建築遺産のlog!

世界中の建物に行けるといいな

No.135⌒★蚕の邸宅【伊達市】旧亀岡家住宅

北海道に伊達市っていう市がありますよね。

北海道の左側にカニの爪みたいに伸びた半島(半島の先は函館)の、付け根あたりにある市で、

昔噴火した有珠山があるところです。

 

その、北海道伊達市とは関係なく、今日は福島県伊達市のお話です( ´∀`)。

 

ただ、

北海道の伊達市も、福島県伊達市も、同じ伊達政宗がいた伊達氏に由来した名前です。

北海道伊達市は明治に開拓した伊達氏の分家に由来するもの。

福島県伊達市伊達郡を拝領した中村さんが伊達の名前を名乗ったもの。

つまり、北海道伊達市は回り回って、元々は福島県伊達郡から来た名前だったのです。(もしかしたら北海道中村市だったかも)

 

伊達郡(地名)→伊達氏(人名)→北海道伊達市(地名)と、

地名が人名を経由してまた地名になったんですね(´Д`)

 

伊達市周辺は養蚕の産業が盛んで、その養蚕で儲けた亀岡家の邸宅が残されています。

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保原総合公園は、大規模な遊具やら野球場から相撲場まである、まさに総合公園。

文化施設としての亀岡家住宅もそこに移築されていました。

 

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公園内で異彩を放つ、旧亀岡家住宅

2016年7月付の国指定重要文化財の立派な建物ですが、

周りのスポーツ施設などにはたくさんの人がいるんですが、この亀岡家住宅の周りだけ誰もいないのが気になります(;´・ω・)。

みなさん、見飽きてしまったんですね…。

 

設計は、岡山県に数多くの建物を手がけた江川三郎八。

彼の手がけた建物は「江川式建築」と呼ばれます。

江川式建築の特徴は、

例えば、

屋根の上に取り付ける棟飾りは五輪塔を模したものを付けることが多いそうですが、この建物も五輪塔っぽいデザインの棟飾りが設置されていました。

このように、全体的に洋風外観ながら、日本的な要素もある建物です。

 

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内部はなぜか和風。

ここで商人たちが、無数の蚕の卵・蚕種を紙に貼り付けたものを売買していたようです。びっしりと紙に張り付いた、無数の黒い卵を…(;´・ω・)

商人たちにはやはり慣れ親しんだ和の部屋の方が取引にはいいんですね。

 

内装は黒柿と呼ばれる材など、高価なものが多数使われ、商人たちはここで寝泊まりをして取引を進めたようです。

そういう大部屋がいくつか並んでいて、同時並行的に商人たちとの取引が行われていました。

 

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廊下の曲がり角にも気を遣って施工しています。

そこへ無造作に現代の管理人が掃除機を置いていたりします。

('Д')気を遣えっ

 

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亀岡家ということで亀甲マークの戸。

 

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唯一の洋間。

照明がある中央から、折り上げ部は旭日旗みたいに20条の光線(?)が発せられ、下がり天井部は、それが36条の光線となっています。

それがなんだ、という感じですが、

真ん中と外側で微妙な操作をして、デザインを成しているのかもしれません。

プスプスで大さん橋と山下公園へ行こう

プスプスとは、フランス語で乳母車みたいな意味。

つまりそのまま乳母車のことで、東京乳母車という会社が販売しています。

ちなみにプスプスは普通のベビーカーの2倍以上の値段がします(;´・ω・)

 

プスプスはベビーカーに比べれば巨大なため、

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車に詰め込むとギリギリのギチギチになってしまいますね。

後部座席右側にはチャイルドシートを設置したので、大人は後部には座れなくなりました。

きっとプスプスが入らない車種もあるんでしょう。そんな中、スズキのスペーシアはギチギチながら入れることができました。(奥行きと高さは余裕)

プスプスは若干重くて、抱え上げるのも一苦労でしたが、一番の問題点は、家の出入りが大変だということでした。

複雑な段差を持つ玄関だと、運び入れるだけで疲れてしまうかもしれません。

そんな大変なプスプスで、大さん橋お散歩しに行きましょう。

 

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大さん橋は、1階が巨大な駐車場になっており、

休日ならば、上限2000円で駐車することができます。(昼過ぎは満車かも)

ただ、トイレは汚く、赤ちゃん連れにはいまいちの設備です。

 

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巨大な船を見ることのできる屋上デッキも含めて、波打った地面ながら全てバリアフリー対応。

問題なく走行できます。

 

プスプスは、タイヤが固定されているので、曲がるのが大変ですが、動くベッドなので赤ちゃんはすやすや寝ています。

メリットとデメリットがはっきり出るのがプスプスです。

 

