建築遺産のlog!

世界中の建物に行けるといいな

No.4⌒★筑西市の建物と史跡たち1


筑西市筑波山の北西の、内陸部にある町です。
ずいぶんマイナーな名前だけど、市役所がある旧下館市はまあまあ有名です。

その昔、下館市関城町明野町協和町が合併したんですが、下館以外超無名の町ばっかりだからそのまま下館市でいけばいいのに、わざわざ無名の筑西という名前にしてしまったんですね…('A`)

そんな残念なまち筑西市ですが、筑波山から近いこともあり、どこからでも筑波山がのぞめます。

 

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筑波山の西にあるから筑西市だと、ここに来ると理解できます。

 

筑西市へは、JR宇都宮線でひたすら北上して小山駅乗り換え、水戸線に乗り換えて少し行くと到着します。
新治駅下車。タクシー乗り場はあるもののタクシーはいません… (;´Д`)
仕方ないので、酷暑の中、歩き通しで行くこととします。

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徒歩2㎞ほど歩いた先にある、史跡新治郡郡衙跡は畑になっていました。おじいさんが30度を超える気温の中、ひとりもくもくと作業しています。
郡衙とは役所のことですが、ここ常陸国だけでも11郡あって、そのうちのひとつです。
役所跡は11ヘクタールにも及び、建物は地固めをしてその上に礎石を置いていたとのこと。
奈良時代あたりの遺構は、どこも現在の中心地とはかなり離れたところが多いですね。

ここもそうで、今は辺りには畑と田しかなく、筑波山が良く見えます。

 

◎新治郡郡衙跡(国指定史跡)
国指定史跡名勝天然記念物(2/3051件中)(茨城県内 1/36件中)

 

★★

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その近くにある、史跡の廃寺跡。この2mぐらいの土手を登って、この草藪をかき分けて行った先が史跡です。

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1本の木が建っていて、その付近から史跡域。

金堂と、横に東塔、西塔が並んで建っていて、後ろに講堂、とのことなので薬師寺のような伽藍配置のようですね。
西暦817年頃、焼失してしまいました。

ここも現在は畑が広がっていて、畑なのか史跡なのかよく分からなくなっています。

 

◎新治廃寺跡(史跡)

国指定史跡名勝天然記念物(3/3051件中)(茨城県内 2/36件中)

 

★★★★

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そこから、4㎞と少し歩いたところにあるのが、最近重要文化財に指定された内外(ないげ)大神宮です。

少し涼しいところに入ると、蚊かコバエみたいなたくさんの虫に取り憑かれます(;´Д`)
耳の辺りをぶんぶんぶんぶん飛び回って、腕や首に着陸しようとするので気持ち悪くてゆっくり撮影なんかしてられません。
暑いから木陰で涼んでいく、なんてとんでもない話です。
この神宮だけでなく、あらゆる木陰でこの謎の虫に襲われました。危険地帯です。

ちなみに社殿は伊勢神宮領であった関係で神明造となっています。
右側が天照大神、左は豊受大神が祀られていて、二神同時にお参りできるので、伊勢神宮よりも参拝は楽々です。
鰹木は右側が10個、左側が9個、、男神が奇数だった気がしますが、まあいいとしましょう。

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茅葺の茅は残念ながら金属板で覆われています。 伊勢神宮と比べれば小さいぶん、部材も小ぶりに見えますが立派に建っています。

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御遷殿も合わせて、重要文化財に指定されています。
茅葺の流造の建物。室町時代、というより戦国時代頃に建立されました。本殿はその100年後の建立。

 

◎内外大神宮(重要文化財

国宝・重文(1/2444件中)(茨城県内 1/32件中)

 

そこからまた5㎞ほどの道をとぼとぼと駅まで歩いて行きました。
木陰に入る度に無数の小バエに襲われながら…恐ろしい町です。

 

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大神宮近くからの筑波山の眺め。筑波山もかなり小さくなっています。ずいぶん、歩いてきたもんだ…。