建築遺産のlog!

世界中の建物に行けるといいな

No.133⌒★和洋の建物【桑折町】旧伊達郡役所

桑折町のメインストリートの終わりの方には大野屋という菓子店があって、

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有名な大野屋のあんぱんが売っています。

新生児の手ぐらい小さなあんぱん。つぶあんではなくこし餡で、思い描いているあんぱんとは違う味だと思います。

銘菓ひよこにごまを付け足したような味ですね。

餡子好きで買った人には、思いもよらぬ結果になると思います(´Д⊂ヽ

大野屋さんは、和菓子だけでなく、洋菓子も売っていて、どちらかというと洋菓子の方に力を入れている感じがする和洋菓子店です。(和菓子コーナーは心なしか暗かった…)

 

そんなメインストリートの終点の、

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突き当りに見えるのが、旧伊達郡役所の建物です。ちなみに右奥のピンク色の建物があんぱんの大野屋さん。

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復元塔屋が美しい旧郡役所の建物。

今は伊達市になっている保原町から移設してきたもののようです。

かつては郡家(こおりのみやけ)があった桑折町(こおりまち)には郡役所は当初なかったんですね…。

それでは「こおり」町の名が廃る、ということで移設を熱烈に推進してきたんでしょうか。

 

建物は木造2階建て、洋風の外観ですが、屋根はばっちりと和瓦の和洋混交で建てられれた、擬洋風建築です。

塔屋の下にもお城によくある三角の千鳥破風らしきもの(入母屋破風?)が乗っていたりします。

 

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中は展示スペースとなっていました。

こざっぱりとしたデザインの内観。天井はわずかに持ち上がっています。

 

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2階は郡の会議場で、ダンスホールのような広いスペース。

わずかにステンドグラスがあり、折り上げの天井。塔屋へ上る階段(立ち入り禁止)。

全体にやはり小ざっぱりしています。

 

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照明の天井には絵が埋め込まれています。

ところどころ、郡の住人に税金の無駄遣いだと睨まれない程度に手をかけています。

 

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郡役所が付き合たりに建っていたので、

会議場から出られるベランダから、桑折町の町並みをまっすぐに見渡すことができます。。

ピンク色の大野屋も近くに見えると思います。

 

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雲形のデザインは、

お寺でよく見かけるデザインをデフォルメしたもののような気がします。

 

大野屋も伊達郡役所も、和洋混交の、どちらかというと洋風押しなのです。

 

★auraの子育て日記

新生児は、世間的に、人気があります!

なぜなら、新生児は希少価値が高いのです。

普段、見ることのない新生児。

新生児は何をしているのかというと、家で寝て母乳を飲んでまた寝て母乳を飲んで過ごしています。

そして母親も育児疲れを起こしていたり、首が座ってないぐらぐらの状態でこわくて外出できないので、町で見かけることは少ないでしょう。

新生児期の小さい赤ちゃんは体重が数か月で倍増してしまうため、その小ささは両親親族だけが見られる特権です。

そのため、たまに無理して町へ出て行ってみると、希少価値の高い新生児はチヤホヤされたりするのです…。

No.132⌒★無能の寺【桑折町】

福島駅からJR東北本線で3駅目の桑折

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房総半島の駅っぽい雰囲気の駅です。

桑折がある桑折町福島から二つ目、日本橋からだと55番目の奥州街道の宿場町で、

むかしむかし、郡家(こおりのみやけ)という郡の役所がおかれたことから、「こおり」という地名が付けられ、桑折の字が当てられました。

福島県郡山市も、おそらく郡家がおかれてたので、郡山の名前が付いたものと思われます。

「桑」の字が使われている通り、

桑折町がある伊達郡一帯は、桑を食べる蚕、つまり養蚕が盛んだった土地で、

蚕の卵を売り買いして大儲けする豪商などもいました。

今は伊達市になっている梁川町は、蚕都とも呼ばれました。

 

桑折町は人口12000人で漸減していて、

駅からやや離れたところに、あまり活気のあるとは言えないメインストリートが広がっています。

 

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そのメインストリート沿いにある、無能寺。

無能寺の「無能」は、この地方で有名だった僧の名前で、

多い時には1日に10万遍の念仏を唱え、生涯で数億遍の念仏を唱えたという、

決して無能ではない僧侶・無能のお寺なのです(`・ω・´)

ちなみに弟子は不能というらしいです…。

名前は、、、何とかならないんでしょうか…( ´‐`)。

 

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立派な門を潜って行くと、

 