今日はセレブリティ・ミレニアムが入港していました。

セレブリティ・ミレニアムは総トン数91000トン、旅客定員は2000人弱で、

大桟橋に来港する超大型船サファイアプリンセス号(総トン数115000トン)などと比べると、これでも少し小さめです。

セレブリティミレニアムに乗船するセレブリティたちは、タクシーを使って東京の方まで行ってしまう人もいるので、タクシー渋滞が起きていました。

 

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セレブリティミレニアムのような大型客船がいると、

横浜の景色は見えず、マンションみたいな船の横腹が、ただ見えるのみです。

大さん橋を出たところから景色を眺めます。

 

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大さん橋から近い、山下公園

フラットな公園なので、ここもプスプスは問題なし。

ここにはハッピーローソンがあるので、

授乳もおむつ替えもできるし、

泣き喚く赤ちゃんと一緒の食事も、あまり気まずくありません!(ハッピーローソンはうるさい子供だらけ)

 

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ばら園をお散歩したり、

 

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お弁当を買ってこんなところで食べるのもいいでしょう。

周りは中国人の観光客だらけで、至る所で写真を撮ってますが…。

 

さらに先にある、横浜マリンタワーにも、

授乳室、おむつ替えシート完備なので、

赤ちゃんとは快適にお散歩できそうです。

 

★*.+゚プスプスと曲がり角の話

プスプスは、タイヤが固定されているため、

つまり、

90度の角度の曲がり角を曲がることができません…(゚Д゚;)

ヘアピンカーブなんてどうあがいても絶対無理ですね。

で。

どうやって曲がるかと言うと、

プスプスのハンドルをガッと持って、

後輪タイヤをバッと持ち上げて、

無理やりグイッと曲げると曲がれます。

まあ意外と重くないので、そんなには苦にならないんですが、タイヤが曲がってほしいなあ、と思います。

でも、自在に曲がれる機構なんか付けると、ただでさえ高級なプスプスがますますセレブリティ級になってしまうかもなので、このままでいいのかもしれません。

No.134⌒★風の町木の町【国見町】町役場・あつかしの郷

国見町は、

奥州街道でいうと福島宿から三つ目と四つ目、日本橋から数えると56番目と57番目の

藤田宿と貝田宿がある福島県伊達郡の街です。

奥州街道もここまで来ると完全にマイナーな宿場町ですねえ。

 

町の中心部へ行くには藤田宿がある、藤田駅から行きます。

もうひとつの貝田駅前には、ガソリンスタンドと、なぜかサービスエリアがある以外には畑と荒野が広がっている、スペシャルに寂しい駅なのでお気を付けを。

なぜ、駅前にガソリンスタンドとサービスエリアという車に関連する施設しかないのか、存在意義がわからない謎の駅で、

1日の乗車客数は数十人の、寂しい駅です。

 

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まあ、降りるのは藤田駅の方なんですが、お昼時に着いて、

この駅も、食事をする場所は皆無でした。

 

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お腹を空かせながらぷらぷら歩いてると、ほど近い場所には観月台溜池を囲む、観月台公園があります。

月を見るというより、桜を見るスポットとして有名な、この公園。

 

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県指定文化財旧佐藤家住宅も移設されている、のどかな公園でした。

 

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そこからさらに歩いて行った先には、かっこいい建物の国見町役場が建っています。

国見町役場は、東日本大震災で被災し、さっきの観月台公園にある観月台文化センターを仮庁舎として使ったあと、

この新庁舎を建設しました。

大震災は大変な災害ではあるんですが、その副産物として、こういった建物が生まれたのです。

 

設計はマーチエキュートなど評価が高い建築も多い、ジェイアール東日本設計

駅から遠く離れた場所でもこの設計事務所は問題なく受注するんですね…。

 

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今流行りの、地場産木材をふんだんに使った公共建築。

公共建築物等における木材の利用の促進に関する法律などという法律ができ、

低層の公共建築物を中心に木材利用が推進されていきました。

この庁舎も、木材と鉄骨が融合する、美しいデザインを作っています。

 

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木質感あふれるベランダがアクセントに。(ただし構造は鉄骨+鉄筋コンクリート造)

 

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町役場の近くには、道の駅あつかしの里がオープンしました。設計はフォルム建築計画。

「あつかし」はこの付近にある、280m余りの小さな山や防塁の名前として付けられた、厚樫あるいは阿津賀志という地名のこと。

奥州藤原氏はこの厚樫山周辺で、北上してきた源頼朝の軍勢を防ごうとしたのです。

ここは、鎌倉勢力と、奥州の国境地帯だったことがわかります。

 

