No.111⌒★塩ノ山と共にあるまち【甲州市】
新宿から1時間半ほど中央線に揺られて辿り着く、塩山駅周辺は今は甲州市ですが昔は塩山市と呼ばれていました。
旧塩山市は駅の北西方向にある、塩ノ山からその名を付けられました。
駅から少し北へ向かうと現れる塩ノ山。
駅方面からだとビルが視界を遮っていて見えませんが、
昔はどこからでも見える、ぽつんと立っている山で人々に愛されてきたのでしょう。
塩ノ山は、
「四方から見える」からそれが塩ノ山となったそうです('Д')。
まあ昔々岩塩が採れたから塩ノ山という説もあるようですが、どちらが由来かは今となってはわかりません。両方?
確かに、周りには高い山が無いので、四方から見渡すことができる山という由来は納得できる感じでした。
塩の山の麓には向嶽寺があります。
杉並木の向こうに見える、中門は重要文化財。
このあたりの寺社の多くは、寺社の周りに高い杉が植わっているのが特徴で、平地でもまるで防風林のように寺を取り巻いています。
この道をずっとまっすぐ伸ばした先には恵林寺の山号でもある乾徳山という山がありますが、
振り返ったずっと先は、富士山に繋がります。
昔から火災を繰り返したようで、この中門だけが残され、重要文化財となりました。
文化財のため、開かずの扉。
中門を迂回して通り過ぎると池が現れ、屋根付きの橋がかかっています。これも通行不可(つω・`。)。
橋から、中門の方向が富士山の方面。
池の向こうにわずかに見えるのが仏殿です。
池は藻で埋め尽くされているわけではなく、きれいな池でした。
塩ノ山からの湧水なのか、寺や周辺の集落には水路が通っていて、たくさんのきれいに見える水が流れていました。
そのたくさんの水のお陰で、池は良い水質が保たれているんですね、きっと。
仏殿は鎌倉円覚寺舎利殿の禅宗様のような建物ですが、円覚寺舎利殿と比べれば背の高さが全然違います。
外壁の色がいい色合いです。
まあ、そんなお寺でした。
なんだか顔の長い大仏…。
駅の近くには明治時代に建てられた中央区区民会館があります。
国登録の有形文化財。明治12年築の、学校施設だった建物です。
近くの案内板にはその後、警察署、図書館と経て、区民会館となった、と書き記されています。
各時代で改修が加えられて、元の姿そのままとは言えませんが、藤村式と呼ばれる山梨県に多数存在した西洋建築の一つです。
藤村式は、明治時代の県令(県知事)だった藤村紫朗の名が使われた西洋建築様式(擬洋風?)で、
学校が主で、他にも役所など公共建築が100棟以上、建てられました。
そんな一時代を築いた建物なんですね。
夕方だったのでひっそりとしていた中央区区民会館は、たくさんあるツバメの住宅が夕ご飯に大忙しでした。
門ではツバメ同士が喧嘩してて通してくれませんでした…(´・д・)。
軒が少ない藤村式の西洋建築は、日本の気候、特に山梨のような夏は高温多湿、冬は雪もたくさん降るこの地域にはあまり馴染めず、次第に建てられなくなっていきます。
それでも、この深い雨除けのあるここの玄関だけは営巣にもぴったりだったんですね。