No.66⌒★湘南最後の酒造は元気に営業中【茅ヶ崎市】熊澤酒造
茅ヶ崎市には、
「湘南に残された最後の酒造」
という謳い文句の、熊澤酒造があります。
1872年(明治5年)の創業。
確かに、湘南地区の二宮町、大磯町、平塚市、藤沢市、寒川町では酒造は滅亡していました。
まあ、どこまでが湘南か、というと結構意見は分かれるようです。
二宮町から藤沢市までは完全無欠な「湘南」です。ザ・湘南と言っていい地域。湘南度100%。
それから鎌倉から葉山までの地域もほぼ湘南と言っていいでしょう。湘南度90%。
ただし、鎌倉にはビールの醸造所があります。「酒造」の定義にビールの醸造所が含まれていればアウト。
そして、同じ相模湾に面している小田原から湯河原までの地域。この辺りは一般に「西湘」地域と呼ばれますね。行政区分上は湘南地域ではありません。ただ、この地域には酒造は無いので、どちらでもいい話ですね。湘南度40%。
その北の伊勢原市。ここには酒造会社があります!県の行政区分上は「湘南」地域。車のナンバーも「湘南」ナンバーのややこしい地域。ただ、気分的に湘南度は5%ぐらいです。青い海も、白い砂浜も水着の美女も、この町にはいないのです。
「湘南に残された最後の酒造」、という言葉は少しグレー気味なのです。
熊澤酒造は今は6代目の蔵元・茂吉さんが経営しています。
左のタンクには「MOKICHI」と書いてありますね。
熊澤酒造は「天青」という銘柄の酒を造っていて、それは中国の「雨過天青雲破処」ということばから取ったものです(公式HPによる)。
雨が過ぎ、雲の切れ間に見えた空の青さ。そういう美しい青のことを言っているようです。
熊澤酒造へは茅ヶ崎駅から相模線に乗り換えて2駅の香川駅下車、北東へ徒歩10分〜15分。途中歩道は無くてこわいです。
お客様用の入り口はこちら。
MOKICHI TRATTORIA。イタリアンの店です。
古い家屋を使っていて、扉も古いものですが、自動ドアに改良しています。
酒造会社だけあって、ここでは、パスタ+日本酒のような組み合わせもできます!
にごり酒と、相模湾らしくシラスのペペロンチーノ(とびっこ乗せ)。日本酒と合います。
トマトソースと、日本酒は合うんでしょうか…。
日本酒以外では、湘南ビールの醸造所でもあるので、ビールの種類も揃っています。
開店は予約した客から通されていき、良い席をあてがわれたあと、当日予約の人たちは10分ぐらい待たされてからやっと入れました。そしてすぐに満席。
安いレストランではありませんが、人気はかなりあるようです。
MOKICHI TRATTORIAの隣のこちらの蔵の方を入って行くと、
中にはまずパン屋があり、奥にカフェがあります。
木組みをそのまま見せた美しいカフェです。
さっき食べたばっかりだけど、ケーキセットを食べて行きました。
向こうに見える本棚には建築の本、美術の本がたくさん置いてあってある程度詳しい方が施主なのかもしれません。
この他にも、日本料理&酒の「天青」や、ギャラリーショップなどがひと固まりに並んでいます。
パンを買って、椅子がたくさん置いてある外でのんびり食べるのもいいかも。
空には、冬過天青雲無処が広がっていました。
No.65⌒★茅ヶ崎の椿とえぼし岩の海【茅ヶ崎市】氷室椿園
茅ヶ崎へやってきました。
海の水平線の左の方にわずかに写っているのは有名なえぼし岩です。
チャコの海岸物語、えーぼし~いーわが遠くかすんで~なーみだあふれて~かすんでみえーるー♪
の、えぼし岩!