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こちらも木をふんだんに使った建物。(ただし構造は鉄骨造)

 

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2階は道の駅の流行りの、宿泊施設になっています。

客室1から客室4までの4室限定。

1人5000~8800円で、あまり高くもない値段設定。これで、採算は取れるんでしょうか…。

 

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国見STAY「風道」の名称は国見町の鈴木さんが名付けたそうです。

風道がなんだかは分からないですが、白石や角田市の方から続く谷は、ここ国見町あたりで大きく開け、広大な福島盆地が広がります。

各地からの風が到着する場所が、ここ国見町です。

 

★*.+゚auraの子育て日記

ベビーベッドって、

あれほど、無駄なものはあるでしょうか。

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赤ちゃんが泣き止む度に、わざわざベビーベッドまで行ってあやして泣きやませてまた自分の寝場所に戻る、という疲れる工程。

赤ちゃんとの闘いは夜を通して続くので、いちいち起き上がる、という作業はとても疲れます。

ベビーベッドって、もしかして、普段からベッドを使って寝てる人用に作られたものなんでしょうか( ºдº)!!(今気づいた)

ベッドにベビーベッドを横付けしたならば、いちいち起き上がらずにすぐに対応できます(たぶん)。

ふだん、布団派の人は、一段高いベビーベッドを仰ぎ見ながら過ごさないといけないのです(ベビー様が頭上で君臨しています)。

 

うちは、布団派。ベビーベッドは完全に不要な物置空間でしかありません。

ベビーベッドを店に置く時には、布団派の人にはおすすめできません、ぐらいのことは書いて欲しいものです。

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布団派におすすめなのはトコちゃんベルトが販売している、天使の寝床です。

まあ、これも一種のベビーベッドですが。

布団に横付けすることができます。必要なのは、横付けできるかどうか、だと思います。5分に1回ぐずったりするのが赤ちゃんですからね。

No.133⌒★和洋の建物【桑折町】旧伊達郡役所

桑折町のメインストリートの終わりの方には大野屋という菓子店があって、

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有名な大野屋のあんぱんが売っています。

新生児の手ぐらい小さなあんぱん。つぶあんではなくこし餡で、思い描いているあんぱんとは違う味だと思います。

銘菓ひよこにごまを付け足したような味ですね。

餡子好きで買った人には、思いもよらぬ結果になると思います(´Д⊂ヽ

大野屋さんは、和菓子だけでなく、洋菓子も売っていて、どちらかというと洋菓子の方に力を入れている感じがする和洋菓子店です。(和菓子コーナーは心なしか暗かった…)

 

そんなメインストリートの終点の、

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突き当りに見えるのが、旧伊達郡役所の建物です。ちなみに右奥のピンク色の建物があんぱんの大野屋さん。

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復元塔屋が美しい旧郡役所の建物。

今は伊達市になっている保原町から移設してきたもののようです。

かつては郡家(こおりのみやけ)があった桑折町(こおりまち)には郡役所は当初なかったんですね…。

それでは「こおり」町の名が廃る、ということで移設を熱烈に推進してきたんでしょうか。

 

建物は木造2階建て、洋風の外観ですが、屋根はばっちりと和瓦の和洋混交で建てられれた、擬洋風建築です。

塔屋の下にもお城によくある三角の千鳥破風らしきもの(入母屋破風?)が乗っていたりします。

 

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中は展示スペースとなっていました。

こざっぱりとしたデザインの内観。天井はわずかに持ち上がっています。

 

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2階は郡の会議場で、ダンスホールのような広いスペース。

わずかにステンドグラスがあり、折り上げの天井。塔屋へ上る階段(立ち入り禁止)。

全体にやはり小ざっぱりしています。

 

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照明の天井には絵が埋め込まれています。

ところどころ、郡の住人に税金の無駄遣いだと睨まれない程度に手をかけています。

 

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郡役所が付き合たりに建っていたので、

会議場から出られるベランダから、桑折町の町並みをまっすぐに見渡すことができます。。

ピンク色の大野屋も近くに見えると思います。

 

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雲形のデザインは、

お寺でよく見かけるデザインをデフォルメしたもののような気がします。

 

大野屋も伊達郡役所も、和洋混交の、どちらかというと洋風押しなのです。

 

★auraの子育て日記

新生児は、世間的に、人気があります!

