿田川湧水群の湧水量1日100万トン

他の湧水池、たとえば山梨県北杜市の有名な三分一湧水は湧水量8500トン。

阿蘇の有名な白川水源は1分に60トンというので、1時間で3600トン、1日で、86400トン。たいしたことねえな…。

柿田川湧水は、湧水量では他の追随を許さない量なのです。

この豊かな湧水があるおかけで、柿田川は1.2㎞しかないながら1級河川にもなり得たのでしょう。

 

 

もしも、

の季節にここへ来たのなら、

柿田川公園からは北東にある

平清神社

へ行きましょう。

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湖の中の祠と、富士山の景色と共に、桜が見られるかもしれません。

桜と富士山はものすごく美しいんですが、ここでは酔っ払い花見客もいないし、席取りで留まる場所もないなんてことはありません。

ゆったりと桜が眺められるいい場所です。

 

No.73⌒★洗足池のお話と建物【東京都大田区】と日蓮

【建築遺産のlog!】第73号

2017年3月17日

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大田区千束の地に洗足池という有名な池があります。(五反田駅から東急池上線洗足池駅

この池が、「洗足」池という名前になってしまったのは、

むかしむかーし、日蓮というお坊様がこの池にやって来て、池で足を洗ったから洗足池と名付けられたそうです。(それだけかい!)

 

確かに、近くにある池上本門寺日蓮が亡くなった場所、日蓮入滅の地と言われていて、

日蓮上人はここを頻繁に通った可能性は無きにしもあらず、ではあります。

洗足池は中原街道の脇にあり、日蓮は旅の途上だったのでしょう。

生まれ故郷の千葉県鴨川から京都方面に向かっていたのかもしれないし、逆かもしれません。その辺を散歩していただけかもしれません。あるいはこの辺りに住んでいて、この池で足を洗うことを日課にしていて周りの住民たちが日々それを眺めていたのかもしれませんね。

 

一方の、「千束」の方の由来は、千束分の稲の納付を免除されていた土地だから、という説があります。

1束は1斗。

10斗で1石なので、1000束=100石?

1石が1000合とすれば、1000束は100000合

でしょうか。

10万回分のご飯を免除されていたことになります。

 

そんな、現在の洗足池は近隣住民がジョギングをしたり、子供連れで賑わう、憩いの場となっています。

池の上では貸しボートが浮かび、ビオトープや公園が整備されて、図書館も建っています。

 

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洗足池の近くには、鳳凰閣も建っています。

 

清明文庫と言い、清明会という組織が建てた、国登録有形文化財の建物です。

昭和8年築。

現在、遺跡発掘中とやらで塞がれていますが、資料館として整備されて、市民も利用できるようになりそうです。

 

側面にある樋をわざわざ正面へ持ってくるという変態的な樋の付け方は何でなんでしょうか。

看板建築のような、少し粗い外壁。鉄筋コンクリート造の2階建です。

頭頂部の突き出したところのデザインは変わった形をしています。

 

清明会は勝海舟の精神を涵養するための資料収集などの活動を行っていましたが、ほとんど活動せず解散しました。

 

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これも洗足池のほとりにある御松庵妙福寺。

少し京都のような雰囲気のエントランスです。

23区内とは思えないたたずまい。

 

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妙福寺の門をまっすぐ行った先には仏像が立っていました。

門からの見え方をちゃんと考えて配置してあるのです。

 

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妙福寺祖師堂は国登録有形文化財の銅板が立っていますね。(階段の手前)

ここは日蓮の草庵で、ここで休憩していた日蓮が足を洗っていたので洗足池という名前になった、という故事があるお寺です!

寺の奥、洗足池のほとりには船着き場のようないわくありげな場所があり、足を洗ったのなら、そこで洗ったのかもしれません。

 

日蓮は他の池でも足を洗ったでしょうが、

この地が千束という名前だったため、「洗足」池という別字が考えだされ、

今もなお、「日蓮」の痕跡を残すことになってしまったのです。たぶん

No.72⌒★東工大王国【目黒区】大岡山駅

【建築遺産のlog!】第72号

2017年3月15日

 

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東急目黒線大井町線大岡山駅の上には、

壁面を這う緑化が印象的な東急病院が乗っています。

設計は、東急東工大安田幸一研究室他によるものです。

 

その、東工大は、大岡山駅を出てすぐのところにあって、敷地へは自由に出入りすることができます。

学生はもちろん、子供を敷地内で遊ばせてる家族も多くて、和やかな雰囲気の学内です。

部室棟からは何かの楽器の音が聞こえ、3月末にもなるとたくさん植えられている桜も楽しめるでしょう。

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門を入ってすぐのところにある、東工大附属図書館

これも、東工大安田幸一研究室による設計です!

