建築遺産のlog!

世界中の建物に行けるといいな

No.175⌒★【太田市】金山に登ろう-2金山城

【建築遺産のlog!】第175号

2018年3月6日

 

隈研吾さんの金山ガイダンス施設は金山の麓に建っています。

 

そこから金山城の方に登っていきます。

 

西の方に続く登山ルートを登って行くといいですが、

 

東の方へ向かう車道方面からも行くことができそうです。

 

お勧めは西から向かうルート。分かりやすいし車は通らないから。

 

しかしあえて車道の方から行ってみます。

 

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スタート地点(金山城ガイダンス施設)から矢印の小道を通って行けば最短で行けそうな気がします。

 

最後は道が途切れていて、大きく左へ行く車道しか無いのが気になりますが、とりあえず、この道で登ってみることにしました。

 

西の登山ルートは完全に山で、登山者がほとんどいなさそうなので、道に迷ったら大変ですね。

 

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車道はくねくねと曲がって造られていますが、歩道は車道をショートカットするように作られています。

 

悪路というほどでもない、まあ通れなくもない山道。

 

小規模な土石流でも発生したかのような土砂が流れたあともありました。天候の悪い日は登りたくないですね。

 

さっきの地図の、3番目の矢印の小道まで来たあと、ここからは車道だけか、と思ってましたが、

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登山道は続いていました!

 

見えますか?登山道。

 

ぼくにははっきりと見えました。

 

ただの小さい崖に見えますが、ここを登って行けば、道が続いています。

 

 

途中には汚くて座ることはできなかったベンチも置いてあったりするので、間違いなく人為的な登山道です。

 

たぶん、昔はもっと金山へ登る人が多かったんだと思います。

 

太田の市街地からも近い金山は市民の絶好の行楽スポット。

 

標高も低く(235m)、女性や子供でも簡単に登ることができます。

 

そんな金山も、車や電車の発展によって、新たな行楽スポットが誕生していったことで、登る人があまりいなくなりました。

 

というのはあくまでも想像なんですが、

 

でも、頂上付近にはかなり昔に廃墟になった売店などの施設が無残な姿をさらしていたので、昔はもっとにぎわっていたんだろうと思います。

 

だいたい、秋の涼しい時に行ったのに、誰も登る人がいなかったし、なぜこんな身近で登りやすい山に誰も登ろうとはしないんでしょうか…。

 

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標高235mしかない割にはくたくたに疲れ果てる弱っちい自分の足…。意外と大変な山でした。

 

登り切ったと思ったあとに現れるのは、神社への階段。

気が遠くなります。

 

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やっとのことで登っていった先、頂上の金山城本丸跡地には新田神社が建っていました。

 

金山城は有名な新田義貞の一族によって建てられたと言われているお城で(もしくは新田義貞本人による)、

 

もちろん新田神社の御祭神は新田義貞です。

 

 

この新田神社も、数年前に不審火で社務所が全焼したそうです。

 

近くの高山神社も同じ時期に全焼。

 

高山神社の放火犯は捕まっていますが、こちらも同じ犯人なんでしょうか(`´)

 

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金山城が素晴らしいのは、日の池(上)と月の池(下)に挟まれた部分。

 

日の池の方がやはり少し大きいようです。

 

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「スズメバチに注意」の看板がたくさんあったから、きっと本当にいるんでしょうね。

 

群馬のマチュピチュとも呼ばれてるようですが、木がなければ、確かに何となくマチュピチュに見えなくもないです。

 

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城内は美しい石積みの通路になっています。

 

最古級の、本格的な石積みの山城。

 

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途中から徐々に石の床になっていきます。

 

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お城の周囲には堀切という切込み兼通路が各所に築かれています。

 

右側からやってきた敵は、堀切の切込みで一旦阻まれて、左側にいる守備兵士に射られたりしてやられていきます。

 

こうした工夫の積み重ねで、上杉謙信が攻めてきたときも追い払ったそうです。

 

ちなみに、お城には何人か観光客が訪れています。みんな、楽々と車で来た人たちでした。

 

でも、山道を登って、低い山のわりに意外と大変な山だ!と感じられる徒歩で登山をすることが重要なんだと思います。

 

そういう、登るのが大変な山だったからこそ、先人はここにお城を築いたんですね。

 

お城の反対側は崖になっていて、攻めるのは難しいかもしれません。

 

金山城の裏の方には、ぐんまこどもの国があって、お城の上までこどもたちが騒ぐ声が盛んに聞こえていました。

 

帰りは、行きとは別の山道ルートから。

 

城へ来る人はみんな車で来るらしくて、山道は誰一人通らないので、迷ったらどうしようとか考えながら不安な下山をしていました。

 

 

ほとんどの分かれ道には行先表示看板があるものの、無い分かれ道も…(;´Д`)

 

どっちに行けばいいんだ…。

 

 

下山途中には、警告文通り、スズメバチと遭遇しました(;´Д`)

 

金山に登るのは、ハチのいない冬がいいかもしれません(もしくは車)

 

 

分かれ道では勘を頼りに進んで行きましたが、特に問題なく、金山城ガイダンス施設の西側に無事下山しました。

 

帰り道で見つけた長念寺。

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入り口の鉄塔が特徴的ですが、残念ながら、今では撤去されてしまったそうです。

 

この道沿い(市道321号線)には寺や神社がたくさんあります。

 

ここは、城下町だったのかもしれません。

 

★今日の焼きそば

 

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金山城から下山したあと、時間が余ったので太田駅から治良門橋駅まで行き、

 

そこにある上野国新田郡庁跡へ訪れました。

 

治良門橋駅は「じろえんばし」と読みます。門をどうやったら「えん」と読むんでしょうね。

 

治良門橋駅は昔むかし、天笠治良右衛門(あまがさじろえもん)という人が石橋をかけたことに由来します。

 

もう一つ、太田駅方面にある三枚橋駅も、同じ天笠治良右衛門が3か所の橋をかけたことに由来しています。

 

もしや、じろえもんばしと呼ばれていたのが、いつの間にかじろえんばしに縮められたんでしょうか?

 

漢字も同じく治良右衛門橋と書くのが面倒くさくて治良門橋と縮められたのかもしれません。

 

新田郡庁は見た通り、ただの原っぱ。郡庁ですが、国指定史跡となっていました。

 

古文書に書かれているとおり、長屋などの遺構が見つかり、炭化された米が発掘されるなど、当時の様子が分かる大変貴重な遺構だということです。(原っぱを見ただけでは全く分かりません…)

 

原っぱを見た後、とぼとぼと帰っていると、途中に岩崎屋というお店があったので寄って行きました。

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岩崎屋さんの焼きそばは黒い焼きそばで、値段は330円。

 

太田市の焼きそばは、どこも太麺で黒い色をしています。

 

ソースの少し酸味がかった味がします。群馬県らしく、焼まんじゅう(180円)も売っていました。

 

東京では、考えられない値段ですね。

 

他にはところてん130円、おでん260円などのメニューがありますが、アルコールが無いことが非常に残念なところです。

 

でもみんな車で来るので、アルコール需要はないんでしょうね、きっと。

 

今日食べた「焼きそば中」は330円ですが、「焼きそばジャンボ」(二人前)は660円、焼きそばトリプル(三人前)は1320円、「焼きそば特に名はない」(五人前)2200円…と食べ盛りさんメニューも充実しています♪