建築遺産のlog!

世界中の建物に行けるといいな

No.119⌒★洋化の歴史を感じられる場所【鹿児島市】県政記念館

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鹿児島の桜島は霞んで見えます。

鹿児島は大陸に近いからPM2.5の影響でこの頃いつも霞んでる、、って近くでしゃべっていたツアーガイドさんらしき人が言っていたんですが、ほんとうでしょうか。

確かに、過去2回行って、2回とも霞んでたので桜島はいつも霞んでいるのかもしれませんね。

 

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でも、

春から秋にかけては富士山も霞んでる光景がほとんどです。

ほんとうに、PM2.5が原因なんですかね…

(-_-メ)?

そもそも夏は偏西風は吹いてないのでは…?

 

と、思ったりしますが、まあいいです。

 

鹿児島で桜島がよく見えるのは、城山。ビル群を飛び越えて、桜島を一望することができます。

城山をくだったところには、

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県政記念館の建物があります。

県政記念館は国登録の有形文化財。1925年大正14年に建てられた、鹿児島県庁の本庁舎だった建物です。

曽禰中條建築事務所というところが設計しました。

曽禰中條の曽禰は、曽禰達蔵の曽禰。曽禰中條の中條は中條精一郎の中條(ちゅうじょう)。

曽禰達蔵はお雇い外国人として来日したコンドルの弟子、中條精一郎は曽禰達蔵の後輩で、どちらも有名な方です。(コンドルはさらに有名)

 

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記念館はビストロ・デュ(ドゥ?)・レブ(レヴ?)という読みづらーいレストランになっていますが、

フルコースランチは4200円とのことなので、値段的には入りやすいレストランかもしれません。(でも入らんかった…)

 

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建物の周りに隙間がぐるりとあるので、免震構造された建物です。

免震だけならいいんですが、他にも改修の手を加えてるとすれば、

この建物が有形文化財止まりな理由は、原形を留めていないからですね。

形だけ見れば、重要文化財であってもおかしくない立派な建物です。

 

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とにかく広い敷地で、

隣には鹿児島県民交流センターの建物が建っています。

設計は日本を代表する巨大設計事務所日建設計

県政記念館の建物意匠を受け継いだとでもいいたげな意匠をわずかに感じることができます。

小さな柱の集合で巨大な円柱を表現したファサード部分、その上はギリシャ建築でおなじみの形態を模したものに見えます。

 

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真ん中の窓周りの柱とか、頂部のデザインとか。

 

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ここには旧尋常小学校の門柱だけが、保存されています。

1894年明治27年ということなので、古いことは確か。

西洋風石造門とのことですが、どことなくお寺のデザインを思い浮かべるのは、まだまだ洋風デザインと出会って間も無い草創期のものだからでしょうか。

この施設群には、一生懸命西洋風デザインを追い求めようとした、過去の人たちの痕跡が残っているのです。

No.118⌒★別荘的住宅群【逗子市】旧脇村邸

逗子市郷土資料館から、葉山の道の方へ下って行きます。

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とても暑い日で、

猫も日影でぐったりしていました(´Д`)

同じ態勢で寝らんでも…。

 

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逗子市郷土資料館とは違う道を登って行くとある、旧脇村邸。

同じ蘆花記念公園内にありながら、通る道が違います。

付近の住民に怪しいやつだ、と白い目で見られながら登って行くことになります(気のせい?)。

この辺りは、とにかく山あいの土地にびっしりと家が建っているので、見つけるのは大変かもしれません。

「赤い橋を山の方へ」を目印に登って行くと、旧脇村邸はあります。

 

ビーチやマリーナが近くて、富士山が見える土地、ということでなければこんなに人が住むこともなかったんでしょう。

大きなスーパーは作れず、車道は広げられず、観光客はやたら多く、住むには不便な場所だと思います。

 

その旧脇村邸は、国登録の有形文化財です

脇村さんは東京大の教授でした(建築したのは別人物)。

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数寄屋風の意匠で造られているということですが、

建物は締め切っていて、外から眺めるのみ。

しかし、外観だけでも十分に数寄屋感が伝わってくる建物です。

 

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建物を紹介する案内板は立派に立っていましたが、敷地内は草がぼうぼう。

案内板とか、手すりとか、最初の整備だけで満足してしまった模様です。

逗子市はこういう日々の清掃とか草刈りを怠る傾向にありますね(-_-メ)

