No.80⌒★徳川秀忠と西武のプリンス【所沢市】狭山不動尊
狭山山不動寺・狭山不動尊
山口観音の隣にあります。
ここは、西武王国なので、レジャー施設は徒歩圏内に全て揃っているのです。
狭山不動尊も、もちろんレジャー寺社。
開基は、堤義明です。
堤義明41歳頃の1975年昭和50年に建てられました。
世界一の金持ちは、寺ぐらいすぐ建ててしまうんですね。
エントランスは、芝増上寺にあった勅額門で徳川秀忠の廟だったものです。
「台徳院」という後水尾天皇の勅額を掲げているので勅額門と言われます。
徳川家のものだけあって、きらびやかな装飾に包まれています。
重要文化財でも次々進みます(いっぱいあるから)。
次は
御成門。
やはり重要文化財。これも徳川秀忠の廟、つまり芝の増上寺に建てられていたものです。
やはりきらびやかな装飾、釘隠しには徳川葵の紋章がふんだんに使われています。
丁子門。
やはり、重要文化財。
これは秀忠の霊廟のものではなく、江として知られる、崇源院の芝増上寺の霊廟から持ってきたものです。
江は浅井長政の三女で、
長女が有名な豊臣秀吉側室の「茶々」、次女は京極高次に嫁いだ「初」で、その三女になりますが、最初は豊臣秀勝に嫁いでいました。
つまり、再婚なんですが、秀忠との間には3代将軍家光を含む7人もの子を産んだので仲睦まじかったのではないでしょうか。
徳川秀忠と堤義明
徳川秀忠の父は、徳川家康。徳川秀忠は、その三男です。( ・ω・)
父の堤康次郎は西武グループを一代で作り上げた、カリスマ経営者。
父の徳川家康は徳川幕府を一代で作り上げたと言ってもいい、カリスマ大名。(*•ω•)
戦災で焼け残ったこれらの門を、何としても西武グループの総本山、所沢に持ってきたかったんじゃないでしょうか。
もしかすると、
堤義明は、西武鉄道グループの永い繁栄を願って、この門を手に入れたのかもしれません。
寄せ集めの狭山不動尊
第一多宝塔。第一ということは第二もあります。
第一多宝塔は埼玉県の有形文化財で、大阪府高槻市から持ってきたもの。
第二多宝塔は兵庫県から持ってきたものです。
羅漢堂と唐金灯籠
奥の羅漢堂は元勲・井上馨邸にあったものを移設してきた、と書いてあります。
手前に並ぶ、唐金灯籠は増上寺秀忠霊廟にあったもの。
ここの山門は、田中平八郎の邸から持ってきたもの。
寄せ集めの集大成みたいな区画になっています。
唐金灯籠の唐金は、金という言葉が入っていますが、青銅のことです。いわゆるブロンズ。
他にも彦根市から持ってきた弁天堂や、奈良極楽寺からの弁天堂、奈良桜井寺からの桜井門などがあり、すごいラインナップなんですが、
本堂がいかにも普通っぽいのが、いつも謎に思っていました。
どうやら、
本堂も元々は京都東本願寺から移築されてきた
ものだったのが、焼失してしまったものらしいですね。
もはや、どこかの寺から1流本堂をスカウトしてくる財力はなく、普通の本堂となってしまったようです。
ユネスコ村の失敗が色濃くなってきた2001年の不審火だったのです。
そして、堤義明の失脚ももう少しだったのです。