No136⌒★観光地への道【伊達市】梁川城、梁川八幡宮
観光地になりたいなあ、と思っている伊達市。
旧亀岡家住宅だけじゃなく、他にも虎視眈々と観光地化を狙っているようです。
その一つが、この梁川城跡。
ゆくゆくは国指定史跡の称号でも得て、
もっと整備して、
観光地になってほしい、と思ってるそうです。
今は石垣がわずかに残って、
泥臭い池と小さい神社社殿があるだけの、ただの廃墟になっています。
伊達市の財政では、この状態から城郭を整備してアクセスを良くして(周辺は道が狭い)、観光地として立派にやっていけるようになるには、ほぼ不可能な事態です。
そのためまずは、国指定を得ることが第一歩です。
梁川城は伊達家の支城として存在しましたが、
上杉家が治めた頃に廃城になってしまったようです。
鶴ヶ城と呼ばれてる城は、仙台から大分まで、
実はたくさんあります。
この城もきっと、鶴が舞うような美しい城だったのでしょう。
もう一つ、観光地化を目指しているのが、こちら(*・ω・)つ
ここで初陣の祈願をしたという政宗にちなんで造られ始めた政宗にぎわいひろばです。
にぎわってますねえ…(;´・ω・)祝日だったのでとてもにぎわってます。
整備計画によると、この賑わってないにぎわい広場は、見たところ今の5倍ぐらいになるよう計画されているようです。
整備計画中と言いながら、全く開発の気配もない、にぎわい広場の奥地。
にぎわい広場はアイスクリームの旗が寂しげに風に揺られていました。
利用者は神社にお参りに来るわずかな人たちと、公衆便所を使いに来る人たちだけ。
地域としても今や寂しい地域なのです。
その隣にある、八幡神社は少し見ごたえがあります。
林の中に建つ神社。
梁川城の北東の方角にある、鬼門としての神社でしょうか。
木立の中を抜けていくと、
池の中に鬼石観音堂がたたずんでいます。
坂上田村麻呂が建てたなんて言い伝えがあるので、本当だとしたら1200年前のものです。
そういわれれば、鬼石観音堂も、平安時代の風情を感じられる気がします。
梁川八幡神社の社殿は修理中でした。
坂上田村麻呂が活躍する前後だと思いますが、その後奥州藤原氏の繁栄と凋落、
伊達氏の興隆がある中で、地域では重要な神社であり続けました。
伊達政宗で言えば、初陣と、妻の愛姫(めごひめ)が伊達家に引き渡された場所として有名です。
なんとなく、政宗にぎわい広場を作りたくなる気持ちも分からないではない、由緒です。
★*.+゚auraの子育て日記
初めて電車に乗って、夜のネオンに興奮して、深夜泣き喚く我が子…。
大したことはしてないのに、何気なくつけたテレビの光に興奮して、深夜泣き喚く我が子…。
背中が凝るのか、一晩中伸びをして、あげくになぜか泣き喚く我が子…。
かと思えば、飲まず食わずで何時間も大人しく寝て起きない我が子…。(逆に大丈夫かと心配になって眠れない)
安定感ゼロ、それが乳児です(*ˉ꒳ˉ*)