 

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これまた立派な松が現れます。

笠みたいになっている笠マツと呼ばれるアカマツですが、

明治天皇がこの下でお休みになられたあと、晴れて「御蔭の松」と名付けられました。

 

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四方どこから見ても美しい御蔭の松。

樹齢は推定で約400年。僧無能が亡くなったのが1719年のことなので、没後約300年。

この松は、無能が何千何万何億遍も念仏を唱えていたのを聴いているはずです。

案外、その念仏に救われて美しい立ち姿を得たのかもしれません。
 

★*.+゚auraの子育て日記

馬の子は生まれたその日に歩けるというのに、我が子は…。

 

生後一ヶ月経って、母乳を飲むのが若干上手になって、

わずかに体を斜めにして寝ることができるようになり、

やや夜は長めに、昼は少なめに寝るようになってきた、、気がする。

くらいの成長しか感じられません(˘•ω•˘ )

 

生まれてすぐに歩いて何やら偉い言葉を叫んだ釈迦はなんてすごいんだろうと思いながら、

全く歩きもせず言葉もしゃべれない子どもを前に、変化があるのか無いのか分からない毎日を過ごしています。

外的な変化はありますけどね。

一緒にお風呂に入れるようになったり、

外出がようやく解禁されたり(してたけど…)、

「1ヶ月から」と書いてあるベビーカーに乗れるようになったり…。

内的には…あまり変わってない気がします。でもよくよく見ると顔が大きくなったような…。

No.131⌒★里見家の終わりの城【館山市】館山城

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館山駅から南に2㎞歩いたところにある、館山城。

 

館山駅から館山城方面のバスがほぼ無いことで観光地としての力の入れなさが分かります。(結局往復とも歩いて行った…)(そもそも館山城行きのバスは無いかも…)

 

館山城の入り口についたら、まず階段100段コースか、スロープコースかの選択に迫られます。

まあ、お好きな方で良いと思いますが、階段100段コースを進んでみましょう。

ちなみにスロープコースで行った場合でも、少しは階段があり、きつい斜路でとても疲れます。

 

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階段100段コースから行った時にだけ見られる、孔雀園。

暑さのためか、自分から土に生き埋めになって過ごしていました(´Д`)。

もっと日影で掘ればいいのに…。

 

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無料で入れる、というところはいいんですが、大変地味な園で、

お客さんもゼロでしたね。

羽を広げている、やる気のある孔雀もゼロでした…(´Д`)。

 

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階段は本丸まできっちりと100段!(101段だったかも)

しかし斜路もだいぶあるので、少し疲れる登城です。

 

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100段(か101段)登った先には館山城天守が待っています。

建築的にはどうということのない、RC造の再建の城で、どういう外観の城だったかもわかってないそうです(つω・`。)(つまりテキトー)

中は、里見八犬伝の博物館のようになっていました。

 

里見氏は、館山市稲村城を居城としていましたが、

その後、勢力の拡大によって房総半島中央の久留里城や佐貫城を居城としていて、

館山城が居城になったのは、秀吉の怒りを買って安房一国に押込められてしまった時代のことなんですね…(´Д`)。

 

安房国を守るにはいい城なのかもしれません。

安房から出て行って、関東の覇権を争うには、南過ぎる城なのです。

稲村城を出発した里見氏は、国勢拡大で北へ北へ進出していったものの、最後は館山城まで戻され、ついには改易されて滅んでしまいます。

 

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天守を越えた先の小道を通って行くと、

 

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徳川幕府により改易された当時の里見八遺臣の墓と呼ばれるものが残っています。

この八遺臣が、南総里見八犬伝のモデルともされていますが、里見氏の終わりを物語るものです。

 

★*.+゚auraの子育て日記

 

ベビー用にわざわざ作られた商品ってありますが、

 

ベビー石鹸とか、

ベビーシャンプー、

ベビーハンドソープ、

赤ちゃんの純水とか、ベビー麦茶とかベビーほうじ茶とか…

本当に必要なのはどれなんでしょうね。

ベビー石鹸と普通の石鹸はいったい何が違うのか、赤ちゃんの純水っていったいなんなのか…それはただの水ではないのか、

何だか騙されてる気がするのがベビーグッズ業界なのです…(`ω´;)買うけど

 

No.130⌒★館山つわもの夢の跡【館山市】

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本丸下の急斜面を下ると、謎の鳥居が立っています。

麓には貴船神社があるので、その鳥居でしょうか。

まだ道が続いてたので、城へ行く道は何本もあることになります。

 