 

グーグルマップによると、この写真の先に、道があるはずですが、藪とバリケードによって閉鎖されていました。

この道が封鎖されてると、またさっきの住民に白い目で見られながら帰らないといけないんですが…。

 

 

逗子といえば、東逗子駅から南の方の丘へだいぶ登ったところに、

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佐藤浩平氏設計の住宅があります。

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崖のへりに沿うように建てられた住宅。

もし、敷地の奥行きが深ければ、違う形になったと思います。

敷地が横に広かったので、こういう形にしてみたんですね。

 

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奥から手前へと、だんだん軽やかになっていくデザインをしています。

住人が帰るときも、

崖の下へ駅の方へ降りていくときも、

しっかり見えるリビング。

谷が一望できる立地。

逗子市は全体として、リゾート要素の多い町なのです。

 

No.117⌒★江ノ島と富士山連なる別邸【逗子市】郷土資料館

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長柄桜山古墳から、駅とは反対側に降りていった方には、逗子市郷土資料館の敷地に出るそうな。

 

古墳は険しい道なので、古墳経由でこの資料館に来ようとは1mmたりとも思いませんが、

葉山へ向かう道から、簡単にアクセスすることができます(駐車場は皆無)。

 

古墳へ行き着く前に廃墟と藪と蜘蛛の巣の山道で心が折れ、

昼でも暗い古墳とマムシの看板で逃げ出したくなります。(車道から行きましょう)

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逗子市郷土資料館は、

江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の跡を継いだ徳川宗家の第16代駿府藩70万石の大名だった

徳川家達の別邸とされていた建物です。

(建築したのは別人物)

六代の墓の山の裏手には、十六代が住んでいたんですね。

 

ここの建物も長柄桜山古墳と同じく、冬の気候の良いときには、江の島の向こうに富士山が見える絶好の場所に建っています。

古墳時代も、近代も、首長たちの考えることは同じなのです

 

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アプローチは小路を登っていきますが、長柄桜山古墳と違って涼やかで清潔な小路(*‘∀‘)。

蜂に追い掛け回されましたが、気持ちよく歩いて行くことができるでしょう。

まあまあの斜路なので、少し疲れます。 

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徳富蘆花を記念して、

蘆花記念公園と名付けられた公園内に建っているので、

小路には歌が点々と記されています。

とはいえ公園自体は徳富蘆花とは全く関係なし。(なぜ家達記念公園にしなかったのか…)

徳富蘆花はこの近くにしばらく住んでいただけです。

 

郷土資料館は徳富蘆花の展示や、長柄桜山古墳群の資料の展示を大々的に行っていますが、

実際にここに住んでいた徳川家達の展示はほぼありません

何か釈然としないものはありますが、徳富家の歴史や、古墳群や逗子地域の地形などについて学ぶことができるでしょう。

 

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建築当時のものも入り混じったガラス。

入館料はたったの100円ですが、管理人さんが建物内を詳しく案内してくれました。

 

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山が迫る土地で、小ぶりながらもきれいな別邸です。

逗子や葉山にはこうした、狭い別荘が多いものです。

 

 

☆*。*.+゚

もうこんな時間…とつぶやきながら働いてる同僚がたくさんいるんですが、

まだこんな時間…としか思ったことがないんですが…。

みんなどれだけ仕事人間なんだ。(一刻も早く帰りたい)

No.116⌒★けもの道上の古墳【逗子市】長柄桜山古墳

逗子へはJR横須賀線で行くか、京急逗子線から行くことができますが、

JR線で行く方が僕は好きですね。

なぜかと言うと、多くの場合、バスの始発がJR逗子駅だからです。

JR逗子駅を出発したいろんな方面行きのバスは、京急逗子駅に着く頃には乗客でいっぱいになります(´Д`)。

ただ、京急逗子駅は電車の始発駅なので、帰りは必ず座って行けるメリットがあります。

つまり。

行きはJR、帰りは京急で帰るといいかもしれませんね。

JR線は途中で鎌倉を経由するので、非常に混み合うのです。

 

