建築遺産のlog!

世界中の建物に行けるといいな

No.114⌒★山梨県は杉の寺、杉の神社【甲州市】恵林寺、熊野神社

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放光寺の少し南には、恵林寺があります。

放光寺が塩山駅から徒歩30分超、恵林寺も徒歩30分ぐらい。いずれにしても遠い寺たちです。

恵林寺武田信玄菩提寺です。

寺へのアプローチを見ると、おや?と思いました。

山門へ向かって続く道は、門の手前でくいっと曲がっています。

この配置は信玄が川中島の合戦の折、さらってきた甲斐善光寺と同じ配置。

甲斐善光寺も、山門の手前で道路が曲げられています。

もしかすると、甲斐の国にとって重要な寺はこのような配置になっているんでしょうか。

参道と街道を併用しているような道です。

甲斐武田神社も同様ですね。

 

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山梨では多くの寺社は杉並木が取り囲みます。ここも例外ではなく、杉並木参道が続いていました。

 

門の額は、

雑華世界

と書いてあり、世の中には良い華も悪い華もあり、そういう世界をそのままに認める世界、みたいな意味だと思います。

それはともかく、京都の西に雑華院という寺院がありますが、そこには武田信玄父子の碑が建っています。

雑華院のある妙心寺は、信濃国の高梨氏の一族に連なる者が開山だということです。

 

何がどう繋がっているのか分かりませんが、

何はともあれ、信玄は今も、様々な華に彩られた世界にいることは確かです。

 

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赤い四脚門は重要文化財

徳川家康の時代、1606年に再建されたもの。

ここの額は「乾徳山」です。

 

乾徳山は恵林寺から真北に行くこと10㎞ぐらいの深い山地にある2031mの高い山です。 

乾徳山は夢窓疎石が修行した山とかで、その夢窓疎石が開いたとされる恵林寺の山号が乾徳山になるのは必然なのかもしれません。

 

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恵林寺の拝観は16時半まで。

前の放光寺に着いたのがすでに16時32分だったので、入れるはずもありません…(´Д`)。

 

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塀の外から眺めるだけとします…。

塀の外は、お土産屋とか誰もいないタクシー乗り場とか、廃墟になったレストランとか、観光地になっていて、寺の風情は失われてる気がします。

 

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ぶどう愛の強い山梨県

民家の格子もぶどう柄。

 

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塩山駅から南へ下ること20~30分歩いたところにある熊野神社

山梨では多くの寺社は杉並木が取り囲みます。ここも例外ではなく高い杉に囲まれていました。

周りには民家とぶどう畑しかない平地なのでいきなり高い杉が立っている光景は異様でもあります。

この神社の真南にかなり行ったところにある富士山から、北にある乾徳山まで、たくさんの寺社が並んでいますが、

思えば富士山の麓にある浅間神社の樹高45mはあるという富士太郎杉から始まり、熊野神社恵林寺、放光寺や、その他の寺社の杉に至るまで、杉が点々と並んでいます。

富士の真北にあるというだけで寺社が集中して栄えたような甲州市に、人々は何か霊的なものを求めたのかもしれません。

高い杉は、富士に降り立つ神や仏から見えるように、その目印の役割なんでしょうか。

 

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熊野神社本殿は重要文化財に指定されています(拝殿も重文)。

本殿は、社殿が四列並列することが特徴の、春日造で造られています。

1、2、3…あれ?一つ足りないな…。

 

置いてあった説明板によると、赤い社殿の三つは江戸時代に再建されたが、ひとつだけ再建できずに小祠となってしまったもの(´Д`)。

よく見ると確かにありますね、小さな社殿が。

そしてどす黒い右側の2つが重要文化財の本殿だということでした。

春日造というので、三連になっている左が重要な建物だと思ってしまいました…。

 

…富士山と乾徳山と北極星の線上にある、寺社仏閣たちのお話でした。