No.134⌒★風の町木の町【国見町】町役場・あつかしの郷
国見町は、
奥州街道でいうと福島宿から三つ目と四つ目、日本橋から数えると56番目と57番目の
奥州街道もここまで来ると完全にマイナーな宿場町ですねえ。
町の中心部へ行くには藤田宿がある、藤田駅から行きます。
もうひとつの貝田駅前には、ガソリンスタンドと、なぜかサービスエリアがある以外には畑と荒野が広がっている、スペシャルに寂しい駅なのでお気を付けを。
なぜ、駅前にガソリンスタンドとサービスエリアという車に関連する施設しかないのか、存在意義がわからない謎の駅で、
1日の乗車客数は数十人の、寂しい駅です。
まあ、降りるのは藤田駅の方なんですが、お昼時に着いて、
この駅も、食事をする場所は皆無でした。
お腹を空かせながらぷらぷら歩いてると、ほど近い場所には観月台溜池を囲む、観月台公園があります。
月を見るというより、桜を見るスポットとして有名な、この公園。
県指定文化財の旧佐藤家住宅も移設されている、のどかな公園でした。
そこからさらに歩いて行った先には、かっこいい建物の国見町役場が建っています。
国見町役場は、東日本大震災で被災し、さっきの観月台公園にある観月台文化センターを仮庁舎として使ったあと、
この新庁舎を建設しました。
大震災は大変な災害ではあるんですが、その副産物として、こういった建物が生まれたのです。
設計はマーチエキュートなど評価が高い建築も多い、ジェイアール東日本設計。
駅から遠く離れた場所でもこの設計事務所は問題なく受注するんですね…。
今流行りの、地場産木材をふんだんに使った公共建築。
公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律などという法律ができ、
低層の公共建築物を中心に木材利用が推進されていきました。
この庁舎も、木材と鉄骨が融合する、美しいデザインを作っています。
木質感あふれるベランダがアクセントに。(ただし構造は鉄骨+鉄筋コンクリート造)
町役場の近くには、道の駅あつかしの里がオープンしました。設計はフォルム建築計画。
「あつかし」はこの付近にある、280m余りの小さな山や防塁の名前として付けられた、厚樫あるいは阿津賀志という地名のこと。
奥州藤原氏はこの厚樫山周辺で、北上してきた源頼朝の軍勢を防ごうとしたのです。
ここは、鎌倉勢力と、奥州の国境地帯だったことがわかります。
こちらも木をふんだんに使った建物。(ただし構造は鉄骨造)
2階は道の駅の流行りの、宿泊施設になっています。
客室1から客室4までの4室限定。
1人5000~8800円で、あまり高くもない値段設定。これで、採算は取れるんでしょうか…。
国見STAY「風道」の名称は国見町の鈴木さんが名付けたそうです。
風道がなんだかは分からないですが、白石や角田市の方から続く谷は、ここ国見町あたりで大きく開け、広大な福島盆地が広がります。
各地からの風が到着する場所が、ここ国見町です。
★*.+゚auraの子育て日記
ベビーベッドって、
あれほど、無駄なものはあるでしょうか。
赤ちゃんが泣き止む度に、わざわざベビーベッドまで行ってあやして泣きやませてまた自分の寝場所に戻る、という疲れる工程。
赤ちゃんとの闘いは夜を通して続くので、いちいち起き上がる、という作業はとても疲れます。
ベビーベッドって、もしかして、普段からベッドを使って寝てる人用に作られたものなんでしょうか( ºдº)!!(今気づいた)
ベッドにベビーベッドを横付けしたならば、いちいち起き上がらずにすぐに対応できます(たぶん)。
ふだん、布団派の人は、一段高いベビーベッドを仰ぎ見ながら過ごさないといけないのです(ベビー様が頭上で君臨しています)。
うちは、布団派。ベビーベッドは完全に不要な物置空間でしかありません。
ベビーベッドを店に置く時には、布団派の人にはおすすめできません、ぐらいのことは書いて欲しいものです。
布団派におすすめなのはトコちゃんベルトが販売している、天使の寝床です。
まあ、これも一種のベビーベッドですが。
