No.167⌒★【函館市】の観光ルート。赤レンガ倉庫、五島軒、函館山
【建築遺産のlog!】第167号
2018年1月29日
函館の観光王道ルートは、
まずは駅に着いたら函館市電で十字街駅で下車して赤レンガ倉庫にでも行くんですかね。
お土産、ショッピングやお食事はここで全部済んでしまいます。
ショッピングゾーンは人で溢れかえっていました。車も渋滞していて街で一番の人気ゾーンです。
函館の赤レンガ倉庫は棟数がたくさんがあって、最も古いものは明治42年に建てられたもの。
この赤レンガ倉庫も明治40年の大火によってほとんど焼失し、それから再建されました。
横浜にある赤レンガ倉庫は明治44年築、
敦賀の赤レンガ倉庫は明治38年築と、各地にある赤レンガ倉庫たちは、かなり同時期に建てられたことがわかります。
ただ、函館は貿易貨物の倉庫、横浜は保税倉庫(輸入手続きが済んでいない貨物を入れておく倉庫)、敦賀は石油貯蔵用倉庫と、使われ方は三者三様です。
その後
お昼は、函館が生んだ有名レストラン、五島軒なんかでお食事するんでしょうか。
コース料理だと8000円ぐらいから16000円ぐらいまでの価格帯。
天皇・皇后両陛下も食されたというリッチ鴨カレーは2376円です。
五島軒旧館は、北海道では初の国登録有形文化財となった、RC造・木造混構造の2階建です。
一見して見ると、普通の現代の建物に見えますが、よくよく見ると細部が凝っていることがわかります。
昭和9年の大火で焼失し、その後再建されたものだそうです。
函館の大火は繰り返し繰り返し函館の街を焼き尽くし、その度ごとに耐火建築の都市に変貌させていきました。
教会建築群を回ったあと、函館山に登って、日本三大夜景のひとつと言われる夜景を見ることと思います。
函館山ロープウェイ(往復1280円)に着いた夕方ころには猛烈な冬風が吹き荒れ、しかも何百人もの人が列をなしていて、後ろの方の人は施設外の風が吹き荒れる中を待たされました。
30分以上待ってやっとロープウェイに乗って、頂上に着いても、やはり大量の観光客。
夜景が特に美しく見える場所には何重にも折り重なるように人がいて、写真を1枚撮るのが精いっぱいでした。
そして帰りは、行きよりも長いロープウェイ下り待ちの行列。最後尾は屋外で、やっと室内に入ったと思ったら、なぜかシアターみたいな部屋に行列は続いていて、そこをぐるぐる回って、さらに階段とかスロープを下ったあとにやっとロープウェイに乗ることができました。
…という普通の観光コースを歩いてみましたが王道コースはどこもかしこも人だらけ。
風は冷たくて風邪ひきそうになるし、お金はどんどん飛んで行くし、
少しでも脇にそれてみることが、いい観光を楽しむために重要ですね。
★auraの子育て日記(生後5か月半)
赤ちゃんが生まれてすぐ、
そのころはとにかく新米父母にとって全てが初体験だったりするので、いろいろとあたふたすることがあると思います。
赤ちゃんの初めてのおむつ交換もそのひとつ。
ただでさえ、おむつの仕組みから足の持ち上げ方まで分かってないのに、いきなりやってくる最初のおむつ交換は緊張します。
そして、最初のうんちは、真っ黒でしかもお尻にこびりついていたりします。
胎便といって、コールタールとか黒い溶岩みたいな粘り気のあるうんちです。
お尻にゴリゴリにくっついてて全く取れないうんち。どんどん疲れてくる、生まれたての我が子。黒いうんちについて何も説明をしてくれない看護師。
毎回、毎回、こんなにおむつ交換は大変なんだ(;´Д`)と一気にやる気を失っていきましたが、
2回目ぐらいからは普通の、水っぽくて黒くないうんちになってきてほっとしました。
これは、みなさん通る道なんですかね。
No.166⌒★【函館市】プレーリーハウスと宗教建築たち
【建築遺産のlog!】第166号
2018年1月24日
プレーリーハウスとして名高い旧佐田邸は函館区公会堂の近くの住宅地の中にひっそりと建っています。
このプレーリーハウスは国の有形文化財に登録されています。
プレーリーハウスはフランク・ロイド・ライトの代表作として名高い住宅ですが(シカゴのロビー邸)、
函館のプレーリーハウスはそのライトの弟子の田上義也の設計によるものです。
ライトのプレーリーハウスの特徴は、軒や連続窓や外壁によって水平ラインが強調されていることで、
プレーリーというのはアメリカ中西部の、バイソンやプレーリードッグがいそうな大草原とか大平原とかの意味です。
それに比べてこの建物は。
草原に建つような開放感あふれる建物にはとても見えず。
1階は水平線を強調してるのに2階は逆に垂直線を強調している始末。
ほんとうにライトの弟子なんでしょうか…。
まだ、もう一人のライトの弟子、遠藤新設計の旧近藤邸(藤沢市)のほうが、プレーリーハウス感を出していると思います!