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本丸とは反対の方に行くと、

「正木様」

の看板があって、果樹園が広がっていました。

お城の域内にも私有地が広がっているということで、城を感じさせるものはわずかに残る石垣にしかありません。

 

里見家の重臣に正木という人物がいますが、まさかその子孫かな?('Д')

 

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登って来た方とは反対側に進んでみると、

また昔の石垣が続き、

 

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土盛りの通路が続いたあと、

 

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駅に近い方に出ました(´Д`)。(あっちの小高い方が稲村城一帯)

駅から遠い方へぐるっと回って上り、駅へ近い方へ出てしまったようです。

 

つまり、稲村城へ最短で行くなら、

九重駅の北側の道を西へ行き、

128号線に出る前の踏切を渡って

一つ目の道を右へ。

あとはいっぱい立ってる「稲村城はこちら」看板を頼りに進みましょう。

 

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さらに、出入りしてはいけないと書いてある九重駅の南側の通路から…

城へ向かうとより近いですね(*‘∀‘)。

 

…というのは嘘で、遠回りしても北側正面口から出入りしましょう(当ブログは法令を遵守致します)。

 

九重駅からは館山駅へ戻ります。

 

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館山市内にはいくつか近代建築があります。

これは、館山駅から東に数百m歩いたところにある、安房南高等学校の旧校舎(普段は立ち入り禁止)。

近代建築にはなぜか多い、ピンク色の外壁左右対称の外観で優雅な姿を見せていて、特別公開の日だけ入ることができます。

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桜の季節に行くと、ピンクの外壁にピンクの花で彩られるんでしょうか。

この位置に、桜の木はなかった気がしますが、まあいいとしましょう。

 

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手すりのデザイン。

 

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天井は少し高い気がします。

安房南高校出身という、鈴木おさむさんやYOSHIKIもここで勉強したんでしょうか。

お城だけでなく、ここにも夢の跡がありました…。

 

★auraの子育て日記

新生児は夜も昼もありません。

新生児に夜、寝てもらうためには、

夜というものを認識してもらう必要があります(`・ω・)

 

認識してもらうための苦労の歴史を書いてみると、

・夜は10時には消灯。

・夜は10時にはテレビオフ。

・8時過ぎにお風呂に入れない(目がランランとします)

・寝る前にたっぷりミルクを飲ます(お腹いっぱいでうとうとさせる)

・夜は赤ちゃんベッドにカーテンをかけて暗くする

・朝お風呂に入れる(夜風呂がだめ?)

・やっぱり夕方にお風呂に入れる(夕方泣くので)

・夜はやっぱり9時に消灯(←今ここ)

 

 昨日はお陰で夜は3時間は寝るようになってくれました。

1時間置きに起きる最悪の状況は脱しました(´Д`)。

赤ちゃんに寝てもらうためには、

お前ら(両親)も規則正しい生活をしろよ、ということですね。

No.129⌒★内房線南の果ての稲村城【館山市】

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九重駅から西にある稲交差点の方へ向かいます。

今にも雨が降り出しそうに、空がどんよりしています。

房総半島は山がちな土地なので、気がつけばすぐに黒い雲に囲まれます。

この日は曇り、降水確率20%だったのに、すでに不穏な空気。

 

稲交差点からさらに西へ300mほど歩いて脇田瓦店の細い道を南へ。

細い踏切を渡ってしばらく行くと

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「稲村城跡はこっち」

の看板がちらほら出てくるようになるので、看板に従いましょう。(すでに多少道に迷うかも)

 

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稲村城はこの細い通路を通って行くようです。

 

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その細い道はすぐに暗い道へいざなわれます

(;´・ω・)。

 

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暗い道の中。

岩を削り取って造ったような通路ですね。

稲村城は天然の要塞だったんでしょうか。

 

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黒い蝶がこの暗い石壁にはよく似合います。

 

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道は二手に分かれていて、本丸方面に進みました。

比較的明るい、根の道を進んで、

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また暗い道。顔の辺りに大きな蜘蛛の巣トラップもあるので、ゆっくり歩きましょう。

 

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竹のトンネル。

めまぐるしく道の表情が変わる城の道です。

 

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急激に明るくなってくるこの先が、

目的地の本丸跡になります。

 

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草だらけの本丸跡。案内板が立っている他は特に何もない台地でした。