布団に横付けすることができます。必要なのは、横付けできるかどうか、だと思います。5分に1回ぐずったりするのが赤ちゃんですからね。
No.133⌒★和洋の建物【桑折町】旧伊達郡役所
桑折町のメインストリートの終わりの方には大野屋という菓子店があって、
有名な大野屋のあんぱんが売っています。
新生児の手ぐらい小さなあんぱん。つぶあんではなくこし餡で、思い描いているあんぱんとは違う味だと思います。
銘菓ひよこにごまを付け足したような味ですね。
餡子好きで買った人には、思いもよらぬ結果になると思います(´Д⊂ヽ
大野屋さんは、和菓子だけでなく、洋菓子も売っていて、どちらかというと洋菓子の方に力を入れている感じがする和洋菓子店です。(和菓子コーナーは心なしか暗かった…)
そんなメインストリートの終点の、
突き当りに見えるのが、旧伊達郡役所の建物です。ちなみに右奥のピンク色の建物があんぱんの大野屋さん。
復元塔屋が美しい旧郡役所の建物。
今は伊達市になっている保原町から移設してきたもののようです。
かつては郡家(こおりのみやけ)があった桑折町(こおりまち)には郡役所は当初なかったんですね…。
それでは「こおり」町の名が廃る、ということで移設を熱烈に推進してきたんでしょうか。
建物は木造2階建て、洋風の外観ですが、屋根はばっちりと和瓦の和洋混交で建てられれた、擬洋風建築です。
塔屋の下にもお城によくある三角の千鳥破風らしきもの(入母屋破風?)が乗っていたりします。
中は展示スペースとなっていました。
こざっぱりとしたデザインの内観。天井はわずかに持ち上がっています。
2階は郡の会議場で、ダンスホールのような広いスペース。
わずかにステンドグラスがあり、折り上げの天井。塔屋へ上る階段(立ち入り禁止)。
全体にやはり小ざっぱりしています。
照明の天井には絵が埋め込まれています。
ところどころ、郡の住人に税金の無駄遣いだと睨まれない程度に手をかけています。
郡役所が付き合たりに建っていたので、
会議場から出られるベランダから、桑折町の町並みをまっすぐに見渡すことができます。。
ピンク色の大野屋も近くに見えると思います。
雲形のデザインは、
お寺でよく見かけるデザインをデフォルメしたもののような気がします。
大野屋も伊達郡役所も、和洋混交の、どちらかというと洋風押しなのです。
★auraの子育て日記
新生児は、世間的に、人気があります!
なぜなら、新生児は希少価値が高いのです。
普段、見ることのない新生児。
新生児は何をしているのかというと、家で寝て母乳を飲んでまた寝て母乳を飲んで過ごしています。
そして母親も育児疲れを起こしていたり、首が座ってないぐらぐらの状態でこわくて外出できないので、町で見かけることは少ないでしょう。
新生児期の小さい赤ちゃんは体重が数か月で倍増してしまうため、その小ささは両親親族だけが見られる特権です。
そのため、たまに無理して町へ出て行ってみると、希少価値の高い新生児はチヤホヤされたりするのです…。
No.132⌒★無能の寺【桑折町】
房総半島の駅っぽい雰囲気の駅です。
桑折駅がある桑折町は福島から二つ目、日本橋からだと55番目の奥州街道の宿場町で、
むかしむかし、郡家(こおりのみやけ)という郡の役所がおかれたことから、「こおり」という地名が付けられ、桑折の字が当てられました。
福島県郡山市も、おそらく郡家がおかれてたので、郡山の名前が付いたものと思われます。
「桑」の字が使われている通り、
桑折町がある伊達郡一帯は、桑を食べる蚕、つまり養蚕が盛んだった土地で、
蚕の卵を売り買いして大儲けする豪商などもいました。
桑折町は人口12000人で漸減していて、
駅からやや離れたところに、あまり活気のあるとは言えないメインストリートが広がっています。
そのメインストリート沿いにある、無能寺。
無能寺の「無能」は、この地方で有名だった僧の名前で、
多い時には1日に10万遍の念仏を唱え、生涯で数億遍の念仏を唱えたという、
決して無能ではない僧侶・無能のお寺なのです(`・ω・´)!
