No.171⌒★【逗子市】岩のお寺。法性寺、岩殿観音
【建築遺産のlog!】第171号
2018年2月16日
まんだら堂から大切岸へ行く途中の道で下山していくと、法性寺というお寺があります。
降りて行くとたくさんの子猫たちが戯れていました。
そしてまた石切り場。
ずいぶん四角く立方体に仕切り取ったものです。やぐらのようにも見えます。
この石切り場があるあたりから下は法性寺の広い墓場。
山の方にも祠があったし、この山全体に墓地が散らばっているんですね。
墓地の中にも石壁に開けられた穴。
もしかすると、石切り場として開けられた穴を、いつしか屋根付きの墓地(やぐら)として利用し始めたのが鎌倉のやぐらの始まりかもしれないなあ、と岩窟を見ながら思いました。
法性寺は日蓮宗の寺院です。
日蓮が、浄土宗などを邪教として戒めた立正安国論を出してしまったため、怒った浄土宗の信者に襲われてしまいました。
そこへ現れた白い猿たちが、岩窟へ日蓮を隠し、暴徒からの難を逃れました…
…という岩窟がこちらだそうです。
岩の庇も付いていて、やや不自然に丸く切り取られています。
石で塞いでしまえば、暴徒たちも素通りするかもしれません。
中を恐る恐る覗いてみると、五輪塔が1基、あるだけでした。
五輪塔は何らかの生命を持っているようで、仏像が置いてあるよりなんだか恐ろしさを感じました。
法性寺を降りて、逗子駅方面へ。
数百m歩いたところには、岩殿観音というお寺があります。
いわとの観音ではなく、がんでん観音と読むんだそうです。
岩の殿。岩の上にある建物とか、岩を削ってつくった建物だったことが想像できますね。
鎌倉周辺は、岩に囲まれていていました。
山門では浄財100円を納めていきます。
でも、ここに来たとき100円がどうしても見つからなくて、50円しか入れられませんでした。
すみません、50円足りなかった日の犯人は僕です(;´Д`)(1万円札ならあった…)
次に近くを通りかかったときに残りを入れていくことにします。
山門を入ってすぐに始まる細くて長い階段の参道。
すぐ上に2人組の参拝客。お寺にはこの2人組しかいませんでした。
ここは鎌倉から近いとはいえ、鎌倉市内からは外れです。古寺ですが、ゆっくりと参拝することができます。
視覚効果を狙って、わざわざ草木を植えているのか、植物が階段へ迫っていました。
階段を登り切った上からは、海が見えるのか見えないのか、絶妙なもどかしさの景色。
位置的に言って、一番向こうの山が葉山マリーナあたりの海ですね。手前の森のせいで残念な景色になってしまっています。
岩殿寺は721年に創建されました。
徳道というお坊さんが、この辺りを通りかかったとき、ここに光が差し込んでいるのが見え、ここで禅を行っていたところ十一面観音が現れ……というお話でお寺が誕生していったようですが、いずれにせよ相当古い、鎌倉時代以前の古寺です。(建物は江戸期の建物)
徳道は奈良の長谷寺を建てた真言宗の僧。この寺は真言宗からいつの間にか今の曹洞宗に変わってしまいました。
奥の院岩殿観音と書かれた岩窟内では、行基が岩に十一面観音像を彫ったと伝えられます。
やはりここでもやぐらのような岩窟が重要施設になっています。
岩殿観音という名前のお寺は埼玉県飯能市の山中にもあって(東松山市にもある)、
やはり行基が洞窟の中で休んでいたときに、夢のお告げで十一面観音像を納めよ、と言われたらしくここにも観音像を安置していきました。
夢のお告げというのは今のところ僕のもとには来ないんですが、来る人には何度でも来るんですね…( 'ω' ;)
★auraの子育て日記(生後6ヶ月)
機嫌の悪さと良さは隣りあわせ
6ヶ月乳児ちゃんは機嫌がいいとき、すごくたくさん笑ってくれます。たくさんしゃべって表情も豊か。
…でも、それが一瞬で急激に暗転して機嫌が悪くなっていきます。
機嫌の良さは機嫌の悪さの前触れ。
逆に、能面みたいに無表情なときは、そこからは特に機嫌が悪くなるわけでもなく機嫌が良くなるわけでもなく、ずっと大人しくしているのは不思議ですね。
思えば、嫌いだと思っている人とずっと一緒にいたら好きになったり、
嫌だ、と思って食べず嫌いになっていた食べ物がその後大好きになったり、
好きと嫌い、機嫌が悪いと機嫌が良いなどは実は隣り合わせの似たものなのかもしれません。
…と、急激に機嫌が悪くなる、数秒前まで機嫌がすごく良かった子を見て人の不思議さを感じました…。