No.102⌒★山城に登りたくない武将たちの主殿【八王子市】八王子城
山城の八王子城は往復で50分ほどの登山。
バスはちょうど1時間に1本なので、登って降りてくるだけならばちょうど良い時間です。
終バスの1本前のバスに乗って来たので、次のバスが終バス…
しかし、
八王子城から下山した時、
御主殿跡
が麓にあることを発見してしまいました…
(´Д`)
八王子城の観光は実は2段構成。
若干の登山を伴う、頂上の本丸を目指すコースと、駐車場・バス乗り場からほとんど水平に、御主殿跡へ向かうコースの2コースあります。
御主殿跡と本丸は向かう方向が全く違うのです。
御主殿跡のことは全く知らなかったので、泣く泣く終バスは諦めます。
駅までバスで15分程度の道のりだったので、何とかなるでしょう。
(山登りでもう足はガクガク…)
行きに通った八王子神社入り口の鳥居。
ここから上へ登って行くと、本丸跡の頂上へ。
しかし、御主殿跡はこの手前にあるガイダンスセンターみたいな建物の脇を通って左側に行った先にあります。
あまり整備されてない本丸コースに比べて、ばっちり整備された御主殿コース。
踏んでもビクともしない橋に歩きやすい通路*.+゚。
実は、本丸跡に行く人は、城マニアの方だけなのかもしれません…(こちらが王道)。
同じ位置に昔、橋があったことが分かり、そこに橋をかけてあるそうです。(曳橋)
どんな橋の姿だったかは分からず、こんな橋ではなかったかもしれません。
片方の土台が盛大に崩れています…(;´・ω・)。
橋を渡った先の石垣はそのままだそうです。
元々は土に埋まっていたというので、この美しさは相当にクリーニングをしてつくりあげたものだと思います。
御主殿跡は、礎石だけの広場になっていました。
ここは、城主であった北条氏照(not氏輝)の居館であった場所で、山上の本丸ではなく、麓のここで政務などをとっていたものと思われます。
北条氏照は、北条氏3代目氏康の3男。信長の野望でいうと統率83、武勇80、知略73、政治62でどちらかというと戦に強い万能型の部将でした(外交も得意)。
八王子城が豊臣軍により落城させられた頃、氏照は小田原城にいましたが、小田原城の開城降伏後、切腹して果てました。
八王子城はその後家康により廃城となり、今に至ります。
主殿があったと思われる場所の周りには、庭園跡が保存されています。
池の跡もあったというので、枯山水ではなく、池を眺めながら、過ごしたのでしょう。
この庭園は主殿から見ると、北向き(北西向き?)に配置されています。
南からの太陽光が庭を照らし、順光で美しい石や池や、その奥の城山が見られたことでしょう。
落城時、御主殿は北条氏照の妻を始めとして、次々と身を投じました。(さっきの曳橋の上流の方)
そのあと、主殿の池には山上の悲劇が投影されたのです…。