 

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見ただけで痛そうな鋭角の建物は苦手ですが、きれいな形はしています。

 

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その、鋭角の建物の先にあるのが東工大本館登録有形文化財に登録されている建物です。

1934年昭和9年築。

シンプルに白のスクラッチタイルの本体と、石貼りの車寄せ部分のアーチ。鉄骨鉄筋コンクリート造の4階建て。

設計はやはり東工大の当時の建築学科の橘教授によるものだそうです。

 

東工大は工業の大学だけあって、化学、機械、電気、金属、繊維、建築、それと経営も工学の一員で、どれも優秀な工学系学科になっています。

偏差値は68以上!( ノД`)とても入れそうにはありません。

去年は東工大大隅教授(生物学)がノーベル賞を取ったことでさらに有名になりましたね。

 

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裏から見た本館。

裏にも同じ位置に時計があります。

左右対称。

 

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このショッカーの秘密基地みたいなマークは、東工大シンボルマークです。

これは、東工大「大」の字をデザインものですが、なぜ、よりによって大を図形化したんでしょう。

大の字は、どこの大学にもあるのです。普通は、「東」をデザイン化しませんかね。

 

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本館裏にある、この低層の新築の講義棟も、安田幸一研究室による設計です!

 

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宙に浮いたアーチ。

コンクリートでありながら、軽やかなイメージを…というコンセプトかもしれません。

 

安田幸一研究室のページを見ると、東工大緑ヶ丘の建物の大規模修繕だとか、准教授の家やらの設計にも関わっているのが分かります。

 

東工大に関係する建物の設計は、多くは東工大内部だけで完結しているのです。

 

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大岡山西一号館(旧分析化学実験室)の建物。留学生センターとも書いてあります。

これも登録有形文化財

 

石貼りとスクラッチタイル貼と時計の組み合わせは本館と同じ。ミニ本館という感じもします。

似たような感じですが、こちらの方が窓のアーチや装飾など、細部まで細かくなっている気がします。

竣工は1931年、設計者は東工大の復興部になっています。

復興とは、関東大震災からの復興ですね。

 

東工大は数ある工学系学科の中で建築だけ抜き出しても古い歴史があり、

優秀な教授がいらっしゃることがわかります。

新旧の建物が入り混じりながら、調和よく存在していました。

No.71⌒★【横浜市港北区】こどもの国へ行こう(大人向け)

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横浜市こどもの国へ行きましょう(*‘∀‘)

 

渋谷からは田園都市線に乗って、長津田駅下車。改札を出て、そのまま改札も無いこどもの国線に乗り込んで、2駅!

 

長津田ー恩田ーこどもの国。こどもの国線は3駅しかありません。

こどもの国線はまさにこどもの国のために造られた路線です。

長津田駅は改札が無くて、恩田駅こどもの国駅で、SUICAPASUMOや切符を使って入退場します。

 

こどもの国線には、こどもの国へ行くであろうこどもがたくさん詰め込まれていて、

泣く子、騒ぐ子、ぐずる子、うるさい子、大人しい子、寝てる子、泣く子、騒ぐ子、寝てる子、ぐずる子、うるさい子、うるさい子で車内は無法地帯となっています。

寝てる子と大人しい子は、好感がもてますね。

 

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広さ1000000㎡の敷地があるこどもの国はたくさんの子供連れでにぎわっています。

この日はその広い敷地を利用して、駅伝大会が開かれていました。

広いコンビニが1000㎡なので、コンビニ1000個分(駐車場合わせて)の広さ、

東京ドームだと21個分の広さがあります。

入園料は600円。

 

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園内はとても人が多いのに、レストランは多くなさそうなので、入った瞬間に腹ごしらえ。

入ってすぐのセルフ式レストランでは牛乳ラーメンなるものが売られています。

クラムチャウダーのクラム抜きみたいな味のラーメンでした。

こどもの国は雪印乳業が土地を一部寄贈し、今も牧場の経営を行っています。なので牛乳ラーメン。

 

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園内には羊も馬も牛もたくさんいます。

 

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動物園(別途250円)に入れば、さらにたくさんの生き物がいます。

 

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クジャク舎のエサ箱は雀によって占領されていますね( 'ω' ;)

ぼくも雀に生まれ変わったら、ここに住み着口でしょう。

雀は偉そうに、

クジャク舎の中の木の上でくつろいだり、じゃれあったりして我が物顔で暮らしていました。

 

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雀の侵入口は、ここ!