見たとおり、これでもかというほどの水平線の量(やり過ぎな気もするけど)。大草原に建っていてもおかしくないような横にすらっと長い邸宅(建ってるのは密集した市街地でした)。
大草原の横になびく強い風や、向こうに見える横一直線の地平線が目に浮かぶようです。
それで改めて函館のプレーリーハウスを眺めて見ても、「プレーリーハウス」と名付けた理由がよくわからないんです。
目に浮かぶのは日本の普通の住宅街です。
でも、住宅として単純にどちらが美しいかと言われれば、函館のプレーリーハウスの方かもしれません。
藤沢市のプレーリーハウスもどきはちょっと雑過ぎる感じがありました。
函館のプレーリーハウスは、日和茶房という名でかつてカフェをオープンしていましたが、閉店してしまって、さらに家は売りに出されていました(その後どうなったんだろう…)。
国有形文化財に登録されたおかげか、1億円ぐらいの値が付いていました。
函館区公会堂の近くには実にたくさんの宗教建築があります。
ハリストス正教会は、周りに建物が密集していないので、空がとても美しく見えました。
礼拝中のため入れず。
うしろにはたくさんの十字架が立っています。
煉瓦造、大正5年築で、重要文化財に指定されました。
カトリック元町教会。
右側の入り口から自由に入っていけます。
ここもたくさんの観光客が押し寄せていました。比較的入りやすい、観光向きの教会なんですね。
狭い敷地にひしめくように教会堂が建っています。
聖ヨハネ教会。
敷地を上から見ると、、十字の形をしている建物でした。
十字の3方は使われていないので、ただ十字の形にするためだけの無理やりな建物です。
昭和54年築のそんなに有り難くない新しめの建物。ここも何度も火災に遭い、今に至ります。
大谷派本願寺函館別院(東本願寺)。
明治40年の函館大火で焼失したあと、RC造で建て直されました。
まったくどれもこれも明治40年の大火で根こそぎ焼失しています。
他の耐火建築は比較的安価な煉瓦造で建て直されているのに対して、このお寺はRC造で建てられました。
ところで、
東本願寺より、東に行ったところにあるのが、西別院(西本願寺)。
東西逆なんですね…。見間違いかと思いました。
京都にある東西両本願寺の間の道を行くと、その先には京都御所があります(ちょっと外れてるけど)。
函館の東西本願寺の先には、赤レンガ倉庫もある、函館港があります!(五稜郭であってほしかった…)
東西本願寺の先には、その都市で最も重要なものが来て、東西本願寺は門のような役割を果たしているのではないか、と考えています。
RC造で建てたお陰で、大建築。屋根も広大で、飛び移れそうなほど近くで屋根を見ることができます。
★auraの子育て日記
ベビーマッサージの体験会に行ってきました(パパ限定の)
20組ぐらいのパパと子が一同に介してマッサージを行います。
パパ限定のはずなのに、みんなママと一緒に来てますが…(*´д`)
どんだけへたれパパばっかりなんだ、ここは。
ベビーマッサージというと、
マッサージされて気持ちよさそうにニコニコする我が子、そのあとうとうとしたりして…かわいい姿を想像して行くじゃないですか。
でも、最初からほぼ最後まで大泣きしていました…。
インストラクターは、「赤ちゃんは気持ちいい時も泣きますからね。喜怒哀楽、すべて泣いて表現するんですよー」なんて言ってたけど
どう考えても気持ちよくて泣いてないだろう、この感じは…(*ŏωŏ*)この泣き方は、どこから見ても、「哀」。
周りの子は楽しそうにマッサージを受けているのになぜ、うちの子だけ泣き続けてるんだろう、と思ってたら、
この前、アンパンマンミュージアムに行ってわかりました。
アンパンマンミュージアムに着いてすぐに不穏に泣き始める我が子…。
ミュージアム内は楽しげな音楽が鳴り響き、狭いスペースにたくさんの人が群がっていました。