なぜなら、新生児は希少価値が高いのです。

普段、見ることのない新生児。

新生児は何をしているのかというと、家で寝て母乳を飲んでまた寝て母乳を飲んで過ごしています。

そして母親も育児疲れを起こしていたり、首が座ってないぐらぐらの状態でこわくて外出できないので、町で見かけることは少ないでしょう。

新生児期の小さい赤ちゃんは体重が数か月で倍増してしまうため、その小ささは両親親族だけが見られる特権です。

そのため、たまに無理して町へ出て行ってみると、希少価値の高い新生児はチヤホヤされたりするのです…。

No.132⌒★無能の寺【桑折町】

福島駅からJR東北本線で3駅目の桑折

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房総半島の駅っぽい雰囲気の駅です。

桑折がある桑折町福島から二つ目、日本橋からだと55番目の奥州街道の宿場町で、

むかしむかし、郡家(こおりのみやけ)という郡の役所がおかれたことから、「こおり」という地名が付けられ、桑折の字が当てられました。

福島県郡山市も、おそらく郡家がおかれてたので、郡山の名前が付いたものと思われます。

「桑」の字が使われている通り、

桑折町がある伊達郡一帯は、桑を食べる蚕、つまり養蚕が盛んだった土地で、

蚕の卵を売り買いして大儲けする豪商などもいました。

今は伊達市になっている梁川町は、蚕都とも呼ばれました。

 

桑折町は人口12000人で漸減していて、

駅からやや離れたところに、あまり活気のあるとは言えないメインストリートが広がっています。

 

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そのメインストリート沿いにある、無能寺。

無能寺の「無能」は、この地方で有名だった僧の名前で、

多い時には1日に10万遍の念仏を唱え、生涯で数億遍の念仏を唱えたという、

決して無能ではない僧侶・無能のお寺なのです(`・ω・´)

ちなみに弟子は不能というらしいです…。

名前は、、、何とかならないんでしょうか…( ´‐`)。

 

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立派な門を潜って行くと、

 

 

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これまた立派な松が現れます。

笠みたいになっている笠マツと呼ばれるアカマツですが、

明治天皇がこの下でお休みになられたあと、晴れて「御蔭の松」と名付けられました。

 

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四方どこから見ても美しい御蔭の松。

樹齢は推定で約400年。僧無能が亡くなったのが1719年のことなので、没後約300年。

この松は、無能が何千何万何億遍も念仏を唱えていたのを聴いているはずです。

案外、その念仏に救われて美しい立ち姿を得たのかもしれません。
 

★*.+゚auraの子育て日記

馬の子は生まれたその日に歩けるというのに、我が子は…。

 

生後一ヶ月経って、母乳を飲むのが若干上手になって、

わずかに体を斜めにして寝ることができるようになり、

やや夜は長めに、昼は少なめに寝るようになってきた、、気がする。

くらいの成長しか感じられません(˘•ω•˘ )

 

生まれてすぐに歩いて何やら偉い言葉を叫んだ釈迦はなんてすごいんだろうと思いながら、

全く歩きもせず言葉もしゃべれない子どもを前に、変化があるのか無いのか分からない毎日を過ごしています。

外的な変化はありますけどね。

一緒にお風呂に入れるようになったり、

外出がようやく解禁されたり(してたけど…)、

「1ヶ月から」と書いてあるベビーカーに乗れるようになったり…。

内的には…あまり変わってない気がします。でもよくよく見ると顔が大きくなったような…。

No.131⌒★里見家の終わりの城【館山市】館山城

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館山駅から南に2㎞歩いたところにある、館山城。

 

館山駅から館山城方面のバスがほぼ無いことで観光地としての力の入れなさが分かります。(結局往復とも歩いて行った…)(そもそも館山城行きのバスは無いかも…)

 

館山城の入り口についたら、まず階段100段コースか、スロープコースかの選択に迫られます。

まあ、お好きな方で良いと思いますが、階段100段コースを進んでみましょう。

ちなみにスロープコースで行った場合でも、少しは階段があり、きつい斜路でとても疲れます。

 

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階段100段コースから行った時にだけ見られる、孔雀園。

暑さのためか、自分から土に生き埋めになって過ごしていました(´Д`)。

もっと日影で掘ればいいのに…。

 

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無料で入れる、というところはいいんですが、大変地味な園で、

お客さんもゼロでしたね。

羽を広げている、やる気のある孔雀もゼロでした…(´Д`)。

 

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階段は本丸まできっちりと100段!(101段だったかも)

しかし斜路もだいぶあるので、少し疲れる登城です。

 

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100段(か101段)登った先には館山城天守が待っています。

建築的にはどうということのない、RC造の再建の城で、どういう外観の城だったかもわかってないそうです(つω・`。)(つまりテキトー)