扉の下のわずかな隙間から、雀たちは自由に出入りを繰り返していました。

 

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シカもここではのんびりとしています。

たまに通りかかる人間などを見ながら、一日中大人しく過ごしているようでした。

 

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この黄色い羽のような施設は、黒川紀章氏設計の休憩所。

黒川紀章氏は園内でいくつかの建物も設計したようですが、現存しているのは、今やここだけのようです。

休憩している人は皆無でした。休憩所というより、芸術のオブジェですね。

 

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近くには閉じたものもあります。

開いた花と閉じた花は分かりますが、閉じた時、表と裏の装飾が逆転してないですか?

不思議な花です。

 

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ここの見どころは、小鳥舎

無数の鳥が放たれていて、

頭上をたくさん飛び回っていて、糞を落とされないか心配になりながら歩きます。

 

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喧嘩している鳥や、

 

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人に水しぶきをかける鳥もいます。(その後また水浴びに行った)

 

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整然と並ぶ巣箱。

これは巣箱の一戸建て。

4つ前の写真の巣箱は、集合住宅。

こちらは高級住宅街なので、少し静かな空間です。

 

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イサム・ノグチがつくったトンネル状の通路がプール場の横にありました。

イサム・ノグチ彫刻家、画家、インテリアデザイナー舞台芸術など何でもこなす芸術家。

 

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児童館は、有名な建築家の大谷幸夫氏の設計です。

児童館らしく、少しポップな意匠に仕上がっていると思います。

 

園内を歩くと、もうそれだけで数時間は経っていると思います。

梅は終わりましたが、これからの季節は桜も楽しめます。

冬はスケート、夏はプールやバーベキュー、湖のほとりでのんびりしたり、大人も十分に楽しめるこどもの国だと思いました。

おとなの国と言っても過言ではないですね(*^^*)。

No.70⌒★大室公園にある古民家【前橋市】とグリーンドーム前橋

NHKおはよう日本のお天気アナウンサーの酒井さんが少し寒がりなのか、

彼女の防寒対策を信じて行くと、暑くて耐えられない時があります…( 'ω' ;)

1枚多く着ていけと言ったから信じて多く着ていったら、電車の中で汗だくになっていたり。日常茶飯事です。

彼女より少し薄着で出かけるとちょうどいいようですね。彼女は背中に4枚もホッカイロを貼っていて手袋マフラーとばっちりなのに、

なお寒いと言っているんです。

 

*.+゚★

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大室古墳群には、古い住宅が残されています。

富岡製糸場もあるように、群馬県に多い養蚕農家の家で、2階建て。2階はもちろん、蚕が住んでいました。

2階の屋根はばさっと断ち切られていて、蚕様が快適にお過ごしになられるように採光や通風を行います。

蚕は低い気温でも高い気温でも育ちますが、高温の方が育ちやすく、また高湿な方が良いですが、高温すぎても高湿過ぎてもだめです。

屋内で燃やされた火から出る二酸化炭素などの汚れた空気が充満するのも好まないため、通風や採光などをきちんと管理する必要があるのです。

 

ここにはボランティアさんが何人かいますが、のんびりしたもので、ここは入っていいとか、あっちに展示室があるとか親切に言ってくれるものの、説明はビデオ任せで、自分たちは日向でゆったり過ごしていたりします。(聞けば完璧に答えてくれるので、知識量はすごいものです)

 

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建物の中は1階はザシキがあり、日当たりの良い2部屋は客用のものです。

 

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上は広い蚕様の部屋。

 

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1階との間は竹で仕切られています。

蚕様のために、下階の光が漏れないように、通風は良くするように、でしょうか。

 

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近くには、相変わらず、小古墳があったりします。

手がゴムみたいに曲がった人は、武人かな?奥の2人はおそらく盛装をした方たちですね。

 

バスは、

1日に4本しか来ないため、乗らないと大変なことになります。

一部、回れていないところもありますが、泣く泣く戻る時間になりました。

ここのバスは、出発時間の5分前にならないと頑なに乗せてくれません。

からっ風がびゅーびゅー吹いて寒いのでバスの前で待ってたら、運転手さんはこちらを一瞥しただけでバスの中でスマホをいじっていました( ノД`)。

 