そうです。ただ、単純に音楽の騒音がある人混みが嫌いなだけのようです(親に似て)。
親子で原宿に行く日は来なさそうですね。
No.165⌒★【函館市】黄色い縁取りの建物、函館区公会堂
【建築遺産のlog!】第165号
2018年1月21日
函館の街を歩いていると、西からやってきたどんよりとした黒雲が覆いかぶさってきて雪がいきなり降りしきり、しばらくするとまた晴れ渡りました。
函館の天気は変わりやすい上に、変わると大変な気候になるんですね。
函館市電大町駅と末広町駅の間ぐらいにある、小林寫眞館。
建物の前に立っている説明書きによると、
道内にある写真館では最古の写真館らしいです。道内で、しかも写真館限定ってかなり限定された話ですね…。
そしてこの建物も明治40年の函館大火で延焼したので2代目の建物となります。
何より気になるのはこの坂の上に建っている函館区公会堂と同じような、黄色と灰色(?)の組み合わせの外壁。
函館区公会堂はもう少し水色っぽい色で薄い色をしていますが、同じような組み合わせのデザインをしています。
旧函館区公会堂も黄色い縁取りの建物。
この建物の中へ日本人や中国、台湾、韓国などの各国の観光客が次から次に吸い込まれていきました。
函館区公会堂は、重要文化財。やはり明治40年の函館大火のあとの明治43年竣工の建物です。
こうも明治40年過ぎの建物が多いと、明治40年過ぎには建築バブルが起こったでしょうね。
入るとまずは靴を脱いで、上がりましょう。
真ん中にストーブが置かれている広間(大食堂)があって、この建物の成り立ちを学ばされます。
隣の球戯室は、大正ロマンのドレスを着た人たちの撮影室になっていました。
よくよく見ると着付の部屋とかヘアメイクの部屋とかは、小さい部屋なのに人がひしめき合ってます!(他はガラガラ)
まるでここだけスタジオアリスみたいな空間になっていました(ここにいるのはほとんど大人、スタジオアリスはほとんど子供、の違いはあるけど)。
みなさんドレスを着にやってくるんですね。
2階大広間
多少、天井が張りぼてなものの、立派で格式ある建物で、大観光地になる理由もよくわかります。
大正ドレスを着た人たちがたまに恥ずかしそうに紛れ込んできて、踊るでもなくたたずむでもなく、ただ通り過ぎていきました(他の観光客を楽しませんかい)。
ベランダも、黄色い縁取りで、
何よりも函館の港が一望できる絶好の立地。
港に着いた船乗りからも、この公会堂がよく見えることでしょう。
函館区公会堂は、ランドマークとして派手なデザインで建てられたんじゃないでしょうか。
函館区公会堂のすぐ下には旧函館支庁庁舎の青い建物がありました。
柱の裏にベランダの突き出しがあるという変わった建物。柱に遮られて眺めが悪そう…。
設計も家田於菟之助(いえだおとのすけ)という変わった名前の人が設計しています。
やはり函館大火後の明治42年建築。
旧開拓使函館支庁書籍庫。
明治13年築。函館大火でも延焼をまぬがれました!さすが貴重な資料を保存する書籍庫だけあります。
近くにある、石積みが美しい旧イギリス領事館も明治40年の大火で焼失しました。
それ以前にも2度焼失していて、ロシア領事館が焼失したのも、このイギリス領事館のせいです('Д')。
この建物はそのために大正2年築。
木造に見えるものの、3度焼失した歴史からか、煉瓦造で建てられました。
この付近の建物は、毎度明治40年の大火でどうなったのか、気になってしまいます…。
No.164⌒★【函館市】大火と耐火建築。太刀川家住宅、中華会館
【建築遺産のlog!】第164号
2018年1月16日
今の時期、ビールを冷蔵庫に入れなくても冷えてくれるからいいですよね( ´∀`)(ズボラ)。
auraです。今日も相変わらず函館市をお送りします。