中は、里見八犬伝の博物館のようになっていました。

 

里見氏は、館山市稲村城を居城としていましたが、

その後、勢力の拡大によって房総半島中央の久留里城や佐貫城を居城としていて、

館山城が居城になったのは、秀吉の怒りを買って安房一国に押込められてしまった時代のことなんですね…(´Д`)。

 

安房国を守るにはいい城なのかもしれません。

安房から出て行って、関東の覇権を争うには、南過ぎる城なのです。

稲村城を出発した里見氏は、国勢拡大で北へ北へ進出していったものの、最後は館山城まで戻され、ついには改易されて滅んでしまいます。

 

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天守を越えた先の小道を通って行くと、

 

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徳川幕府により改易された当時の里見八遺臣の墓と呼ばれるものが残っています。

この八遺臣が、南総里見八犬伝のモデルともされていますが、里見氏の終わりを物語るものです。

 

★*.+゚auraの子育て日記

 

ベビー用にわざわざ作られた商品ってありますが、

 

ベビー石鹸とか、

ベビーシャンプー、

ベビーハンドソープ、

赤ちゃんの純水とか、ベビー麦茶とかベビーほうじ茶とか…

本当に必要なのはどれなんでしょうね。

ベビー石鹸と普通の石鹸はいったい何が違うのか、赤ちゃんの純水っていったいなんなのか…それはただの水ではないのか、

何だか騙されてる気がするのがベビーグッズ業界なのです…(`ω´;)買うけど

 

No.130⌒★館山つわもの夢の跡【館山市】

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本丸下の急斜面を下ると、謎の鳥居が立っています。

麓には貴船神社があるので、その鳥居でしょうか。

まだ道が続いてたので、城へ行く道は何本もあることになります。

 

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本丸とは反対の方に行くと、

「正木様」

の看板があって、果樹園が広がっていました。

お城の域内にも私有地が広がっているということで、城を感じさせるものはわずかに残る石垣にしかありません。

 

里見家の重臣に正木という人物がいますが、まさかその子孫かな?('Д')

 

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登って来た方とは反対側に進んでみると、

また昔の石垣が続き、

 

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土盛りの通路が続いたあと、

 

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駅に近い方に出ました(´Д`)。(あっちの小高い方が稲村城一帯)

駅から遠い方へぐるっと回って上り、駅へ近い方へ出てしまったようです。

 

つまり、稲村城へ最短で行くなら、

九重駅の北側の道を西へ行き、

128号線に出る前の踏切を渡って

一つ目の道を右へ。

あとはいっぱい立ってる「稲村城はこちら」看板を頼りに進みましょう。

 

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さらに、出入りしてはいけないと書いてある九重駅の南側の通路から…

城へ向かうとより近いですね(*‘∀‘)。

 

…というのは嘘で、遠回りしても北側正面口から出入りしましょう(当ブログは法令を遵守致します)。

 

九重駅からは館山駅へ戻ります。

 

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館山市内にはいくつか近代建築があります。

これは、館山駅から東に数百m歩いたところにある、安房南高等学校の旧校舎(普段は立ち入り禁止)。

近代建築にはなぜか多い、ピンク色の外壁左右対称の外観で優雅な姿を見せていて、特別公開の日だけ入ることができます。

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桜の季節に行くと、ピンクの外壁にピンクの花で彩られるんでしょうか。

この位置に、桜の木はなかった気がしますが、まあいいとしましょう。

 

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手すりのデザイン。

 

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天井は少し高い気がします。

安房南高校出身という、鈴木おさむさんやYOSHIKIもここで勉強したんでしょうか。

お城だけでなく、ここにも夢の跡がありました…。

 

★auraの子育て日記

新生児は夜も昼もありません。

新生児に夜、寝てもらうためには、

夜というものを認識してもらう必要があります(`・ω・)

 

認識してもらうための苦労の歴史を書いてみると、

・夜は10時には消灯。

・夜は10時にはテレビオフ。

・8時過ぎにお風呂に入れない(目がランランとします)

・寝る前にたっぷりミルクを飲ます(お腹いっぱいでうとうとさせる)

・夜は赤ちゃんベッドにカーテンをかけて暗くする

・朝お風呂に入れる(夜風呂がだめ?)

・やっぱり夕方にお風呂に入れる(夕方泣くので)

・夜はやっぱり9時に消灯(←今ここ)

 

 昨日はお陰で夜は3時間は寝るようになってくれました。

1時間置きに起きる最悪の状況は脱しました(´Д`)。

赤ちゃんに寝てもらうためには、

お前ら(両親)も規則正しい生活をしろよ、ということですね。