ちなみに弟子は不能というらしいです…。
名前は、、、何とかならないんでしょうか…( ´‐`)。
立派な門を潜って行くと、
これまた立派な松が現れます。
笠みたいになっている笠マツと呼ばれるアカマツですが、
明治天皇がこの下でお休みになられたあと、晴れて「御蔭の松」と名付けられました。
四方どこから見ても美しい御蔭の松。
樹齢は推定で約400年。僧無能が亡くなったのが1719年のことなので、没後約300年。
この松は、無能が何千何万何億遍も念仏を唱えていたのを聴いているはずです。
案外、その念仏に救われて美しい立ち姿を得たのかもしれません。
★*.+゚auraの子育て日記
馬の子は生まれたその日に歩けるというのに、我が子は…。
生後一ヶ月経って、母乳を飲むのが若干上手になって、
わずかに体を斜めにして寝ることができるようになり、
やや夜は長めに、昼は少なめに寝るようになってきた、、気がする。
くらいの成長しか感じられません(˘•ω•˘ )
生まれてすぐに歩いて何やら偉い言葉を叫んだ釈迦はなんてすごいんだろうと思いながら、
全く歩きもせず言葉もしゃべれない子どもを前に、変化があるのか無いのか分からない毎日を過ごしています。
外的な変化はありますけどね。
一緒にお風呂に入れるようになったり、
外出がようやく解禁されたり(してたけど…)、
「1ヶ月から」と書いてあるベビーカーに乗れるようになったり…。
内的には…あまり変わってない気がします。でもよくよく見ると顔が大きくなったような…。
No.131⌒★里見家の終わりの城【館山市】館山城
館山駅から南に2㎞歩いたところにある、館山城。
館山駅から館山城方面のバスがほぼ無いことで観光地としての力の入れなさが分かります。(結局往復とも歩いて行った…)(そもそも館山城行きのバスは無いかも…)
館山城の入り口についたら、まず階段100段コースか、スロープコースかの選択に迫られます。
まあ、お好きな方で良いと思いますが、階段100段コースを進んでみましょう。
ちなみにスロープコースで行った場合でも、少しは階段があり、きつい斜路でとても疲れます。
階段100段コースから行った時にだけ見られる、孔雀園。
暑さのためか、自分から土に生き埋めになって過ごしていました(´Д`)。
もっと日影で掘ればいいのに…。
無料で入れる、というところはいいんですが、大変地味な園で、
お客さんもゼロでしたね。
羽を広げている、やる気のある孔雀もゼロでした…(´Д`)。
階段は本丸まできっちりと100段!(101段だったかも)
しかし斜路もだいぶあるので、少し疲れる登城です。
100段(か101段)登った先には館山城天守が待っています。
建築的にはどうということのない、RC造の再建の城で、どういう外観の城だったかもわかってないそうです(つω・`。)(つまりテキトー)
中は、里見八犬伝の博物館のようになっていました。
里見氏は、館山市稲村城を居城としていましたが、
その後、勢力の拡大によって房総半島中央の久留里城や佐貫城を居城としていて、
館山城が居城になったのは、秀吉の怒りを買って安房一国に押込められてしまった時代のことなんですね…(´Д`)。
安房国を守るにはいい城なのかもしれません。
安房から出て行って、関東の覇権を争うには、南過ぎる城なのです。
稲村城を出発した里見氏は、国勢拡大で北へ北へ進出していったものの、最後は館山城まで戻され、ついには改易されて滅んでしまいます。
天守を越えた先の小道を通って行くと、
徳川幕府により改易された当時の里見八遺臣の墓と呼ばれるものが残っています。
この八遺臣が、南総里見八犬伝のモデルともされていますが、里見氏の終わりを物語るものです。
★*.+゚auraの子育て日記
ベビー用にわざわざ作られた商品ってありますが、
ベビー石鹸とか、
ベビーシャンプー、
ベビーハンドソープ、
赤ちゃんの純水とか、ベビー麦茶とかベビーほうじ茶とか…
本当に必要なのはどれなんでしょうね。
ベビー石鹸と普通の石鹸はいったい何が違うのか、赤ちゃんの純水っていったいなんなのか…それはただの水ではないのか、
何だか騙されてる気がするのがベビーグッズ業界なのです…(`ω´;)買うけど
No.130⌒★館山つわもの夢の跡【館山市】
本丸下の急斜面を下ると、謎の鳥居が立っています。