函館市電大町駅の近くには、太刀川家住宅(TACHIKAWA CAFÉ RESTAURANT MAISON)があります。
並びには、旧堤商会の古い建物もある、広い海近くの通り。
太刀川家住宅のCAFEは右の建物ですが、左の建物も同じ敷地内に建っている洋館です。
左側の緑の建物は応接のための棟。六角堂にも見えますが、正面だけが六角形(の半割り)で、後ろは長く長方形に伸びていました。
太刀川家住宅(右)は、土蔵風の外観で分厚いうだつが両脇に立っている、これまた和洋折衷の建物。
構造は煉瓦造。
明治33年(西暦1900年)に建てられた、重要文化財の店舗兼住宅。
海上貨物運送や、米などを扱う商家として建てられました。
旧堤商会も北洋漁業の会社。ここは、昔の海岸線沿いにあった建物だったんですね。その後港は拡幅されて、内陸の建物になってしまいました。
この付近の建物では珍しく、明治40年の函館大火前の建物で、しかもそのころからすでに耐火建築の煉瓦造にされています。
煉瓦造にしたおかげで火災の難から逃れられたのか分かりませんが、日頃からの備えの必要性を感じられます。
裏もなかなかいい感じの新築が建っていました。
たくさん車を置ける駐車場。狭い市街地ですが、ここはゆったりした敷地が多い町です。
カフェはドリース式の柱がお出迎え。
気候の良い季節は外でオープンカフェにもなったりするそうです。
tachikawa cafeは雰囲気の良い、入りやすい店でした。
他に何もない場所なのに、お客さんはどんどんと入ってきます。
今日頼んだのは、ジビエの鹿肉料理。歩き疲れていたので、とてもおいしく感じました。
大火が多くて、外国に開かれていたことから煉瓦造建築が多い函館市内。
中華会館も煉瓦造建築で、有形文化財に登録されています。
関羽を祀る、いわゆる関帝廟になっていて、現在は非公開(´_ゝ`)。
ここは、明治40年の函館大火後に建てられた建物になります(明治43年築)
公開されれば入口はこちらになるんでしょうか。
高い防火塀と外壁が一緒になったような、そんな建物ですね。煉瓦の積み方はイギリス積みでした。
敷地いっぱいいっぱいに建っている中華会館の隅には鳩(のオブジェ)が居座っていました。
★*.+゚auraの子育て日記
キラキラネームみたいな子供の名前を糾弾するサイトがあって、
我が子の名前も見事にばっちり載ってるんですがψ(`∇´)ψ、
やはり生まれる前にそのサイトを見た時は心を動かされるものです。
特にキラキラネームというわけでもないのに、そのサイトで晒されている、うちの子の名前…(投票ボタンがあったから「問題なし」を選択してやった)。
その批判の理由は、送り仮名が必須の漢字を名前に使うのはおかしい、みたいなものとか(ぶった斬り漢字)、
音読みにするとこうなるなら駄目だ!みたいな、
何で赤の他人のお前らにうるさく言われなきゃいけないんだ、と今では思えますが、
最初は、自分が言われるのはいいとして、子供を辛い目に合わせたくない。ということで、結構悩んだりするんですね。
そのサイトには、「お子さんの名付けの参考になれば幸いです。妊娠中・出産直後の脳内は妙にドリーミングになっているので、ご注意ください」などなどと書いてあって、あとあと困りますよ、お子さんがかわいそうですよ、ということをクドクドと説教しているしょうもないサイトなんですけど、
生後5ヶ月たった今でも、自分の子供に付けた名前に、後悔はないし、ますます愛着を感じます。
まさに、そのサイト自身が他のお母さんの目を覚まさせることができるんじゃないか、自分たちは絶対正しいことを言っている、と脳内ドリーミングな妄想で彩られてるんでしょうね。
このようなサイトに過度に影響されないほうが、これから生まれてくるお子さんのためです。このサイトに影響されなかったお陰で良い名前が付けられました。
赤ちゃんと一緒に金沢動物園へお散歩に行こう!
