建築遺産のlog!

世界中の建物に行けるといいな

No.122⌒★江戸の現役護岸【指宿市・鹿児島市】うなぎ末吉

指宿の帰り。

田舎なのに混み合って座れない各駅停車で鹿児島方面へ戻ります。

高校生ががんがん乗って来て、とても座れない指宿枕崎線。高校生はどこでもいますね…。

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途中で降りた宮ヶ浜駅はどうやら長渕剛ゆかりの土地らしいです。

「鶴になった父ちゃん」という歌に宮ヶ浜のことが歌われています。

”幼い俺を父ちゃんはバイクに乗せて 宮ヶ浜にいつも連れてってくれた

浜の西に沈む夕陽が赤く揺れていて 海よりも限りなく優しかった”

という詞の部分ですが、

歌詞を読んでいく限り、亡くなった父親を偲ぶ歌になっています。

浜は東にあるので山の方へ沈んでいく夕陽が残念ですが、それはそれで神々しい光景だったのでしょう。

 

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駅前にはいもあめを売っている坂本いもあめ店が続いています。

明治創業で、鹿児島ではいくらでも手に入るさつま芋を使って作られたいもあめで、

ものすごく気さくなおばあちゃんが出迎えてくれます。

イントネーションがすごく可愛いですね、この地方の方言は。

 

ただ、いもあめを3つも買ってしまった結果、、、食べきれませんでした(´Д⊂ヽ

粒の一つ一つが大きくて、なかなか食べ終わらない、いもあめ…。

自分用には1袋でいいかもしれません。

 

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宮ヶ浜には、江戸末期に築造された防波堤が残っています。

雁木状の防波堤。階段状になった形を雁木状と言い、防波堤の先端がそのような形になっているようです。

その防波堤が未だに現役で使われているので、国指定史跡となっています。

 

しかし、遮るもののない港。35度の猛暑で、熱中症寸前になったので急いで退散しました。

防波堤の反対側の先っぽでは少年が二人、この猛暑の中、釣りをしていました。大丈夫か、あの少年たち…。

 

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そういえば、鹿児島港にも江戸~明治頃造られた港湾施設があって、こちらは重要文化財に指定されています。

 

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こちらも雁木状の石積み。こうすることで、海の方へ降りていくこともできますね。

 

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この日はここまで回ったところで力尽きてしまいました。

鹿児島随一の繁華街天文館にある、うなぎ屋末吉。

ここではうな重を頼んでもうなぎとご飯が別々に出てくるので、最初は食べ方に戸惑います。

うなぎ→ご飯→うなぎ→ご飯の順番に食べればいいのか、それともうなぎをご飯にかけるのか…

ビールを飲みながら一つ目のうなぎを食べ、残りはご飯にかけて食べるとか、お好きな食べ方でいいと思うんですが、正解は何なんでしょう。

うな重は松竹梅の松でも2760円。焼き方はもちろん西日本風の香ばしいうな重

おいしすぎて、次の日の昼と夜にも行ってしまいました…(*‘∀‘)。

 

★*.+

大河ドラマにもなった「天地人」っていう小説。大河ドラマブランドで間違いないだろうと思って読んでみたら、びっくりするほど面白くないですね…。

波風立たず秀吉の軍門に下る上杉家。波風立たず会津に移封される上杉家。盛り上がりもなく終わってしまいました。

なぜ、これが大河ドラマに…。

No.121⌒★日本のポンペイ【指宿市】橋牟礼川遺跡

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東京よりは平均気温がだいたい3℃高い指宿市

もし、地球温暖化が進んだとしたら、東京も指宿のようになってしまうんですね。(温暖化してるかどうかは別として)

 

それにしても、すさまじい暑さです(´Д`)。

遮るものが無い町。エアコンが効いた、気軽に休めるところのない町。

そんな指宿の観光の目玉は、砂蒸し風呂です…(´Д`)。

 

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砂蒸し風呂は、名前を聞いただけで汗が噴き出てくるので、近くの橋牟礼川遺跡へと向かいました。

橋牟礼川遺跡国指定の史跡指宿駅からは、南へ500mほどの距離です。

2ヘクタールある、とても広い公園ですが、草刈りのおじいさんとぼくの二人しか、ここにはいませんでした。

草刈りのおじいさんは、作業小屋のまわり数メートルだけ一生懸命草刈りしていました。

やばくなったらいつでも小屋に逃げ込める態勢ですね、さては。

 

橋牟礼川遺跡は、縄文時代から平安時代ぐらいまで連綿と続いた集落で、

ポンペイのように開聞岳の噴火で埋もれた遺跡ではないかと言われています。

鹿児島では、桜島が鹿児島湾を形作り、最南端では開聞岳が指宿一帯を形作ったので、あんなにいびつな形をしているんですね。

大噴火の日は分かっていて、西暦874年の3月25日(旧暦3月4日?)に開聞岳の大噴火は起こりました。平安時代の、遣唐使が廃止される前の国風文化が生まれようとしている時代でした。