その京急新逗子駅から、徒歩で南へ10分ほど行ったところ。

長柄桜山古墳

があります。

古墳へは六代御前の墓がある通りを山の方へ。

六代御前は、御前といいつつ男なんですが、

平正盛→忠盛→清盛→重盛→維盛→六代御前、と平氏六代目だから六代御前

幼名からして六代でした。

平正盛平忠盛の頃、平家の力が一気に大きくなり、清盛の三代目で絶頂に。

維盛・六代の時、その権力が完全に崩壊してしまった平家。

その六代の墓がここにあります。

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古墳へは狭いコンクリート敷の小路を登って行きます。

 

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どんどん細くなっていく小路…。

右側は崖になっていますが、この道を原付バイクで登ってくる人もいるようで、バイクが途中置いてあったりします。

ひび割れが道を覆います。いつか、崩れ果てる道なんでしょうか…( 'ω' ;) 

 

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ついには、ほとんど道は無くなりました…

(´Д`)

 

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両脇には廃墟。

人が住まなくなって久しい感じですが、立派な建物だったのかもしれません。

しかし、上の方には一軒だけ、建物内に光が見える家がありました。

毎日毎日、この雑草だらけの道を下って生活をしているんでしょう。

けもの道のように、わずかに道の地肌が見えていたのはここの住人のお陰ですね。

 

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そして現れる、長柄桜山古墳(ながえさくらやまこふん)。

見た目では分からないものの、左のふっくらしたところが前方後円墳になっているようです。

この古墳は、

古墳時代の後半ごろになって造られたもので、古墳のあるこの小高い山からは、下にある逗子のビーチの喧騒が聞こえてきました。

 

長柄桜山古墳からずっと西へ目を向けてみると、(木が無ければ)江ノ島が見え、さらにその延長線上に富士山が見えるはずです。

つまりこの丘は海だけでなく、江ノ島も富士山も一望できる、特別なスポットだったのだと思います。

 

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静岡県藤枝市の若王子古墳も、山と山の間に富士山が顔を覗かせる、絶好のスポットでした。

富士山を中心に、

富士山の眺望を独占したい各地の首長たちの墓が、同心円状に連なっているのかもしれません。

 

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マムシに注意、はどこの山を登る時にもあるので、たいして怖がってはいませんでしたが、

本当に出そうなけもの道を通る時は、とても怖いものですね(´Д`)。

 

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帰りは、大きくひびわれた小路を滑り降りるように帰って行きました。

あまり、長居しない方が良さそうな雰囲気の山なのです。

このハイキングコースは、「ふれあいロード」と名付けられていますが、できれば何とも触れ合いたくないという一心でした…。

 

✩*.゚ひとりごと

空気清浄機と掃除機の、ホコリを吸う量って、

空気清浄機<<<<<<<掃除機

ぐらい。

ほんとに空気清浄してるのか

No.115⌒★人口島のぐりんぐりん【福岡市東区】

むかーしむかし、博多湾の西側一帯を埋め立てようという話が出たとき、

相当な反対運動も起きていたんですが、あの喧騒はいったいどこへ行ったんでしょう。

と思うほど平穏に開発が進む博多アイランドシティ

よくよく地図を見てみれば、福岡市中央部からは遠く離れた地域で、電車も通ってないので、とても住みにくそうな人工島です。

島が計画された当時(1980年代~1990年代)は福岡市の人口も増えていて、ベッドタウンの需要があったのかもしれませんが、その後見事に少子化時代に突入。

アイランドシティはどうなってしまうんでしょうか。

 

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アイランドシティへの行き方は

天神からバスで行ったり、香椎駅からバスで行ったり、香椎花園駅から徒歩20分ぐらいかけて歩いて行くなどいろいろあります。(自家用車で行く、が正解)

だだっ広いアイランドシティ中央公園から西側は工場街、東側と南側は住宅や病院などの施設、北側は未だに更地が多いです( ノД`)。

アイランドシティにやって来てまず思ったのは、とにかく風が強いこと

ゴーッという風が終始吹き荒れていました。

 

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福岡市の花と緑のマスコットキャラクターグリッピ

30度はあろうかという猛暑の中、公園を練り歩かされる苦役を行っていました。

 

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中央公園内に建つ、ぐりんぐりん。

3D曲面を描きながら、コンクリートが打たれていて、難しい仕事のように思えます。

植物が上に乗ってるので、建物へのダメージも少し感じられます。

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中は100円で入れる(子供は50円)温室。

緑いっぱいの公園ですが、建物内も緑がいっぱいです。

グリッピの使命はみどりを増やすこと。

使命は果たされたんですね。

 