金沢動物園は横浜市金沢区にあります。
金沢区は横浜市で最も南の区。横浜市南区よりもずいぶん南にある、事実上の南区です。
南区って、横浜市の中央にあるのになぜか南区という名前が付いているんです。
南区の南には磯子区や港南区や栄区、金沢区や戸塚区があります!( ´∀`)
きっと、南区が誕生した頃は、その南にどんどん新たな区が誕生していくとは考えもしなかったんでしょうね…。
金沢動物園があるあたりの金沢区は横浜市の中でも田舎で、なんとなく栃木とか群馬の雰囲気があります。
寂れた家並が続いて、背後は山。
昔、群馬に住んでいたことがあるので、懐かしささえ感じました。ただ、山道の方へ入っていってもびっしりと家が建ち並んでいるのは、さすが横浜市という感じですかね…(群馬県は山道の方へ入っていっても木しか立ってない)。
金沢動物園は駐車料金を一日600円取られます(前払い制)。
三連休の初日の昼頃行ったのに、ガラガラの駐車場。
この上にも下にも車はたくさんとめられます。山の高低差を利用した、複層パーキング。お勧めは一番上の駐車スペースです。
そしてその駐車場からはコアラ号と名付けられたオンボロバスで入り口に向かわされます。一番上の駐車スペースからはフラットにバス停に到着します。
コアラ号は小さいバスなので親子連れで混み合って、ベビーカーを乗せるのが一苦労かもしれません(どうやら高速道路から来ると、オンボロコアラ号には乗らずに済むらしい…)。
バス降車場から見える大きな門は、動物園の門ではなく、動物園も含めた公園の門でした。
この公園はかなり広大な敷地で、バーベキュー場や長いすべり台などがあり、高速道路の向こう側にも巨大な自然公園が広がっているようです(金沢市民の森)。
門を入るとまずは休憩施設。竹馬ができるコーナー、木のおもちゃで遊べるコーナー、図書コーナーなどがあり、レストランも入っています。
レストランは公共施設の割には少し高めの値段設定なので、みんな結構売店の方でお弁当を広げたり、簡易コンロで自炊してるおじさんもいました。
授乳室もおむつ替えコーナーもありますが、授乳室は雑然とした元事務室みたいな部屋で、おむつ替えコーナーも、トイレ前に無理やりおむつ替え台を置かれただけの簡易なものでした…。
しかもそれらは2階にあるのにエレベーターを使う時は事務員にわざわざ「使うよー」って知らせに行かないといけないシステムなのはおかしなものです(めんどくさいから勝手に使ってやった…)。
動物園は入園料500円。
入り口を入るとそこは……イッツアスモールワールド似のメルヘンなトンネル!(大丈夫かな?)
そしてこのメルヘントンネルが今日のハイライトです。
このトンネルが今日の金澤動物園のハイライトになります。(2回言う)
駐車場のガラガラ具合から想像はしてましたが、やはりガラガラの動物園園内。
客を楽しませるなんて全く考えてないキリンは一番遠いところで何やら食べてはいけない葉っぱをムシってました。ちなみに観客ゼロ。
その隣にいたアラビアオリックスもキリンと同じく、遠くで何やらガリガリしていました。
ズーラシアでは大人気で人をかき分けないと見られないオカピも乳児にはイマイチの動きなので素通り。すぐに通り過ぎて行くので目では追えないようです。観客2人。
唯一人だかりができているコアラ舎も、全く動かないコアラに乳児が反応するはずもなく、ほぼ素通り。コアラのお食事タイム前のようでした。観客20人ぐらい。
たくさんいるけど寝そべってて全く動く気配のないカンガルーも素通り。観客5~6人。
周りの風景と同化して乳児には見分けがつかないシカやカモシカも素通り。
遠くで遊んでるだけのカピバラも素通り。
乳児にはやはり動物園は早かったか、、と嘆いていたら
ゾウだけには反応していました!
