No.81⌒★人形のまち岩槻【さいたま市】
岩槻城
岩槻は、さいたま市岩槻区。
昔は岩槻市だったものが、2005年にさいたま市に編入されました。
区域にあった岩槻城は太田道灌により築城されたとも成田氏によるものともされていますが、秀吉の小田原征伐の時に落城し、その後は高力清長氏などの居城となっていきました。
石高は約2万石。
岩槻城で残っているのは、わずかにこの黒門、と呼ばれる岩槻城城門と岩槻城裏門のみ。
あとは公園や公民館や市民会館になってしまいました。
人形だらけのまち、岩槻
岩槻は人形の町として有名です。
「人形のまち」と検索すると、他のどの町をも差し置いて、岩槻の名前が出てくることでしょう。
福岡県出身のぼくにとって、”人形のまち”といえば、「八女人形会館」がある福岡県八女市だと思っていたんですが(あるいは博多人形の博多)、検索には一切出てこないですね(´Д`)。
なんと、岩槻は全国のひな人形の8割を生産しているのです。
人形の東玉
その、人形のまち・岩槻の人形会社の中でも最も大きいだろうと思えるのが、人形の東玉です。
人形の東玉は岩槻藩を大岡家が治めていた1852年嘉永5年の創業。
大岡家は、有名な南町奉行・大岡忠相(大岡越前)とは遠戚関係にはあったようです。
HPに書いてあるには、戸塚隆軒という漢学医が人形作りの趣味が高じて創業し、会社はここまで大きくなったようです。
作品がすばらしかったので、東玉という号を城主から頂いたんですね。
東玉は、
岩槻の周りの幹線道路沿いに上のような大看板をたくさん出しているんですが、
夜はぼわっと淡い光で照らされていて、自転車などで通るととてもこわいんです(;´Д`)
岩槻は田舎なので周りは田んぼで、昼見ても怖く、ひと気のない夜はさらに輪をかけて怖いんですが、なぜこの人形の写真を採用したんでしょうか…。
他にかわいい人形はたくさんあるだろうに。
東玉大正館
昔中井銀行の岩槻支店だった東玉大正館は国の有形文化財に登録されています。
煉瓦造の2階建。一部石張りで左右対称の建物。
屋根は寄棟瓦葺きで、わずかに日本風でもあります。
中は、たくさんの人形が詰め込まれていました。
今は五月人形と、吊るし雛が販売の主流ですね。
遷喬館
岩槻駅近くにある、
岩槻藩校の遷喬館です。茅葺の建物で、無料で入ることができます。
幕末頃、児玉南柯が私塾をここに開きました。その私塾ものちに岩槻藩の藩校になります。
遷は、他へ移って行くこと。
喬は、高く、そそり立つこと。
遷喬館は高みに登るような意味ですかね。
藩校、つまり学校のため、かなり簡素な内装です。
たくさんの子供たちが、この広い部屋で学んでいたことでしょう。
人形のまちらしく、ひな人形も、置かれていますね。
岩槻は、
まだまだ江戸の香りを色濃く残す町です。
その岩槻は、人形のまち、として高みに登って行ったのです。