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建物内は蝶のオオゴマダラが放し飼い。

虫嫌いな人には最悪な環境かもしれません。

 

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オオゴマダラくんは、さらに園内で続々と増産中でした(*‘∀‘)

金色のさなぎ、白いさなぎから、、どんどんと飛び立っていきます。

オオゴマダラは東南アジアなど熱帯地域に住む蝶なので、

年中暖かいぐりんぐりんはとてもいい環境なのです。

 

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ぐりんぐりんは大ヘビの背中に乗っているように、屋上はぐねぐねと波打っています。

温室は上部開放。

屋上には遊歩道が走っていて、高い建物がないアイランドシティを眺めながらのんびりと散歩をすることができるでしょう。

 

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複雑に入り組むぐりんぐりんの道。一周すると軽い山登りぐらい疲れます。

 

ぐりんぐりんは伊東豊雄氏の設計ですが、

昭和記念公園の花みどり文化センターのように、地面と建物が一体化したようなボーダーレスの建物で、

それがさらに進化したような建物(あるいは丘)でした。

No.114⌒★山梨県は杉の寺、杉の神社【甲州市】恵林寺、熊野神社

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放光寺の少し南には、恵林寺があります。

放光寺が塩山駅から徒歩30分超、恵林寺も徒歩30分ぐらい。いずれにしても遠い寺たちです。

恵林寺武田信玄菩提寺です。

寺へのアプローチを見ると、おや?と思いました。

山門へ向かって続く道は、門の手前でくいっと曲がっています。

この配置は信玄が川中島の合戦の折、さらってきた甲斐善光寺と同じ配置。

甲斐善光寺も、山門の手前で道路が曲げられています。

もしかすると、甲斐の国にとって重要な寺はこのような配置になっているんでしょうか。

参道と街道を併用しているような道です。

甲斐武田神社も同様ですね。

 

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山梨では多くの寺社は杉並木が取り囲みます。ここも例外ではなく、杉並木参道が続いていました。

 

門の額は、

雑華世界

と書いてあり、世の中には良い華も悪い華もあり、そういう世界をそのままに認める世界、みたいな意味だと思います。

それはともかく、京都の西に雑華院という寺院がありますが、そこには武田信玄父子の碑が建っています。

雑華院のある妙心寺は、信濃国の高梨氏の一族に連なる者が開山だということです。

 

何がどう繋がっているのか分かりませんが、

何はともあれ、信玄は今も、様々な華に彩られた世界にいることは確かです。

 

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赤い四脚門は重要文化財

徳川家康の時代、1606年に再建されたもの。

ここの額は「乾徳山」です。

 

乾徳山は恵林寺から真北に行くこと10㎞ぐらいの深い山地にある2031mの高い山です。 

乾徳山は夢窓疎石が修行した山とかで、その夢窓疎石が開いたとされる恵林寺の山号が乾徳山になるのは必然なのかもしれません。

 

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恵林寺の拝観は16時半まで。

前の放光寺に着いたのがすでに16時32分だったので、入れるはずもありません…(´Д`)。

 

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塀の外から眺めるだけとします…。

塀の外は、お土産屋とか誰もいないタクシー乗り場とか、廃墟になったレストランとか、観光地になっていて、寺の風情は失われてる気がします。

 

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ぶどう愛の強い山梨県

民家の格子もぶどう柄。

 

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塩山駅から南へ下ること20~30分歩いたところにある熊野神社

山梨では多くの寺社は杉並木が取り囲みます。ここも例外ではなく高い杉に囲まれていました。

周りには民家とぶどう畑しかない平地なのでいきなり高い杉が立っている光景は異様でもあります。

この神社の真南にかなり行ったところにある富士山から、北にある乾徳山まで、たくさんの寺社が並んでいますが、

思えば富士山の麓にある浅間神社の樹高45mはあるという富士太郎杉から始まり、熊野神社恵林寺、放光寺や、その他の寺社の杉に至るまで、杉が点々と並んでいます。

富士の真北にあるというだけで寺社が集中して栄えたような甲州市に、人々は何か霊的なものを求めたのかもしれません。

高い杉は、富士に降り立つ神や仏から見えるように、その目印の役割なんでしょうか。

 

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熊野神社本殿は重要文化財に指定されています(拝殿も重文)。