麓には貴船神社があるので、その鳥居でしょうか。
まだ道が続いてたので、城へ行く道は何本もあることになります。
本丸とは反対の方に行くと、
「正木様」
の看板があって、果樹園が広がっていました。
お城の域内にも私有地が広がっているということで、城を感じさせるものはわずかに残る石垣にしかありません。
里見家の重臣に正木という人物がいますが、まさかその子孫かな?('Д')
登って来た方とは反対側に進んでみると、
また昔の石垣が続き、
土盛りの通路が続いたあと、
駅に近い方に出ました(´Д`)。(あっちの小高い方が稲村城一帯)
駅から遠い方へぐるっと回って上り、駅へ近い方へ出てしまったようです。
つまり、稲村城へ最短で行くなら、
九重駅の北側の道を西へ行き、
128号線に出る前の踏切を渡って
一つ目の道を右へ。
あとはいっぱい立ってる「稲村城はこちら」看板を頼りに進みましょう。
さらに、出入りしてはいけないと書いてある九重駅の南側の通路から…
城へ向かうとより近いですね(*‘∀‘)。
…というのは嘘で、遠回りしても北側正面口から出入りしましょう(当ブログは法令を遵守致します)。
九重駅からは館山駅へ戻ります。
館山市内にはいくつか近代建築があります。
これは、館山駅から東に数百m歩いたところにある、安房南高等学校の旧校舎(普段は立ち入り禁止)。
近代建築にはなぜか多い、ピンク色の外壁。左右対称の外観で優雅な姿を見せていて、特別公開の日だけ入ることができます。
桜の季節に行くと、ピンクの外壁にピンクの花で彩られるんでしょうか。
この位置に、桜の木はなかった気がしますが、まあいいとしましょう。
手すりのデザイン。
天井は少し高い気がします。
安房南高校出身という、鈴木おさむさんやYOSHIKIもここで勉強したんでしょうか。
お城だけでなく、ここにも夢の跡がありました…。
★auraの子育て日記
新生児は夜も昼もありません。
新生児に夜、寝てもらうためには、
夜というものを認識してもらう必要があります(`・ω・)
認識してもらうための苦労の歴史を書いてみると、
・夜は10時には消灯。
・夜は10時にはテレビオフ。
・8時過ぎにお風呂に入れない(目がランランとします)
・寝る前にたっぷりミルクを飲ます(お腹いっぱいでうとうとさせる)
・夜は赤ちゃんベッドにカーテンをかけて暗くする
・朝お風呂に入れる(夜風呂がだめ?)
・やっぱり夕方にお風呂に入れる(夕方泣くので)
・夜はやっぱり9時に消灯(←今ここ)
昨日はお陰で夜は3時間は寝るようになってくれました。
1時間置きに起きる最悪の状況は脱しました(´Д`)。
赤ちゃんに寝てもらうためには、
お前ら(両親)も規則正しい生活をしろよ、ということですね。
No.129⌒★内房線南の果ての稲村城【館山市】
九重駅から西にある稲交差点の方へ向かいます。
今にも雨が降り出しそうに、空がどんよりしています。
房総半島は山がちな土地なので、気がつけばすぐに黒い雲に囲まれます。
この日は曇り、降水確率20%だったのに、すでに不穏な空気。
稲交差点からさらに西へ300mほど歩いて脇田瓦店の細い道を南へ。
細い踏切を渡ってしばらく行くと
「稲村城跡はこっち」
の看板がちらほら出てくるようになるので、看板に従いましょう。(すでに多少道に迷うかも)
稲村城はこの細い通路を通って行くようです。
その細い道はすぐに暗い道へいざなわれます
(;´・ω・)。
暗い道の中。
岩を削り取って造ったような通路ですね。
稲村城は天然の要塞だったんでしょうか。
黒い蝶がこの暗い石壁にはよく似合います。
道は二手に分かれていて、本丸方面に進みました。
比較的明るい、根の道を進んで、
また暗い道。顔の辺りに大きな蜘蛛の巣トラップもあるので、ゆっくり歩きましょう。
竹のトンネル。
めまぐるしく道の表情が変わる城の道です。
急激に明るくなってくるこの先が、
目的地の本丸跡になります。
草だらけの本丸跡。案内板が立っている他は特に何もない台地でした。
案内板によると、
この城は前期里見氏の居城で、
内紛によってもっと北の方の南房総市に居城は移ってしまいました(ちなみに館山市の北も南も南房総市)。
里見氏がいた安房国は、南房総市と館山市と鴨川市を合わせたぐらいの房総半島南端の地域。こんな山ばっかりの地域の大名が、北条氏なんかと関東の覇権を争っていたんですね。