案内板によると、

この城は前期里見氏の居城で、

内紛によってもっと北の方の南房総市に居城は移ってしまいました(ちなみに館山市の北も南も南房総市)。

里見氏がいた安房国は、南房総市館山市鴨川市を合わせたぐらいの房総半島南端の地域。こんな山ばっかりの地域の大名が、北条氏なんかと関東の覇権を争っていたんですね。

この城が里見氏居城だったころ、扇谷上杉氏などの関東諸勢力と結んで品川を攻撃したりしています。

館山は房総半島の南の端ですが、

海を渡れば、すぐに鎌倉や江戸、小田原と通じる、実は重要拠点なのかもしれません。

 

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しかし今やその居城があった辺りは、電車の乗客も100人ほどしかいない、ただの田舎になってしまいました。

 

おっ、内房線の電車がやってきました。

 

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まあ、電車が走る音だけが聞こえるのどかなお城なのです。

 

★*.+゚auraの子育て日記

 

赤ちゃんのうんちが出ないときは、

肛門刺激をしてあげますが、

刺激をした末、出てくるうんちの速度は、音速ぐらいあります(´Д`)。

肛門を刺激していると、まず、うんちが超高速で出て来たかと思うと、

少し経ってから「ぶりっ」という音が聞こえてくる感じです(知らんけど)。

そして自分の手も床も家具も、いつの間にかうんちまみれになって慌てふためくことになるのです。

 

そんなことにはなりたくないので、オムツにうんちが入ってた時はがっかりせずに、喜びましょう。

肛門刺激はせずに済んだと…。

No.128⌒★東京湾フェリーのススメ【館山市】

東京・横浜から、JR横須賀線か、京急久里浜線に乗って、

久里浜京急久里浜)駅まで行き、

徒歩か京急バス久里浜港へ。

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そこから東京湾フェリーで、対岸の南房総へ~という旅を今まで何度してきたことでしょう…。

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石堂寺に行って通り雨で苦しんだ時とか…

 

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鴨川で鯛と戯れた時とか…

 

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醤油を買いに行っただけの時とか(まだ使い切ってない…)、

 

短期間に何度も行ったものです。

というわけで、フェリーでまた房総へ渡ってみましょう。

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まあ半分はこれが目的ですね…。いわしバーグとつみれとお酒。

海の景色を眺めながらの飲食はいいものです。

 

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今日は珍しく船の上で海鳥が休んでいました(お菓子目当て)。

口ばしの先が少し黒いから、どこにでもいるウミネコくんですね。

 

久里浜港から約30分、金谷港に到着すると、JR浜金谷まで歩いて10分ほどですが、この日は電車の到着まであと6分ほどだったので、着岸した瞬間から猛ダッシュ!

もう一人、おじさんも猛ダッシュしていました。(途中、へたばってた)

 

フェリーとJRは全く連動していないので(ライバル?)、駅で長い間待たされたり、ギリギリだったり、とても不便です。

もちろん、ぴったりに来てくれるときもあります。

フェリーの乗客があまりいないのは、こういう不便さが大きいのかもしれません(あとは電車で行けるスポットが房総半島に何もないこと)。

 

その、ギリギリ駆け込んだ電車で館山駅まで下ったあとは、内房線に乗り換えて鴨川方面へ。

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館山駅の次の駅の九重駅(ここのええき)で降りました。

 

この駅は、

北側にしか出口が無いんですが(無人駅)、

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南側にもこっそり出口があります。

 

が、

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ここからの立ち入りは禁止だそうです

(´Д`)。

こんなにばっちり開口してるのに…。出るのはいいけど、入るのはだめ、ということでしょうか。

 

この駅の乗車客数は、1日たったの約100人だそうです。

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それでも駅舎は木のルーバー外壁+ガラスのモダンなもので、乗車客数100人の駅とはとても思えません。

いったい、建設費を返済するのに、何年かかるんでしょうか。

 

…その九重駅からは西へ、西へ歩き始めました…。

 

 

★*.+゚auraの子育て日記
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泣いている新生児はどうやったら泣き止むんでしょう。

泣き止む方法を探ってみました。

 

・ガラガラで音を鳴らしてあやす(泣き止み率0%)。新生児は完全無視です。

 

・縦に抱く(泣き止み率10%)。オーソドックスなのに全然泣き止みません…。

 

・横に抱く(泣き止み率3%)。同じく全然泣き止みません(T_T)。

というより授乳の体制と同じなので、食事の時間か!と勘違いしてさらに泣きわめきます。

 

・自分の体とは垂直に、頭とお尻を支えて抱える(泣き止み率60%)。空中に浮かんでる感じがお好きなようです。

 

・くっつけた自分の両ひざの上に寝かせる(泣き止み率75%)。ひざの温もりで?泣き止む確率が非常に高いことがわかりました。

 

・腰のマッサージをする(泣き止み率50%)。腰をゆっくりぐりんぐりん回してあげます。彼らは寝たきりです。乳児とはいえ腰のマッサージは至福の時なのです。

 

・手を包み込むように握る(泣き止み率40%)。たったこれだけで!