数十年前に霞んで見えるえぼし岩を見ていたのはピーナッツでした。
裸でジルバを踊っていたのがチャコ、口づけを待って砂浜を指でなぞっていたのがミーコですね。
えぼし岩はこういう形をしています。
烏帽子というより、ハリーポッターの寮の組み分けをしてくれる帽子に似ています。曲ってるし…。
烏帽子岩は「ヘッドランド」と呼ばれる場所から見ることができます。
ヘッドランドは砂浜の砂の流出を防ぐために人工的に造成された場所、、
のはずですが、ヘッドランドのせいで逆に砂の浸食が大きくなったといわれたり、
離岸流の発生により海水浴客の死亡事故が起こりやすくなるなんて言われています。
ここの昔の航空写真と見比べてみても、ヘッドランドの周りは浸食が激しい気がするんですが…何のために設けたんですかね。
シュモクザメの頭みたいなのがヘッドランドです。
左の茅ヶ崎漁港とヘッドランドの間が最も侵食されています。
多くは漁港のようなコンクリート護岸などの整備により侵食が発生するのです。
ヘッドランドへは茅ヶ崎駅南口から茅09神奈中バスに乗って行くことができました。
江の島は波の向こうに見えました。
ヘッドランドから歩いて200~300m、氷室椿庭園です。
1935年昭和10年築の古い建物のまわりに椿園が広がっています。
草紙洗。
小野小町が、ある歌合わせの会で詠んだ歌が、それは万葉集の草紙に載っているものだ!と抗議されました。
小野小町はそんなはずはないので、その草紙を洗わせて欲しいと言って洗ってみたところ、小野小町が詠んだ歌の部分だけが消えてしまいました。
実は、前日に小野小町の詠む歌の内容を盗み聞きしたライバルの大伴黒主が、
事前に草紙に書き足していたのです!(>_<。)
このために大きな恥を掻いてしまいました。
しかし、小野小町と正面切って歌で競い合っても敗れることは分かっていたので、どちらにしても恥を掻いたことでしょう。
蜀紅。
いわゆる三国志時代の蜀の首都・成都の近くを流れる蜀江で取れた生糸を使って織り上げられた絹織物、の名前が付けられています。
春日影(はるひかげ)。
俳句の季語で、春の日差し・光を表わすことばが使われています。
椿の品種の語源はそれぞれなんですね。
椿はもちろんこれ以外にもたくさん植えられています。
一つ一つ語源を調べて見るのも面白いんじゃないでしょうか。
建物は、国登録有形文化財を目指して運動中だということですが、どうなんでしょう。
見た感じはあまり美しい建物ではありません。
今はこの建物の由来について、調査をしているところのようです。
氷室椿園は三井不動産副社長の氷室氏の庭園であったところを寄贈されたものです。
庭園には椿だけでも250種が植えられています。
そして、椿の季節は、まだでした。( ノД`)(3月~4月)
今はまだ少し咲いている程度。
……春日影はもう少しです。
No.64⌒★早大の周りのデザイナーズ寺社仏閣たち【新宿区】石山修武の観音寺と隈研吾の赤城神社
早大大隈講堂の近くにあった早稲田社会教育センター。
早大生などの就職活動に伴うキャリア教育、自己分析、業界研究などを行うそうです。
早大生はアフターケアが手厚いですね…過保護かも…( 'ω' ;)
エプロンのように降りてくる黒い鋼板と、上部も特徴的な白い外壁で構成されているこの建物は、北河原温氏の設計です。
北河原温氏は、良く言えば芸術的、悪く言えば奇抜というかけばけばしい建物をいつも建てているような気がします。
この建物の説明文は、
「稲穂のメタファーとして想起されたステンレス製ルーバーと、大木のシルエットが浮かび上がる耐候性鋼板バネルのファサードによって、豊かな都市空間の創出を目指しました……」
だとのことです
(*´・д・)?
芸術を理解しない人は良さが分からない建物。
その早稲田社会教育センターから少し行った先には、観音寺という怪しい建物の寺があります。
有名建築家、石山修武氏の52歳当時の設計です。1996年築。
屋根が湾曲していたり、凸凹が多い建物なので、もう至る所に雨ジミが目立ちます。
石山さんも、デザイン性のある建物を多く建てていますね。
入り口からはまっすぐ道が伸びてピロティを通ってお墓へ。
左へ階段を登れば本堂へ。
裏にはスロープ。
恐らく住居部分にアクセスするスロープだと思います。
自由な形をしているので、最初は廃墟の建物かと思いました…。
崩れているようで、崩れてない。バランスが悪そうに見えて、意外とバランスがいいのかもしれません。
屋根や壁は無造作に貼り付けられている感じがしますが、よくよく見ると構造体はどっしりと建っています。
この駅から比較的すぐのところにある、赤城神社。
最近、右側のマンションと共に改装されました。どちらも隈研吾氏設計。
社務所などの目に付く機能はマンションの一層目や、地階に設置されているので都心とは思えないほど本殿周りがすっきりとしていると思います。
寒いのにたくさんの人が訪れていました。
殖産興業、厄難消除、学問芸術、特に火防の御利益があるとのことですが、
ほとんどの人は「学問芸術」の願いに限ってお願いに来ているような気がします!