ゾウは遠くにいるけど大きくて動きが大きいからです。
それでも、ただ見ている、というだけでしたね。
金沢動物園の園内にも授乳室はあります。
狭いトイレの横で、あまり行く気はしませんでしたが、それでも園内と園外の2か所あることで、授乳場所は気にせずお散歩にはちょうどいいコースかもしれません。
乳児にとって、残念ながら動物は興味の対象ではないようでした。
最初のメルヘントンネルと、太陽の光がいっぱいで暖かい園内を散歩することを楽しんでいました。
※帰りのコアラバスは非常に混みあいます。
No.163⌒★【函館市】西の端の建物たち。大正湯、ロシア領事館、堤商会
【建築遺産のlog!】第163号
2018年1月11日
有形文化財だらけの高龍寺もある函館の西の果ての地区(坂が美しいことで有名な地区)には、他にもたくさんの建物があります。
大正湯は、函館らしく和洋折衷の銭湯。
市電の「函館どつく前」から徒歩200mぐらいで行きつけると思います。(「函館どつく」は造船関連の会社らしいけど、読み方は「函館どっく」らしいです…。)
大正湯の下屋と格子は日本風、外壁と二階窓は洋風、屋根は和瓦。
変態的な組み合わせの建物ですが、幸いなことにピンクの外壁と縦長窓が目立って、それなりの洋風外観になっています。
自動販売機もピンク色で、庇の色と同じ自動販売機用の屋根も付いているところがいいですね。こだわりを感じます。
大正湯はその名の通り、大正3年(1914年)の創業。440円で入れます。
大正湯の近くにあったみかづき工房。
雑貨店兼カフェ兼ギャラリーのお店です。
これも左側が和風、右側が洋風の和洋折衷でしょうか。
風向計が付いていたりして、ほのぼのした雰囲気の建物です。
ロシア領事館は恐ろしく急な坂(幸坂通)の途中にありました。
ロシア領事館は昔々は、現在のハリストス正教会がある場所に建っていたらしいですが、火事に遭いこの場所に移転してきました。
その移転先の建物も明治40年(1907年)の大火で焼失し、現在の建物は焼失したあと1年余りで完成させた建物です。
よくよく火事に見舞われたロシア領事館ですが、
この明治40年の大火というのは函館のくびれ辺りから出火して強い東風によって西側の地区を中心に焼き(焼失戸数9000戸弱)、この辺りの建物のほとんどはそれ以降に建てられたものだそうです。
そういえば、大正湯は大正に入ってすぐの建物、裏にある高龍寺もほとんどは大正期の建物です。
この大火に懲りたのか、高龍寺は寺院ながら珍しく煉瓦塀を明治43年に建てて完全防御態勢を敷いています。土塀じゃ心配だったんですね(土塀といいつつ木も使うから燃える)。
ロシア領事館の設計はドイツ人リヒャルト・ゼール。
ゼールさんは千葉市の千葉教会なんかも設計した方です。
和瓦を使ったりわずかに日本的なところも感じられる教会。
ロシア領事館もよくよく見ると唐破風みたいなものが玄関の庇に付いていますね!
少しだけ日本のものを取り入れるのが、彼なりの流儀かもしれません。
ゼールは明治36年(1903年)にドイツに帰国しているので、火災に遭う前のロシア領事館を設計し、これはその再建建築物だということになります。
函館市電を渡って、海の方に行くとある佐藤商会さんの建物(左側の洋館)。昔は堤商会の建物でした。
この建物もやはり大正16年頃の建物。この辺りは大正に入ってから、一気に建物が建ち並んでいったのが目に浮かぶようです。
堤商会は今でも450円ぐらいで売ってる「あけぼの印の鮭缶」などを販売していて、その後ニチロ(日魯)という社名になり、2007年にはマルハと合併してマルハニチロとなりました!
