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建築遺産のlog!

世界中の建物に行けるといいな

No.61⌒★東西文化の融合的大倉山記念館【横浜市港北区】

横浜市港北区は人口が約34万人。

東京以外の区の中では最大の人口!らしいですが、世田谷区は人口90万人超えているんですよね。

東京と地方は規模が違います。

 

港北区東横線大倉山駅を降りて、5分ぐらい歩いたところに、

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歓成院観音会館があります。

設計は手塚貴晴+手塚由比の手塚研究所。いつも青い服と赤い服を着ている二人の設計事務所ですね。

中にはきれいな供養室やホールがありますが、おそらく信者や法要専門なのでしょう。

入れそうにもありませんでした。

 

その歓成院から裏の山を越えて行った先には、

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大倉山記念館がそびえ立っています!

 

大倉山記念館は、実業家の大倉邦彦によって、大倉精神文化研究所として建てられました。

大倉山観音山などと呼ばれていましたが、

この建物と共に大倉山と呼ばれるようになりました。さっきの手塚建築の建物も観音会館と呼ばれていましたね。

大倉邦彦は、「教育者」として、幼稚園や学校の建設、また東洋大の学長も務めました。

また「実業家」として洋紙店の経営にも携わった、そんな方です。

 

建物は横浜市の指定有形文化財

1932年(昭和7年)に建てられ、その後横浜市の手に移り1984年頃大規模に改修されて今に至ります。

 

大倉精神文化研究所は現在も存続してここで活動しています。

 

何を研究しているかというと、、、

●実用の学の研究 実業家の実学観や文化事業・教育事業についての研究を行う。

●東西文化融合の研究 近代化・宗教などを研究し、今年は東西で活躍した岡倉天心の研究も行います。

●研究所関連資料の研究・調査 創設者の思想の事績などの調査・研究、今年はアナログ音源のデジタル化などの事業を行います!

……だそうです(´Д`)

 

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外観はパンテオン神殿を彷彿とさせるエントランス。

柱は下部がだんだん細くなる、クレタ・ミケーネ文明の時代の様式のようです。

塔屋の柱はすぐにわかるほどかなり美脚の柱です。

クレタ文明はミノア文明とも呼ばれ、紀元前1000~3000年ぐらいのかなり古い文明です。

その頃の文明の中心であったエジプト文明の周縁にあったため、地中海貿易などで発展し、文明を築いていきました。

そのクレタ文明も紀元前1400年頃に崩壊し、その後文明・文化はギリシャの方へ移って行きます。

 

クレタ島は、

地理的にも中東や小アジア(トルコ一帯)などアジアと、

ヨーロッパの東西文化が入り混じる結節点でもあるのです。

また、アジア方面からやってきた文明がギリシャ・ローマのヨーロッパ方面へと移り変わる、文明の中継地ともなりました。

東西文化の融合に興味を持った大倉邦彦にしてみれば、クレタ文明の様式を使用するのは必然だったのかもしれません。

 

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入り口。

 

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入るとすぐに階段があり、塔屋まで吹き抜けになっています。

 

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上の吹き抜けを眺めたところ。美しい天井が現れます。

 

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奥には、ホールがあり、たくさんの人が吸い込まれて行きました。

ホールや、他に10ある集会室は市民が借りることができ、ホールは80名収容で2000円程度、集会室は300円~で借りることが可能です。

意外と安い値段設定です。

 

設計したのは知る人ぞ知る長野宇平治

各地にある古い日本銀行の建物はおそらく全て長野宇平治の作品でしょう。

その他にも銀行ばかり設計しています。

大倉山記念館のような建物の設計は珍しいのです。

 

大倉山記念館は、大倉山一帯のシンボルとなっていて、今でも市民に愛されていると思います。

大倉邦彦の精神が詰まったこの建物は、東西文化が交わるこの横浜でずっと立ち続けているのです。