つまり受験生。学生らしき人たちが長々と列を作っています。
早稲田から近いので、早稲田を受験する人も多いのでしょう。
この、赤城神社は火防の御利益があるといいながら、自身は2度も被災して焼失しています。(;´ω`)
1度は江戸時代、もう1度は昭和20年の東京大空襲での焼失ですが、火防の神とはいえ、大空襲は止めどもなかったのです。
隣のパークコート神楽坂も一体開発で隈研吾氏設計ですが、ルーバー柄の外壁。
パークコート神楽坂はRC造、6階建の分譲マンションですが、
賃貸すると、20~30万円だそうです(1LDK~3LDK)。
火防のご利益はなさそうですが、学問のご利益はどうなんでしょうか…。
No.63⌒★早大大隈講堂と受験生【新宿区】佐藤功一・大隈庭園・都電荒川線
早稲田大学へ行くときは
東京唯一の路面電車、都電荒川線で行くといいですが、そういえば乗ったことが今までなかったですね。
接続する駅が王子とか大塚とか町屋とか、ほとんど行くことのない駅ばかりの路線なんです。
運賃は全線乗っても、165円というお手頃価格。でもそのせいか、すごく混んでいました。
巣鴨の方を通るからなのか、とりわけ老人がたくさん乗っているような気がします。(そんなわけでいつも席には座れないと思います…)
電車というより、雰囲気はバスですね。
早稲田駅から10分かからないぐらいの、早稲田大学大隈講堂は重要文化財に指定されています。
贅沢にも鉄骨鉄筋コンクリート(SRC)造で、
1927年昭和2年に建てられたロマネスク様式の建物です。
ロマネスク様式は窓が小さめなのが特徴で可愛く感じます。
そもそもロマネスク様式が用いられたのは10世紀ぐらいのことで、
その頃は、異民族の侵入などで建物に防御機能が必要な時代で、建築技術がまだまだ未熟だったせいもあって、小さな窓しか付けられませんでした。
ロマネスク様式の建物は一般的に壁が1mもある分厚いものだそうですが、そうなるとなおさら大きな窓は作れないですね。
↑群馬県庁舎(低い方が佐藤功一氏の設計、高い方は佐藤総合計画)
佐藤功一氏は早稲田大学に今も続く、建築科を創設した方でもあります。
入ろうとすると、入り口に何か書いてあります。
「受験生保護者様控室」(一般の方の御入室はご遠慮ください…)
(゚Д゚;)保護者連れで受験を…
足が不自由だから付き添いだとか、皇族のお方のお受験だから護衛代わりに必要だというわけではなく、
何でもない受験生の保護者が付き添ってくるんですね。(T_T)
受験生が、保護者を連れて来た時点で落第させればいいのに…
大学生にもなろうとしてるのにガキか!と思いますね。(大隈講堂に入れなかったことに対する恨み混じり)
怪しい入り口。
仕方がないので裏へ回って大隈庭園でも散歩していきます。(普段は大隈講堂に入れるのかは、知りません)
水は、濁り、あまりきれいな庭園でもないですが、都心にしてはかなり大きな庭園で、のんびりとできます。向こう側に見えるのは食堂などの棟。
それにしても、立派なカメラを持って写真を撮っている人が多いですね、ここは。
なぜ、たいしてきれいでもないこの庭園に、カメラ愛好家が集まるのか、謎です。
もしかすると、地方から出てきた受験生の連れのお父さんかもしれないですが、まあよく分かりません。
この公園では、
受験生の頭上にはまだサクラは咲いていません。
咲いているのは、梅でした…。
No.62⌒★アマダの伊勢原の城【伊勢原市】フォーラム246
【建築遺産のlog!】第62号
2017年2月20日
アマダは愛甲石田駅すぐ
伊勢原市の愛甲石田駅。
新宿からは快速急行で35分、535円で到着します。
この駅には、アマダという会社の本社があります。
愛甲石田駅からも見える、黒い頂上がブリッジみたいになった建物がアマダの本社ビルです。
あの白い建物の向こうのM字型のビルね。
そのアマダ本社の入り口。
守衛さんが仁王立ちしていて、
入っていいか迷うところですが、おそるおそる入りましょう!(全然入っても大丈夫)
アマダのがいよう
ここはA&A建築研究所というところが設計した建物で、
12階建、延べ床面積20000㎡の巨大な建物です。こんな田舎に…。
Mの字に見える建物ですが、AMADAのMですかね…?(2文字目?)水門にも見えます。
丸い低層の建物がエントランスラウンジ。
ところで、アマダホールディングスはなんの会社かというと、
板金などの金属加工機械や、プレス機、切削機械など、加工用の機械を作っている会社で30か国弱の国外支社もあり、
資本金は547億!売上高2800億(連結)!従業員8000人の隠れた巨大企業です。
創業者の天田勇氏は東京都豊島区で創業しましたが、本社機能をここへ移転してきました。
アマダの板金加工機械は、3DのCADデータを基に、飛行機・車や小さな板金まで多様なものを、プリンターのような機械で作成していきます。
今までよりも時短・人員削減効果が大きい機械なのでまだまだ成長する余地はありそうな会社です。
トラス屋根の入口から入館します。ガラスを見ると鏡面ガラスになってます。
エントランスは大きな吹き抜けになっていて、
天井からはアマダのAのマークが赤い目で見降ろしていました( ノД`)(Mじゃなかったの?)