そこから時が止まり、今また土器など日の目を浴びることとなった貴重な遺跡なのです。

 

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もこもこした暑苦しい感じの竪穴住居。

そんな竪穴住居たちが公園内に点在しています。

竪穴住居の中も、日陰で涼しいかと思いきや、すごい暑さでした。

噴火でそのまま集落が残ったとしても、茅などは無くなっているだろうし、本当に、このような形をしていたんでしょうか…。

 

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暑いのでたまらずビールに逃げこむ結果に…(´Д`)。

 

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駅の西側にある長寿庵という和食処で、豪華な内装の店内です。

指宿駅は東にしか出口がなく、トンネルを潜らないといけない西側には観光客は来ないので、長寿庵は地元の人たちでにぎわっています。

 

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その長寿庵には、そぼろ+温玉の「温たまらん丼」という丼ぶりがありました。

たしかに、そぼろの濃いめの味と温玉がマッチしたたまらん味です。

暑い中、歩きまわった甲斐があったと思う瞬間です。

No.120⌒★指宿の玉手箱号で指宿へ【指宿市】

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鹿児島中央駅から出ている「指宿の玉手箱」号。

夏休みだから、チケット入手困難なほど人気!で、2週間前から予約が必須!ネットでチケット買えば10万円のプレミア!かと思いきやあっさりとチケットは取れました(20分前に)。

思えば、指宿の観光地と言えば、考え着くのはほぼ砂蒸し温泉のみ!

夏の暑い日にわざわざ指宿に行こうとする人はいません!(たぶん)

というわけで、いぶたま号で夏の指宿へ~。(←夏に指宿へ行こうとする人)

 

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指宿の玉手箱号は、九州ではもはや珍しくない水戸岡鋭治氏がデザインしただけあって、

近年の水戸岡デザインらしく、木のぬくもりあふれた車内になっています。

指宿の玉手箱号は2011年に運行を開始し、鹿児島中央~指宿間を走っています。

指宿まで、大きな駅は無いので、ほとんどの人が指宿まで向かいます(どこかで停車した気がする)。

 

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席はだいたい二人掛け。

今回は一人で行ったので、隣は知らないおっさんになってしまいました…。

この電車には、偶数の人数で乗るといいですね(´・д・)2人とか、4人とか、10人とか…奇数で乗ると、誰か一人、隣がおじさん地獄に陥ります。

 

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子供が遊ぶことを想定したような本やソファのコーナー(おじさんも大丈夫です)。

 

もし、

席を選択できるのなら、指宿へ向かって左側の席を取りましょう。

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左側に見えるのは広い鹿児島湾!右側に見えるのは山の裾にへばりつくように建てられた住宅とか草むらです。

 

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左側はずっとこんな風景でした。

右側は特に見たい風景はなさそうでした。

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その海を見るための真横に向いた席も作られていますね。

客でごった返していなければ、いろんな過ごし方ができるのが、指宿の玉手箱号です。

 

No.119⌒★洋化の歴史を感じられる場所【鹿児島市】県政記念館

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鹿児島の桜島は霞んで見えます。

鹿児島は大陸に近いからPM2.5の影響でこの頃いつも霞んでる、、って近くでしゃべっていたツアーガイドさんらしき人が言っていたんですが、ほんとうでしょうか。

確かに、過去2回行って、2回とも霞んでたので桜島はいつも霞んでいるのかもしれませんね。

 

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でも、

春から秋にかけては富士山も霞んでる光景がほとんどです。

ほんとうに、PM2.5が原因なんですかね…

(-_-メ)?

そもそも夏は偏西風は吹いてないのでは…?

 

と、思ったりしますが、まあいいです。

 

鹿児島で桜島がよく見えるのは、城山。ビル群を飛び越えて、桜島を一望することができます。

城山をくだったところには、

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県政記念館の建物があります。

県政記念館は国登録の有形文化財。1925年大正14年に建てられた、鹿児島県庁の本庁舎だった建物です。

曽禰中條建築事務所というところが設計しました。

曽禰中條の曽禰は、曽禰達蔵の曽禰。曽禰中條の中條は中條精一郎の中條(ちゅうじょう)。

曽禰達蔵はお雇い外国人として来日したコンドルの弟子、中條精一郎は曽禰達蔵の後輩で、どちらも有名な方です。(コンドルはさらに有名)

 

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記念館はビストロ・デュ(ドゥ?)・レブ(レヴ?)という読みづらーいレストランになっていますが、

フルコースランチは4200円とのことなので、値段的には入りやすいレストランかもしれません。(でも入らんかった…)