この城が里見氏居城だったころ、扇谷上杉氏などの関東諸勢力と結んで品川を攻撃したりしています。
館山は房総半島の南の端ですが、
海を渡れば、すぐに鎌倉や江戸、小田原と通じる、実は重要拠点なのかもしれません。
しかし今やその居城があった辺りは、電車の乗客も100人ほどしかいない、ただの田舎になってしまいました。
おっ、内房線の電車がやってきました。
まあ、電車が走る音だけが聞こえるのどかなお城なのです。
★*.+゚auraの子育て日記
赤ちゃんのうんちが出ないときは、
肛門刺激をしてあげますが、
刺激をした末、出てくるうんちの速度は、音速ぐらいあります(´Д`)。
肛門を刺激していると、まず、うんちが超高速で出て来たかと思うと、
少し経ってから「ぶりっ」という音が聞こえてくる感じです(知らんけど)。
そして自分の手も床も家具も、いつの間にかうんちまみれになって慌てふためくことになるのです。
そんなことにはなりたくないので、オムツにうんちが入ってた時はがっかりせずに、喜びましょう。
肛門刺激はせずに済んだと…。
No.128⌒★東京湾フェリーのススメ【館山市】
そこから東京湾フェリーで、対岸の南房総へ~という旅を今まで何度してきたことでしょう…。
石堂寺に行って通り雨で苦しんだ時とか…
鴨川で鯛と戯れた時とか…
醤油を買いに行っただけの時とか(まだ使い切ってない…)、
短期間に何度も行ったものです。
というわけで、フェリーでまた房総へ渡ってみましょう。
まあ半分はこれが目的ですね…。いわしバーグとつみれとお酒。
海の景色を眺めながらの飲食はいいものです。
今日は珍しく船の上で海鳥が休んでいました(お菓子目当て)。
口ばしの先が少し黒いから、どこにでもいるウミネコくんですね。
久里浜港から約30分、金谷港に到着すると、JR浜金谷まで歩いて10分ほどですが、この日は電車の到着まであと6分ほどだったので、着岸した瞬間から猛ダッシュ!
もう一人、おじさんも猛ダッシュしていました。(途中、へたばってた)
フェリーとJRは全く連動していないので(ライバル?)、駅で長い間待たされたり、ギリギリだったり、とても不便です。
もちろん、ぴったりに来てくれるときもあります。
フェリーの乗客があまりいないのは、こういう不便さが大きいのかもしれません(あとは電車で行けるスポットが房総半島に何もないこと)。
その、ギリギリ駆け込んだ電車で館山駅まで下ったあとは、内房線に乗り換えて鴨川方面へ。
館山駅の次の駅の九重駅(ここのええき)で降りました。
この駅は、
北側にしか出口が無いんですが(無人駅)、
南側にもこっそり出口があります。
が、
ここからの立ち入りは禁止だそうです
(´Д`)。
こんなにばっちり開口してるのに…。出るのはいいけど、入るのはだめ、ということでしょうか。
この駅の乗車客数は、1日たったの約100人だそうです。
それでも駅舎は木のルーバー外壁+ガラスのモダンなもので、乗車客数100人の駅とはとても思えません。
いったい、建設費を返済するのに、何年かかるんでしょうか。
…その九重駅からは西へ、西へ歩き始めました…。
★*.+゚auraの子育て日記
泣いている新生児はどうやったら泣き止むんでしょう。
泣き止む方法を探ってみました。
・ガラガラで音を鳴らしてあやす(泣き止み率0%)。新生児は完全無視です。
・縦に抱く(泣き止み率10%)。オーソドックスなのに全然泣き止みません…。
・横に抱く(泣き止み率3%)。同じく全然泣き止みません(T_T)。
というより授乳の体制と同じなので、食事の時間か!と勘違いしてさらに泣きわめきます。
・自分の体とは垂直に、頭とお尻を支えて抱える(泣き止み率60%)。空中に浮かんでる感じがお好きなようです。
・くっつけた自分の両ひざの上に寝かせる(泣き止み率75%)。ひざの温もりで?泣き止む確率が非常に高いことがわかりました。
・腰のマッサージをする(泣き止み率50%)。腰をゆっくりぐりんぐりん回してあげます。彼らは寝たきりです。乳児とはいえ腰のマッサージは至福の時なのです。
・手を包み込むように握る(泣き止み率40%)。たったこれだけで!
一番楽な方法ですね。真夜中で疲れ果ててる時は真っ先に試し、成功したらシメシメと思いながらまた寝ます。
まあ、お腹がMaxに空いてるときは上記どんな方法も受け付けません。