No.33⌒★【静岡市】戦争と登呂遺跡、戦争と教団
太平洋で、
アメリカと日本が死闘を繰り返していた1943年、静岡市で軍需工場を建設しようとしたところ、
土の中から古代の水田跡が発見されました。
戦時中なので、水田跡は跡形もなく破壊され、、たわけではなく、緊急に考古学調査が行われ、それは弥生時代の大規模な水田や集落跡地だと分かりました。
これが有名な登呂遺跡の発見時の様子だそうです。
1943年と言えば、ニューギニアやガダルカナル島やアッツ島を落とされ、山本五十六元帥が戦死、ドイツも敗勢を濃くしていた時代です。
いい話と言えば、名古屋軍(現中日ドラゴンズ)の石丸進一がノーヒットノーランを達成したというぐらいの、ほんとにそのぐらいしかいい話がない1943年です。(石丸進一さんも1945年に南西諸島で特攻隊で戦死)
そんな暗いご時世によくもまあ、呑気に水田跡地の発掘なんかをしていたものです。
ただ、そのお陰で登呂遺跡は守られ、考古学的な研究にとても役に立ったのです。
意外に、その頃も日本本土内は悠長な生活をしていたのかもしれませんね。
収穫前の稲が広がっている中に再建された高床式倉庫や竪穴住居が建っていました。
向こうに見えるのは祭殿で、稲の保管場所というよりも儀式などの用途で使われたもののようです。
斜めに立った棟持ち柱が特徴的。
周りにある田んぼの稲はまばらで、素人が作った感満載で、
実際に地元の中学生やらが作っているようです。雑草みたい…。
敷地が「湿地」という属性もあってか、田んぼよりは少し高いところに竪穴式住居が建っていたようです。
建築面積は45平米ほど、畳でいうと25畳ぐらい。
ただ、斜めになっているので実際の居住可能スペースはもっと少ないと思います。(真ん中に炉もある)
こんなワンルーム住宅に3世代・4世代の家族で住むとなるときつそうですが、風呂もトイレも洗濯場も、お父さんの趣味のアディダスのゴルフバッグの収納場所も、子どもの祐希くんのプラレール置き場も何にもいらなかった頃ですからね、何とかなるかもしれません。
ダイニング兼リビング兼寝室兼物置兼台所のワンルーム住宅です。
右が祭殿、真ん中に竪穴住居がいくつかあって、左が高床式倉庫だということです。
祭殿の方がひとまわり大きいのが分かります。
富士山も良く見える、登呂博物館(の屋上)でした。
静岡駅からバスで行きましょう。
◎登呂遺跡(特別史跡)
史跡名勝天然記念物(15件/3051件中) 静岡県(8件/80件中)
静鉄日吉町駅付近にある日本基督教団駿府教会です。静鉄のA3000形列車が通りすぎようとしていますねえ。
設計は西沢大良氏。
手前の四角の建物と、三角の建物で構成されています。
日本基督教団は戦時統制として日本基督教会などのプロテスタント系の各派が合同する形で1941年に成立したようです。
言論統制とか治安維持が目的でしょうか。
その後日本福音ルーテル教会やら、救世軍やらは離脱していきましたが、現在もたくさんの教会を有します。
四角い建物の上にはトップライトが付いていて、礼拝所に光が降り注ぎます。
入り口はクラブの入り口みたいです。
(*´∀`)