 

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建物の周りに隙間がぐるりとあるので、免震構造された建物です。

免震だけならいいんですが、他にも改修の手を加えてるとすれば、

この建物が有形文化財止まりな理由は、原形を留めていないからですね。

形だけ見れば、重要文化財であってもおかしくない立派な建物です。

 

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とにかく広い敷地で、

隣には鹿児島県民交流センターの建物が建っています。

設計は日本を代表する巨大設計事務所日建設計

県政記念館の建物意匠を受け継いだとでもいいたげな意匠をわずかに感じることができます。

小さな柱の集合で巨大な円柱を表現したファサード部分、その上はギリシャ建築でおなじみの形態を模したものに見えます。

 

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真ん中の窓周りの柱とか、頂部のデザインとか。

 

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ここには旧尋常小学校の門柱だけが、保存されています。

1894年明治27年ということなので、古いことは確か。

西洋風石造門とのことですが、どことなくお寺のデザインを思い浮かべるのは、まだまだ洋風デザインと出会って間も無い草創期のものだからでしょうか。

この施設群には、一生懸命西洋風デザインを追い求めようとした、過去の人たちの痕跡が残っているのです。

No.118⌒★別荘的住宅群【逗子市】旧脇村邸

逗子市郷土資料館から、葉山の道の方へ下って行きます。

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とても暑い日で、

猫も日影でぐったりしていました(´Д`)

同じ態勢で寝らんでも…。

 

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逗子市郷土資料館とは違う道を登って行くとある、旧脇村邸。

同じ蘆花記念公園内にありながら、通る道が違います。

付近の住民に怪しいやつだ、と白い目で見られながら登って行くことになります(気のせい?)。

この辺りは、とにかく山あいの土地にびっしりと家が建っているので、見つけるのは大変かもしれません。

「赤い橋を山の方へ」を目印に登って行くと、旧脇村邸はあります。

 

ビーチやマリーナが近くて、富士山が見える土地、ということでなければこんなに人が住むこともなかったんでしょう。

大きなスーパーは作れず、車道は広げられず、観光客はやたら多く、住むには不便な場所だと思います。

 

その旧脇村邸は、国登録の有形文化財です

脇村さんは東京大の教授でした(建築したのは別人物)。

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数寄屋風の意匠で造られているということですが、

建物は締め切っていて、外から眺めるのみ。

しかし、外観だけでも十分に数寄屋感が伝わってくる建物です。

 

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建物を紹介する案内板は立派に立っていましたが、敷地内は草がぼうぼう。

案内板とか、手すりとか、最初の整備だけで満足してしまった模様です。

逗子市はこういう日々の清掃とか草刈りを怠る傾向にありますね(-_-メ)

 

グーグルマップによると、この写真の先に、道があるはずですが、藪とバリケードによって閉鎖されていました。

この道が封鎖されてると、またさっきの住民に白い目で見られながら帰らないといけないんですが…。

 

 

逗子といえば、東逗子駅から南の方の丘へだいぶ登ったところに、

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佐藤浩平氏設計の住宅があります。

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崖のへりに沿うように建てられた住宅。

もし、敷地の奥行きが深ければ、違う形になったと思います。

敷地が横に広かったので、こういう形にしてみたんですね。

 

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奥から手前へと、だんだん軽やかになっていくデザインをしています。

住人が帰るときも、

崖の下へ駅の方へ降りていくときも、

しっかり見えるリビング。

谷が一望できる立地。

逗子市は全体として、リゾート要素の多い町なのです。

 

No.117⌒★江ノ島と富士山連なる別邸【逗子市】郷土資料館

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長柄桜山古墳から、駅とは反対側に降りていった方には、逗子市郷土資料館の敷地に出るそうな。

 

古墳は険しい道なので、古墳経由でこの資料館に来ようとは1mmたりとも思いませんが、

葉山へ向かう道から、簡単にアクセスすることができます(駐車場は皆無)。

 

古墳へ行き着く前に廃墟と藪と蜘蛛の巣の山道で心が折れ、

昼でも暗い古墳とマムシの看板で逃げ出したくなります。(車道から行きましょう)

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逗子市郷土資料館は、

江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の跡を継いだ徳川宗家の第16代駿府藩70万石の大名だった

徳川家達の別邸とされていた建物です。

(建築したのは別人物)

六代の墓の山の裏手には、十六代が住んでいたんですね。

 

ここの建物も長柄桜山古墳と同じく、冬の気候の良いときには、江の島の向こうに富士山が見える絶好の場所に建っています。

古墳時代も、近代も、首長たちの考えることは同じなのです

 

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アプローチは小路を登っていきますが、長柄桜山古墳と違って涼やかで清潔な小路(*‘∀‘)。

