No.174⌒★【太田市】金山に登ろう-1隈研吾ガイダンス施設
【建築遺産のlog!】第174号
2018年3月2日
そういえば金山といえば、前に太田市を訪れたとき、
太田駅から金山に向かう途中に高山神社という神社がありまして、
テクノプラザ太田や旧金山図書館からも近い小高い山に建てられている神社で高山彦九郎にちなんだ神社なんだそうですが、
焼失していました(;´Д`)
デコボコの字で衝撃の内容を伝える看板…。
土台だけを残して焼失してしまった高山神社。全焼ですね。
鳥居より先は立ち入り禁止区域らしく、階段の途中に祭壇が置かれていました。
その当時、社寺に放火していく反日外国人みたいなのがいて、犯人はそういう奴ではないか、という噂もありましたが、
犯人はぶじ捕まっていました!
犯人は太田駅から南の方の地域に住んでいる人で、パーソナリティ障害を持っていました。どうやら反日外国人ではなさそう。
犯人は神社や民家で盗みを繰り返し、建物を次々に放火していきました。
パーソナリティ障害とは、言葉通り人格障害。
感情をコントロールできなかったりうまく対人関係を築けなかったりします。…が、この犯人は懲役12年の判決が出ているので、責任能力はあったんでしょう。
まあ人格障害だからと言って罪を軽くしては欲しくないですがね(-""-)
そういえば、もう少し西側の方で見かけた、この焼失民家も、同じ犯人なんでしょうか。
平屋の、あまりお金をかけてそうにない住宅なのに、梁に曲がり材を使っていたりして面白い住宅ですね(*‘∀‘)(見る場所が違う)
それにしても同じ日に2軒もの消失家屋を見るなんて、なかなかないことで、大変な事態です。
途中には面白い民家もありました。
屋根の形が複雑な建物。
この複雑な形状の屋根を支えるために部屋の真ん中に柱を建てたりしていて使いづらそうな建物ではありました。
光を大きく取り込みたいからこのような形にしたのか、その目的はどうやら果たせそうです。
正面も背後も家の中までたくさんの光が降り注ぎそうですね。
ガラスがたくさん使われています。
金山への道。
右側は金山の麓で山が迫っていて、
左側は広いSUBARUの工場が広がっています。
太田市で発足した中島飛行機は軍用機などを製造していましたが、戦後、富士重工業として再出発し、現在のSUBARUへと繋がっていきました。
一式戦闘機などを造ったのが中島飛行機なんですねえ。
ここは中島飛行機の最初の工場だったところで、なぜか大光院の境内にありました。
大光院は呑龍さま、などと呼ばれていたので、工場も呑龍工場と呼ばれ、重爆撃機呑龍もその流れで生まれました。
重爆撃機呑龍(一〇〇式重爆)はそれほど性能は良くなかったようで、味方戦闘機の護衛を必ず付けて空爆を行います。
「どんりゅう」って何だか鈍感でのろそうな名前ですよね…。
それでも、オーストラリアのポート・ダーウィン海空軍基地の空襲に参加するなど、大戦中を通じて精力的に活動した飛行機です。
金山の登山口に、ガイダンス施設が建っています。
隈研吾による設計で、
2009年に開館しました。
外壁のイメージは金山にある金山城の石垣。ずいぶんデフォルメしたものです。
周りには人の気配は全くなくて、かろうじて開館してるという感じ。
この建物を造った目論見は外れているようですね。
石垣…にはとても見えないかな。
まあなんというか、アートのような空間にはなっていました。
訪れる人が皆無、というところが悲しかったですね。
★auraの子育て日記(生後6か月半)
我が子は、早寝早起きへのしつけに成功しました(*‘∀‘)
きっちり20時までには寝て、6時前には目覚める模範的な生活。
6時過ぎまで起きていると、ご機嫌におしゃべりしているのでよく起こされます。
叩かれたりもします。耳元で何やら叫んでいたりもします(*´Д`)
ここまで来るまでには、長い道のりでした…。
最初は昼夜関係ないく寝たり起きたりしている新生児へのしつけとして、夜は18時から真っ暗にしていました。
真っ暗な中、ご飯を食べたり、パソコンをしたりするのは気がめいりますよ。
最近は、真っ暗にはせずに、照明を調光・調色機能付きのものに変えて、夕方までは白くて明るい照明、それから徐々に暖色系の照明に切り替えて行っています。
昔ながらの蛍光灯や白熱灯の照明を使っているとそうはいかないですよね。
そういういろいろな工夫をすれば、赤ちゃんは誰でも早寝早起きになる…かというとそうでもないと思います。
一番重要なのは、両親が早寝早起きになることです。
僕は、前から早寝早起きの人間なので、子どもが早寝早起きになるのは実は調光調色などするまでもなく必然だったのかもしれません。