近くにはホテルのようなカウンターがあって、実際に8階~12階はカラオケラウンジやクラブもある宿泊ゾーンになっています(楽天トラベルには載ってませんでした)。
3階は宴会場。
機械工業ということで、何となく男の城、といった建物なんでしょうか。
建物の反対側にやってきました。
ラウンジがあり、コーヒーを飲むこともできるようですが、オーダー方法がわかりませんでした。
全体的に内装がバブリーです。
とにかく柱も壁も天井も鏡貼りで落ち着きません。
ここの天井にもアマダの赤い目が…( ノД`)
現代美術もたくさん置いてあって、無料美術館のようでもあります。
1階には金属質な外観のレストラン、「レストラン翠溪」があって、
日曜日はビュッフェ、その他の曜日は普通のレストランになります。
この日はビュッフェデー。
立地が悪いのか、特別混み合うこともなく、比較的安い値段で食べることが出来ます。(1620円)
ここのすごいところは、時間前にやってきたのでラウンジで座ってレストランが開くのを待っていたら、わざわざレストランの方がOPENしたことを知らせに来てくれたことです。
何も言わず座っていただけなのに、私服=ビュッフェの人、という図式で呼びに来るようにしているんでしょうか。
レストランがOPENするまでほとんど人がいなかったのに、OPENした途端何人も押し寄せてきました。
そこそこの人気はあるようです。
アマダは現在は業務も好調。
まだまだこのバブリーな建物もしばらくは安泰でしょう。
そんな気がする建物です。
No.61⌒★東西文化の融合的大倉山記念館【横浜市港北区】
東京以外の区の中では最大の人口!らしいですが、世田谷区は人口90万人超えているんですよね。
東京と地方は規模が違います。
その港北区の東横線大倉山駅を降りて、5分ぐらい歩いたところに、
歓成院観音会館があります。
設計は手塚貴晴+手塚由比の手塚研究所。いつも青い服と赤い服を着ている二人の設計事務所。
中にはきれいな供養室やホールがありますが、おそらく信者や法要専門なのでしょう。
入れそうにもありませんでした。
歓成院の裏の山を上って行くと、
大倉山記念館がそびえ立っています。
大倉山記念館は、実業家の大倉邦彦氏によって、大倉精神文化研究所として建てられました。
大倉山はもともとは観音山などと呼ばれていましたが、
この建物と共に「大倉山」と呼ばれるようになりました。
そういえばさっきの手塚建築の建物も観音会館と呼ばれていました。
大倉邦彦は、「教育者」として、幼稚園や学校の建設、また東洋大の学長も務めました。
また「実業家」として洋紙店の経営に携わった、そんな方です。
1932年(昭和7年)に建てられ、その後横浜市の手に移り1984年頃大規模に改修されて今に至ります。
大倉精神文化研究所は現在も存続して、ここで活動しています。
いったい何を研究しているんだい、というと、、、
●実用の学の研究 実業家の実学観や文化事業・教育事業についての研究を行う。
●東西文化融合の研究 近代化・宗教などを研究し、今年は東西で活躍した岡倉天心の研究も行います。
●研究所関連資料の研究・調査 創設者の思想の事績などの調査・研究、今年はアナログ音源のデジタル化などの事業を行います!