前橋駅へ戻って、ヤマダグリーンドーム前橋

にでも行きましょう。

 

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ヤマダグリーンドーム前橋前橋市街地の西側の前橋公園内にあり、

松田平田設計が設計、1990年に竣工しました。

競輪場がメインで、イベント会場としても使われます。

ネーミングライツを、ヤマダ電機が取得(ヤマダ電機高崎市が本社)しました。

 

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ヤマダグリーンドームは上から見るとこんな感じ。

 

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この日は某超大手家電小売会社の販売イベントが行われていたので、中に入ることができました。

建築面積は25000㎡、東京ドームの1/2強の大きさです。

構造は、施工した清水建設が技術を保有する、張弦梁構造で建てられています。

張弦梁構造とは、アーチ状の梁と、それを張るケーブルを組み合わせることで軽量・大空間が可能な構法だとのことです。

アーチで曲がった梁の端と端をケーブルで引っ張るイメージです。

 

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この、某超大手家電販売会社のイベントですが、

写真の中の赤い服、黄色い服、青い服を着ている人はほぼ全て、店員。

それから、黒い服を着た人で、スーツの人も全て店員。

それから、それ以外の服を着ている人の中にもスタッフがたくさん混じっているようでした(;´Д`)

ぱっと見た感じ、ほぼ店員…。

あんな中に入って行くのはワニだらけの沼に裸で飛び込んで行くようなものです。

 

鴨ネギにはならないように、そそくさと帰ることにしました…。

No.69⌒★大室公園の大室古墳群【前橋市】

前橋駅から、1日にたった4本しか出ていない大室公園行きの、

サスペンションがいまいちのためやたら酔うバスにゆられて40~50分、

大室公園へ向かいます。

着くころには、気持ち悪さでふらふらです。

 

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本来、ここへは公共交通機関で来るところじゃないんでしょうね。(1日4本しかないバス、最寄り駅まで徒歩で1時間)

群馬県は自動車を中心に作られた県なのです。

 

大室公園は、五料沼という沼がある広い公園で、

多くの古墳群を中心に整備された歴史公園となっています。

東京では風はおだやかだったのに、さすが群馬県だけあって、ここではからっ風がうねるように吹いています。

 

 

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再現されたという帆立型貝塚が広場に立っていました。

全長37m、幅39mの正円形に近い2段の古墳が立っていた、とこの案内板には書かれています。

今日はあまりの寒さに上州キッズたちも全く姿を見かけませんが、遊び場として使われているようですね。

 

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無数に人道が築かれて、いいように使われています。

 

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こちらは、本物の古墳。国指定史跡小二子古墳(しょうふたごこふん)

前方後円墳で、全長は38m。

前方」には人や馬の埴輪が、

後円」には太刀や盾などの武器の埴輪が、

古墳を取り囲んでいたようで、現在でも復元された埴輪によって取り囲まれています。

 

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前方の人や馬たち。

手前の右手を挙げた人が農夫、その向こうの胸を反らせている人が武士、一番向こうのひときわ高い人が盛装した人だということです。

必ずしも、墳墓を守護する人たちだけではないのです。偉い人から、働く人まで。ここではムラが築かれているようです。

 

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後円の武器置き場。

右側のミサイルが地面に突き刺さったようなのは靫(うつぼ・弓入れ)、その左は太刀?、その左は弓を射る時に左手に巻く鞆(とも)、その左はまた太刀?、後ろの屋根があるのは家、だとのことです。

 

 

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こちらは、大室古墳群最大の中二子古墳で同じく前方後円墳、全長111mです。

どんな人が埋葬されていたのかは、発掘で何も発見できなかったため分からないということです。

このあたりでは有名なさきたま古墳群の古墳の大きさにも匹敵するものなので、かなり強大な首長だったようです。

 

……と、このように大室古墳群には何基もの古墳がたくさん散らばって築造されています。

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このあたりの木にはヤドリギがたくさん付いています。

木に寄生する木、ヤドリギ

キレンジャクという鳥などによって種子が運ばれ、発芽しますが、

春になると、キレンジャクがこの木に群れをなして集まるため、鳥愛好家たちもカメラを持って群れを成して集まってくるそうです

(´ω`*)。