一番楽な方法ですね。真夜中で疲れ果ててる時は真っ先に試し、成功したらシメシメと思いながらまた寝ます。

 

まあ、お腹がMaxに空いてるときは上記どんな方法も受け付けません。

No.127⌒★藪に埋もれた史跡【鎌倉市】大仏切通、北条氏常盤亭跡

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鎌倉の観光名所、鎌倉大仏高徳院)(大仏殿は国指定史跡)。

鎌倉大仏は、諸仏の中の王、全ての仏の生みの親とも言われる阿弥陀如来です。

 

釈迦は紀元前に入滅(死)してしまい、次の仏として現れる予定の弥勒菩薩が56億7千万年後という救われないこの世の中、

唯一入滅せず未だに宇宙に君臨しているはずの阿弥陀如来

我々は阿弥陀如来様を信仰していくしかないんじゃないでしょうか(仏教徒であれば)。

そう思うと阿弥陀如来信仰の教団は理にかなっているのかもしれません…。

 

大仏殿を出て、そこから西の方に歩いて行き、

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隧道の手前のこの細い階段を登って行きます。

 

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で、現れるのはやはり道なき道。

鎌倉市のハイキングコースにもなっているくせに、

鎌倉市の山道は険しいことが多く、かなりの確率でこういう道に遭遇します…(´Д`)。

 

こんな道を歩いていてすれ違う人のうち、半分ぐらいは外国人だったりします。

日本人はいったいどこで何をしてるんでしょう。

 

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歩いて10分も行くと現れるのが、大仏切通(国指定史跡)です。

もはや切通か、普通の山道か分からない、見るべきものもない、大仏切通

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わずかに大仏切通の碑だけが、ここが切通だということを分からせてくれます。

 

その大仏切通から、元来た道を少し戻って、別の道へ向かいます。

住友常盤住宅という団地に出る道があるので、そこから下り、

しばらく歩くと、

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北条氏常盤亭跡(国指定史跡)があります…(;´・ω・)。おそらく、この先に…。

 

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見渡す限りの、藪。

 

藪と藪の間には蜘蛛の巣トラップがたくさんあって、靴は糸だらけになります(精神的ダメージ)。

どこが史跡なのか分かりませんが、藪にうっすらと道筋が見えるので、

その道筋を進んでいくと(何度も帰りたい気持ちを抑えて…)

 

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常盤亭跡と思われる場所にあるやぐら(墓)に辿り着きました(*‘∀‘)。

常盤亭跡は、鎌倉幕府の居館があったところ。それで、この場所は「タチンダイ」と呼ばれています。

タチンダイとは館ん台、館があった台地ということなんでしょう。

大仏切通から市街地へ抜けていく途中にあるので防御施設も兼ねていたかもしれません。(鎌倉大仏殿高徳院もそうかも…)

 

北条氏は後に没落し、館があった場所もこうして藪に埋もれてしまいました。

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帰りは、また、この藪を戻って行くと思うと憂鬱になります…。

 

常盤亭跡の車道の入り口近くには、おじさんたちがたくさんいて、

「今から常盤亭まで草刈ろうとしてたんだけど、今行ってきたんかい。

草ぼうぼうだったろう…ちょっと来るのが早かったなあ('∀`)」

って笑われました(´Д⊂ヽ。

 

ここへ訪れるにはタイミングが必要なようです。

 

★*.+゚auraの育児日記

世のマタニティたちや、その夫などには、

実にいろんなところから試供品のプレゼントが、もらえます。

アカチャンホンポに入会すれば豪華プレゼントが、夫にも父母にも同じくプレゼント攻勢。

アカチャンホンポで健康相談しただけで、なぜかプレゼントが…。

すごいぞ、アカチャンホンポ(*ノ´∀`*)ノ

 

しかし、そんな試供品なぞ帳消しになるほどお金がかかるのが出産前後です。

あまりに買いすぎるので、nanakoカードとアカチャンホンポカードと西武ミレニアムカードの奇跡のトリプルポイントゲッターで対抗しています。

(セブングループの思う壺かも)