本殿は、社殿が四列並列することが特徴の、春日造で造られています。

1、2、3…あれ?一つ足りないな…。

 

置いてあった説明板によると、赤い社殿の三つは江戸時代に再建されたが、ひとつだけ再建できずに小祠となってしまったもの(´Д`)。

よく見ると確かにありますね、小さな社殿が。

そしてどす黒い右側の2つが重要文化財の本殿だということでした。

春日造というので、三連になっている左が重要な建物だと思ってしまいました…。

 

…富士山と乾徳山と北極星の線上にある、寺社仏閣たちのお話でした。

No.113⌒★魅力を放つ放光寺【甲州市】

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山梨のぶどうは収穫の時期を迎えるまでもうわずかのようです。これはマスカット?

マスカットは7月中旬から早くも出回り、8月には終了するそうです。

その後巨峰など他の品種が次々と収穫時期を迎え、10月頃までぶどうシーズンが続いて山梨は賑わいます。(一番賑わうのはワインの新酒の頃)

マスカットの収穫体験ができるところもあるようですが、7~8月の暑い盛り、しかも夏は熱帯地域になる山梨県で体験はしたくないですね(´Д`)

 

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袋を被せてあるのとないのがあるのは、違いは何なんでしょう。

今から被せる予定…?

もう袋作業に飽きたのか…?品種の違い…?鳥にあげる犠牲用ぶどう…?

 

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ハッピードリンクショップ

山梨県内の徒歩旅行者の味方です。山梨旅行で見ない日は無いと言っても過言ではありません。

山梨県はとにかく飲食店もコンビニも見当たらない田舎の地域が多いんですが、そんな時の最後の切り札ハッピードリンクショップになります。

 

昼ごはん:ハッピードリンクショップ

に、なります…( 'ω' ;)。

山梨県で寺巡りなどをしてしまうとお世話になるかもしれません。

 

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塩山駅から北へ向かうこと、数キロのところにあるのが、放光寺です。

駅からタクシーで行くと1600円ぐらいまでメーターが上がります。歩いて行くと、30分以上かかります(途中から歩道なし)。

一番いいのは、塩山駅前にある、レンタル自転車で行くことかもしれません。

30分毎に100円の料金。

ただし、行きはずっと登り坂です…。(自家用車が一番いいかも)

 

ストラックアウトがしたくなる山門から入って行きます。(タクシーで行くとすっ飛ばされる)

 

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門は結局3つ潜り、とても広い寺です。

 

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花もきれいな放光寺。今の時期はあじさいですが、4月頃の春の花がたくさん咲く頃が最も賑わうようです。

 

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本堂にはたくさんの蓮が、整然と並んでいます。

 

本堂の南隣からは本堂と関連施設の内部拝観ができますが、16時半に受付終了です(着いたのは16時32分…( ノД`))

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本堂の左隣には、愛染明王のお堂。縁結び恋愛成就の御利益があります。

 

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一番奥で照らされているのが、愛染明王様。

おん まかあらぎゃ ばぞろ うしゅにしゃ ばさらとば じゃくうん ばんこく

と唱えながら、愛染明王の印を結ぶと恋愛が成就するかもしれません。

 

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たくさんの人の縁結びの煩悩が吊り下げられています。

 

━━━

悪いことをしたカンダタは地獄に落とされましたが、過去にひとつ、踏みつぶされそうだった蜘蛛を踏みつぶさず助けたことがあるので、お釈迦様はカンダタを助けようと地獄に蜘蛛の糸を下ろしました。

カンダタはそれにつかまって登って行きましたが、ふと下を見ると無数の罪人が蜘蛛の糸につかまって登ってこようとするではありませんか。

「糸が切れてしまう、お前ら下りろ!」とカンダタが叫んだ途端に糸は切れてしまい、カンダタは地獄へ舞い落ちてしまいました。

━━━

…という、この話を思い出しました。

 

何が言いたいかと言うと、縁結び、恋愛成就は他人を蹴落としてでも達成しようと思えば、この縁結びの御札たちは切れてしまうことでしょう、ということです。

そして、今にもちぎれそうです。

 

 

 

★*.+゚

ハンカチで、

鼻をかんでいる人をたまに見掛けるんですが、

あれはゴミ箱にポイされるんでしょうか。

それとも、洗濯機にインされるんでしょうか…(((´ω`;;))