No.107⌒★白石城と門と阿梅姫【白石市】
白石に着いて、
うーめんを食べたならば、
まあまずは、お城にでも行ってみましょう。
白石市内は徒歩で旅するのにちょうど良い町です。
白石城もどこから湧き出したのか、外国人の姿を多く見かけます。
他に観光地がなくて、「白石」という名前を知らない日本人も多いというのに、どこで聞きつけてくるんでしょう。
白石城は、伊達政宗の有名な部将、片倉小十郎景綱が関ケ原後に城主となったお城です。
また信長の野望でステータスを見てみると、
片倉小十郎景綱は統率87、武勇77、知略92、政治86。特に知略に優れ、軍師として、謀略なども担当していたと言われます。
本丸へ向かう道は、やたらと狭いんですね…。
人が全くいないのも気にかかります。
しかもかなり大回りして歩かされる道。守備が堅固ということなんでしょうか。
右は高校、左に石垣で見えない本丸。
少し歩くと、やっと現れました。
東日本大震災の時は、壁がはがれたりした被害はありましたが、なんとか持ちこたえました。
外国人たちは、ここの草むらでごろごろしたりのんびりしています。何千キロも旅して何しに来たんだ…。
入館料300円を払って、中へ入ります。
最上階へ登ってみると、、
本丸の入り口はこっちでした…!(´Д⊂ヽ
少し奥まったところにある小さな門に気付かずに、ずっと右手のほうの小道からぐるっと大回りしてきただけ。
どうりで誰もいないはずだ…。
お城自体はあまり見どころがなくて、太い梁とか、わずかに展示してある甲冑とかを見て回ります。
白石城の周りには、城にまつわる建物がいくつかあります。
白石駅から右方面に行った、
延命寺の門は、白石城の厩口門だったもの。
左右に付いている花頭窓はなかったと思うので、当時の姿そのままというわけではないと思います。
白石駅から左方面に進むとある、
当信寺の山門も、白石城の東口門だった門です。
両脇に同じく花頭窓を付けられ、
二階にある開口部は花頭窓の一種の眼象窓と呼ばれるそうです。
眼象とは三方という供物を乗せる台の三方に穴が開いている、その穴の形のことを眼象というそうですが、そのことでしょうか。
眼象とは、宝珠のこと。
宝珠は火炎のように燃え上がった珠のことで、欲しい宝物を何でも手に入れられる珠です(*‘∀‘)。
その眼象窓が大きく開いているのは、そこに太鼓を置いて時刻などを知らせていたためで、
つまり太鼓門となっていました。
夏前なのに紅葉が美しい当信寺の本堂。
裏には、
阿梅の墓と言われる墓があります。
いくつか並んでいますが、削って飲むと虫歯が治るとの言い伝えから、墓石が削られてしまった一番左の墓がおそらく阿梅の墓だと思います( 'ω' ;)。
阿梅姫は、白石城をうろうろしている時にさんざん見かけました…。
それが、こちら。逆を向いてしまっていますが、
ずいぶん萌えキャラ。
真田幸村の娘だった阿梅姫は、大阪の陣のあと、落ち延びて片倉家に嫁ぎます。
白石蔵王駅にもいますね…。
見た感じ、まだ中学生ぐらいでしょうか。
大阪の陣で父の真田幸村が戦死したのが16歳ごろで、戦犯となった真田家の家紋・六文銭を堂々と身に着けているので、16歳以下の阿梅姫を描いたに違いありません。
その阿梅姫の霊がこの寺に眠っています。
市内にあんなにあった阿梅姫のキャラクターは不思議なことにこの寺では全く見かけませんでした。