No.35⌒★横浜港を取り巻く船たち4日本丸
JR桜木町駅前には日本丸が、山下公園の氷川丸と同じく永遠の停泊をしています。
日本丸がいるこの場所は、旧横浜船渠株式会社第一号船渠、として重要文化財(建築物)にも選定されています。
第二号船渠は、ランドマークタワーの麓。
第一号の竣工は1898年明治31年。長さ168m、幅34mで、当時としては最大級の規模のドック(船渠)でした。
夜は美しく、ライトアップもされています。
白い船体を強く白のライトで照らし、逆さ日本丸が美しい、夜の姿。
ここは船長室界隈なので絨毯が引いてありますが、他は特に豪華なところはないようでした。
天窓にあったステンドグラスは練習生が作ったものでしょうか。
帆船日本丸は1930年、昭和5年に練習帆船として建造されました。
帆船というからには、帆だけで動くのかと思ってたら、大きなエンジンも積まれいるんですね。
戦時中は、氷川丸と同じく、輸送船として活動し、物資の輸送、復員者の帰還輸送に駆り立てられました。
◎旧横浜船渠株式会社第一号船渠(重要文化財)
国宝・重文(13件目/2444件)神奈川県(3件目/54件)
さて。
日本丸は、1984年昭和59年にその50年余りの航海を終え、桜木町に繋留されます。
その年、新しい練習帆船日本丸(二世)が就航。
その新・日本丸が横浜新港から、このあいだハワイへ向けて旅立っていきました。
中学生の吹奏楽団が見送り演奏をしていましたが、大さん橋でも演奏していたグループと同じかも。
たまにダンスをしながら演奏をしています。
出航時、号令と共に練習生たちがマストへ登って行きます。
僕なら、15段ぐらい登ったところで、足がすくんで動けなくなりますね…きっと。
もし、今、誰かが墜落してしまったら、お祭りムードの出発式が一気に悲劇に変わり…
群衆の中を救急車が到着して、怒号が響く中、人をかき分けかき分け救急隊員が処置に入ることになり、
日本丸の出港も一時取り止めにでもなったと思いますが、
幸いにも誰も墜落せず無事登り切りました。
怪我や死と隣合わせの練習船なのです。
帆けた(ヤード)に雀のようにとまっている、練習生たち。
上へ上るときは命綱無し、横に展開する時は命綱有りみたいなので、今は安全な状態だと思います。(上る時は危険)
これは1段目のヤードですが、4段目の一番上のヤードに上っている練習生は英雄ですね。僕はそう思います!
せっかく上ったんだから、帆を張るのかと思ったら、
帆を張ることもなく、動き出した船の上で、練習生たちは撤収していきました。
吹奏楽団は「MY WAY」を最後の演奏に選びました。
「MY WAY」って布施明の日本語バージョンだと船出を歌った、自分の信じる道を歩むという風な歌詞でいいんですが、
英語版だと人生の終幕に思い出を語った歌、
フランス版原曲は、愛してない妻と暮らす男の悲哀みたいな歌になるんですね(T_T)。NAVERまとめには、そう書いてあります。
だとすると、ビミョーな曲の選択ですね…。
(ほんとかどうかは、知りませんよ。フランス語読めないし…)