蜂に追い掛け回されましたが、気持ちよく歩いて行くことができるでしょう。

まあまあの斜路なので、少し疲れます。 

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徳富蘆花を記念して、

蘆花記念公園と名付けられた公園内に建っているので、

小路には歌が点々と記されています。

とはいえ公園自体は徳富蘆花とは全く関係なし。(なぜ家達記念公園にしなかったのか…)

徳富蘆花はこの近くにしばらく住んでいただけです。

 

郷土資料館は徳富蘆花の展示や、長柄桜山古墳群の資料の展示を大々的に行っていますが、

実際にここに住んでいた徳川家達の展示はほぼありません

何か釈然としないものはありますが、徳富家の歴史や、古墳群や逗子地域の地形などについて学ぶことができるでしょう。

 

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建築当時のものも入り混じったガラス。

入館料はたったの100円ですが、管理人さんが建物内を詳しく案内してくれました。

 

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山が迫る土地で、小ぶりながらもきれいな別邸です。

逗子や葉山にはこうした、狭い別荘が多いものです。

 

 

☆*。*.+゚

もうこんな時間…とつぶやきながら働いてる同僚がたくさんいるんですが、

まだこんな時間…としか思ったことがないんですが…。

みんなどれだけ仕事人間なんだ。(一刻も早く帰りたい)

No.116⌒★けもの道上の古墳【逗子市】長柄桜山古墳

逗子へはJR横須賀線で行くか、京急逗子線から行くことができますが、

JR線で行く方が僕は好きですね。

なぜかと言うと、多くの場合、バスの始発がJR逗子駅だからです。

JR逗子駅を出発したいろんな方面行きのバスは、京急逗子駅に着く頃には乗客でいっぱいになります(´Д`)。

ただ、京急逗子駅は電車の始発駅なので、帰りは必ず座って行けるメリットがあります。

つまり。

行きはJR、帰りは京急で帰るといいかもしれませんね。

JR線は途中で鎌倉を経由するので、非常に混み合うのです。

 

その京急新逗子駅から、徒歩で南へ10分ほど行ったところ。

長柄桜山古墳

があります。

古墳へは六代御前の墓がある通りを山の方へ。

六代御前は、御前といいつつ男なんですが、

平正盛→忠盛→清盛→重盛→維盛→六代御前、と平氏六代目だから六代御前

幼名からして六代でした。

平正盛平忠盛の頃、平家の力が一気に大きくなり、清盛の三代目で絶頂に。

維盛・六代の時、その権力が完全に崩壊してしまった平家。

その六代の墓がここにあります。

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古墳へは狭いコンクリート敷の小路を登って行きます。

 

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どんどん細くなっていく小路…。

右側は崖になっていますが、この道を原付バイクで登ってくる人もいるようで、バイクが途中置いてあったりします。

ひび割れが道を覆います。いつか、崩れ果てる道なんでしょうか…( 'ω' ;) 

 

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ついには、ほとんど道は無くなりました…

(´Д`)

 

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両脇には廃墟。

人が住まなくなって久しい感じですが、立派な建物だったのかもしれません。

しかし、上の方には一軒だけ、建物内に光が見える家がありました。

毎日毎日、この雑草だらけの道を下って生活をしているんでしょう。

けもの道のように、わずかに道の地肌が見えていたのはここの住人のお陰ですね。

 

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そして現れる、長柄桜山古墳(ながえさくらやまこふん)。

見た目では分からないものの、左のふっくらしたところが前方後円墳になっているようです。

この古墳は、

古墳時代の後半ごろになって造られたもので、古墳のあるこの小高い山からは、下にある逗子のビーチの喧騒が聞こえてきました。

 

長柄桜山古墳からずっと西へ目を向けてみると、(木が無ければ)江ノ島が見え、さらにその延長線上に富士山が見えるはずです。

つまりこの丘は海だけでなく、江ノ島も富士山も一望できる、特別なスポットだったのだと思います。

 

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静岡県藤枝市の若王子古墳も、山と山の間に富士山が顔を覗かせる、絶好のスポットでした。

富士山を中心に、

富士山の眺望を独占したい各地の首長たちの墓が、同心円状に連なっているのかもしれません。

 

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マムシに注意、はどこの山を登る時にもあるので、たいして怖がってはいませんでしたが、

本当に出そうなけもの道を通る時は、とても怖いものですね(´Д`)。

 

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帰りは、大きくひびわれた小路を滑り降りるように帰って行きました。

あまり、長居しない方が良さそうな雰囲気の山なのです。

このハイキングコースは、「ふれあいロード」と名付けられていますが、できれば何とも触れ合いたくないという一心でした…。

 

✩*.゚ひとりごと

空気清浄機と掃除機の、ホコリを吸う量って、

空気清浄機<<<<<<<掃除機

ぐらい。

ほんとに空気清浄してるのか