日魯の魯の字は、ロシアの魯でもあり、魚が文字の中に入ってることから魚を取り扱う会社としては良い文字です。
堤商会が創業したのは明治39年。
その前年の明治38年にはポーツマス条約調印によって南樺太を日本が獲得し、北洋漁業が盛んになりました。
それと同時に創業し、あけぼの印の鮭缶やカニ缶などを売り出して文字通り波に乗り出したころにこの建物が建てられたのです。
大火があってもさらにたくましく復興・発展して行ったのが、函館の西の地区です。
★*.+゚auraの子育て日記(生後5か月になる前)
この前、子供に風邪をうつされました。
まったく、人が目の前に居ようと居まいと構わず咳もくしゃみもしやがるんです…。
でも子ども自身は発症してないので、他からもらったものかもしれません。
それとも、風邪のウイルスは保菌しているけど発症しないスーパーマン乳児かもしれません。(生後数カ月は風邪も引かない強靭な体らしいです)
そういえば、病気といえば、この前子供の目やにがひどいので夜間救急にかかってみたら、軽い結膜炎か何かでした。
原因は不明なものの、ぼくの中で怪しいと思っている原因は、ベビースイミングです。
ベビースイミングってぼくは連れて行ったことはないけど、母親と一緒に週何回か行き始めました。
〜〜ここから妄想〜〜
ベビースイミングって、たぶん、乳児が10人ぐらいと父母たちがプールに集まって運動とか体操とか水中遊びとかをするんだと思いますが、
乳児というのはところ構わずおしっこもうんちもする生き物なので……プールの中は結構汚染されていくと思います。
いくら塩素殺菌したとしても追いつかないほどの汚染物質(おしっこやうんちやその他病原菌)。
その水をみんなでぐるぐる遊びして撹拌した上で、
顔を水に付けてみましょう!の号令のもと汚染水を顔に浴び頭にも浴びて口の中にも入ったりして………(*´>д<)
乳児はプール後、目を洗うこともできません。見事に眼病ベビーの出来上がり!
〜〜ここまで妄想〜〜
という…以上、完全な妄想のお話でした(このお話はフィクションです)。
ベビースイミングってベビーにとってはいい体験ですね( ´∀`)。
No.162⌒★【函館市】文化財の宝庫高龍寺
【建築遺産のlog!】第162号
2018年1月8日
高龍寺は、防火壁の煉瓦塀だけではなく、山門も国登録有形文化財です(横の袖塀も含む)。
立派な八脚門。
本堂も有形文化財。
本堂は完全に冬支度されていました。
本来ならば吹き抜けの正面が、仮囲いと仮入り口で仕切られて寒風が入り込まないようになっていて、寒さや積雪を気にすることなくお参りができます!
残念なことは、仮設の入り口が安っぽさ満点のアルミサッシを入れられていることですかね…。
アルミサッシ戸が開くと、本来の姿が垣間見えました。
本堂の隣にある、この開山堂ももちろん有形文化財。
普通に木造かと思いきや、珍しく煉瓦造。
建てられたのは、明治の30年頃。
大火が続いた、函館市内なので
これも防火のためでしょうか。
手水をする水盤舎ももちろん有形文化財。
その後ろにある位牌堂及び金毘羅堂も、言うまでもなく有形文化財。
位牌堂と金毘羅堂も冬支度を完了して、サイボーグみたいな外観をしています。
鐘楼も、、当たり前ですが有形文化財です(*‘∀‘)
高龍寺には他にも有形文化財建造物があり、その数は10に達します。
全体的に、細部の意匠が見事だとか、防火の概念を持った建築物だったりの歴史を評価されたものだと思います。
歴史の少ない北海道なので、ここにあるものは明治に入ってからのものですが、風が強く大火がよく発生した函館では、とても貴重な建築物群かもしれません。
★今日の猫=^_^=
のらネコが、ちょっと目を離した隙にベビーカーに乗って寝床にしようとしていました
(`´)。
最近はもふもふな毛布を着けているので、寝床にしたいのも分からなくはないですが、
少し目を離しただけで乗って来るとは…(`´)。
横浜にだけ猫が多いのか、全国的に猫が飽和状態なのか、とにかく毎日毎日たくさんの猫を見かけますね、最近。
猫が多い理由はただひとつ、エサをやる奴がいるからです(`´)。
近くの寺の前に住んでる奴が盛大にエサをあげています。そしてお隣さんと、上の階の人がエサをあげています。それから前の家の人とそのさらに向こうの家の人、後ろの家の人と、そのさらに向こうの家の人がエサをあげている気配があります!
そのせいで家の周りはうんこだらけになり、
借りている地下駐車場も糞だらけです。
地下駐車場はあまりにも猫の苦情が多いのか、入り口にまずペットボトルがずらりと置かれていて(夜行性の猫には効果があるはずもないと思うけど…)、
猫除けの超音波がどこかから出されていて駐車場に入る時いやな音がします。
それから最近は辻々に猫除けハーブのようなものが置かれ始めました。
それでも、猫は何事もないかのように地下駐車場へ出入りして、ぼくの車の後ろで糞をしていくのです。