……だそうです(´Д`)面白くなさそう…
外観はパンテオン神殿を彷彿とさせるエントランス。
柱は下部がだんだん細くなる、クレタ・ミケーネ文明の時代の様式のようです。
塔屋の柱はすぐにそれがわかるほどかなり美脚の柱。
クレタ文明はミノア文明とも呼ばれていて、紀元前1000~3000年ぐらいのかなり古い文明です。
その頃の文明の中心であったエジプト文明の周縁にあったため、地中海貿易などで発展し、文明を築いていきました。
そのクレタ文明も紀元前1400年頃に崩壊してしまって、文明・文化はギリシャへ移って行きます。
クレタ島は、
地理的にも中東や小アジア(トルコ一帯)などアジア地域と、
ヨーロッパの東西文化が入り混じる結節点でもあるのです。
また、アジア方面からやってきた文明がギリシャ・ローマのヨーロッパ方面へと移り変わる、文明の中継地ともなりました。
東西文化の融合に興味を持った大倉邦彦にしてみれば、クレタ文明の様式を使用するのは必然だったのかもしれません。
入り口。
入るとすぐに階段があり、塔屋まで吹き抜けになっています。
上の吹き抜けを眺めたところ。美しい天井が現れます。
奥には、ホールがあり、たくさんの人が吸い込まれて行きました。
ホールや、他に10ある集会室は市民が借りることができ、ホールは80名収容で2000円程度、集会室は300円~で借りることが可能で、
意外と安い値段設定に驚きました。
設計したのは知る人ぞ知る長野宇平治。
各地にある古い日本銀行の建物はおそらく全て長野宇平治の作品です。
その他にも銀行ばかり設計している長野宇平治。
大倉山記念館のような建物の設計は少し珍しいのです。
大倉山記念館は、大倉山一帯のシンボルとなっていて、今でも市民に愛されていると思います。
大倉邦彦の精神が詰まったこの建物は、東西文化が交わるこの横浜にずっと立ち続けているのです。
No.60⌒★いわきの古い建物新しい建物【いわき市】
缶コーヒーって毎年、さらにおいしくなって新登場!とか言ってるけど、よくよく考えたら20年ぐらい前とあまり味が変わらない気がしますよね。
同じように、洗濯洗剤も毎年、驚きの白さに!(当社比)とか言ってるけどどこまで白くするんだ!という感じですよね。というか、これまた20年間白さは変わらない気がしますよね。
同じように、コンビニのお弁当がさらにおいしく!とか、緑茶ペットボトルがさらにおいしくなって急須でいれたような味わいに!とか言ってるけどあんまり変わってないですよねえ。
CMって狼少年みたいになってると思うのです。
*.+゚★
いわきへ行くには特急ひたちで向かいます。
磐城国(いわきのくに)へ、常陸国(ひたちのくに)の名を背負った特急で。
前も言ったんですが、なぜ特急いわきとか、特急ときわ(常盤は常陸と磐城の造語)にしなかったんでしょうね。
そして特急ときわは、いわきへは行かないのです(1本を除いて)。
わけが分かりません。
特急ひたちと特急ときわの違いは、その名前と停車駅の違いでしかありません。
硬質な感じの内装と、
このずんぐり頭の車体。
しかし!もうひとつ、特急ひたちは車内販売があり、特急ときわには無いという違いもあります。
上野からいわきまで、車内販売は2往復してくれることでしょう(意外と往復回数は少ないので、軽い気持ちでスルーすると後悔します)。
いわき駅から坂を登って300mほど行った先に、飯野八幡宮があります。
拝殿、と、後方にそびえる異様に高い本殿。
どれも1600年代に建てられた神社のようです。
江戸時代はじまってすぐ、そして磐城平藩がこの近くに拠点を築いた頃ですね。
この地を納める鳥居氏が入って来て、飯野八幡宮だった土地に城が築かれ、代わりにここに新しい飯野八幡宮が築かれました。
徳川幕府になった時に、城と神社が新装されたんですね。
拝殿は建物の大きさにしては大きな唐破風です。
本殿の後ろには長い避雷針が存在感を見せつけています。
本殿はなかなか見ずらいですが、
入母屋造りで、こけら葺きの建物。磐城を代表する神社だけあって、格式のある建物です。
いわき駅からは300~400m南下したところにあるのは、いわき芸術交流館アリオス。
長くて大きな建物で、広い公園に隣接しているのでたくさんの人がいます。
国際建築賞、BCS賞(建築業協会賞)、北米照明学会照明賞ほか、建築関係の賞を総ナメと言っていい建物です!(建築学会賞が無いかな…)
左から、大ホール、ロビー棟、中劇場。
中劇場といいながら、かなりの大きさなのが分かります。
低くて暗いエントランスから、いきなり広くて明るい吹き抜けに出ます。
床材も、壁も天井も、エントランスに比べて明度の高いものを使っています。
光が舞い降りる滝をイメージしてカスケードと名付けられた空間です。
上から「降ってくる」ので、壁は縦張り、縦目地で降り注いでいる感じを出しています。(たぶん)
屏風のような波々の外壁をしているところも…。
近づいてみると、籐編みのような壁になっていました。
遊び心も感じられる建物でした。