No.159⌒★【横浜市中区】港を守る、横浜税関クイーンの塔
クイーンの塔とも言われている横浜税関。
毎年毎年冬になると、イルミネーションイベントで顔を付けられてしゃべらされたりしています。
2015年のイベントの時は、
「赤レンガ倉庫の方じゃないわー、大さん橋の方でもないわよー、海とは反対のここよー」、とか叫んでいました。
見た目はスマートな建物なのに意外と破天荒そうなクイーンなんですね…。
エリザベス女王とかダイアナ皇太子妃みたいな人を想像してたんですが。
イスラーム寺院のようなドーム屋根を持っているのが特徴のクイーンの塔横浜税関。
細くて小さい窓は、ロマネスク様式なのかもしれません。
早大大隈講堂も同じように、ロマネスク様式だと言われていました。
比べてみると、
塔の下の部分はそっくりです。
ロマネスク様式が小さ過ぎる窓を持っているのは、敵からの侵入を防ぐため。
ここは、海外からの密輸品の侵入を防ぐ税関の建物でもあるから、なのかもしれません。
つまり、建物が密輸は見逃さないぞ、というメッセージを発しているのです。憶測に過ぎないけど…。
横浜税関キャラクターのカスタムくん(麻薬探知犬)が見守る入り口を入って、展示室を奥へ進みます。(奥には特別公開の時しか進めなかったかも)
横浜税関は、旧館部分と新館部分に分かれていて、新館旧館の接続部分は市松模様の庭なんかが作られています。
右が本館、左が新館。
耐震補強や改築がされていて、神奈川県庁のように、裏から見ると歴史的建造物とはあまり思えない建物です。
上から見たところ。向こう側が旧館、手前の方が新館。
市松の庭はその空いたところにびっしりと張り詰められています。
旧特別会議室。ここも、昔は貴賓室として利用されていた、と書かれています。
神奈川県庁に比べれば見劣りするものの、立派な部屋。
神奈川県庁もそうでしたが、梁とその端部のデザインが凝ったものになっています。
税関長の応接室。
マントルピースが置いてあります。
床材も高価そうなもの。
それに対して無骨に見える照明。
廊下は何気ないものですが、ヨーロッパの柱廊のデフォルメみたいな廊下になっていました。
後付け?の照明のラインもいいデザインです。
屋根の装飾も手を抜いていませんでした。
港の税関らしく、波打ったデザイン。
その向こうには、ゆずも歌った赤いキリン(クレーン)がたくさん立っています。
赤いキリンは群れをなして寄りそうー♪と歌っていました。
こっちを向いている赤いキリンもいれば、向こうを向いているものも。
まさしく横浜の風景のひとつです。
赤煉瓦倉庫。
神奈川県庁よりも港に隣接しているので、全体がとてもよく見えます。
横浜大さん橋。
巨大貨客船が着岸していたら、また違った風景になります。(船しか見えないかも)
税関は港に目を光らせているので、建っている場所は港の一等地。
港湾が全て見通せるようになっていて、風景もおのずと素晴らしいものになります。
No.158⌒★【横浜市中区】キングの塔のつづき
神奈川県庁の貴賓室。
落ち着いた感じのシャンデリアなど、伝説上の植物、宝相華のデザインがやはり埋め込まれているようです。
宝相華はハイビスカスがもととなったとも言われていますが、いずれにせよおめでたい感じの植物ですね。
天井のデザイン。
真ん中の方は、その宝相華の蔓のようですが…周りの亀の足みたいなのは…?
同じく天井デザイン。
鶴のような鳥がいる気がします。
この貴賓室は、
県庁にしてはやはり豪華で、海外の貴賓たちをもてなすために特別豪華にされたんだろうと想像できます。
隣にある知事の部屋。
知事の現職・黒岩さんが2Dになって、向こうで出迎えてくれました。
「いのち」という書の作品も向こうに見えます。
執務に集中するためか、打って変わって白一色の天井。
こちらの部屋も細部は凝った造りになっています。
クラシックな感じの階数表示があるエレベーターで登って行き、
屋上へ上っていきました。
向こうに見えるのが横浜港大さん橋。
大さん橋に降り立った外国人たちは、神奈川県庁を横目に見ながらすぐそばの日本大通りを通って横浜公園までぶらりとしたことでしょう。
当時、横浜公園は外国人も利用する公園で、やはり今と同じく野球場などがありました。
今も昔も、港から公園までの風景や使われ方はあまり変わってないんですね。
神奈川県庁の塔頂部は、縦の線が際立っていて、
ずいぶんと力強い仕上がりです。
五重塔をモチーフにしたと言われる神奈川県庁なので、
屋根のすぐ下にあるのは、垂木を現しているんでしょうか、肘木を現しているんでしょうか。
裏の方から見た塔部。
どこから見ても一歩抜きんでていて、力強い塔に見えます。
それにしても神奈川県庁の裏側は安普請で改築されているんですね。
立派なのは表側だけ…。
奥さんのクイーンの塔はすぐそばにいます。
キングの塔を間近で見たところなので余計にほっそりとみえました。
赤煉瓦倉庫は、手前のビルが邪魔をしています。
横浜港の眺望を楽しむにはいまいちかもしれません。
横浜港から神奈川県庁の力強い塔を見るために造られたのです。
★*.+゚auraの子育て日記(生後4か月)
最近、子どもは哺乳瓶ではミルクは飲まなくなりました…(´Д`)
あんなに入れ食いのように飲んでいた新生児の頃。(逆に母乳には見向きもしなくてハラハラしていたあの頃)
あの頃にはもう戻れないんでしょうか…。
哺乳瓶かっ!
哺乳瓶の種類のせいなのか…。
私はコンビのテテオよりピジョンの母乳相談室派なの、とか、乳首の硬さは新生児向けじゃなくて3か月児向けの硬いやつの方にしてちょうだい!、
とか実は思っているんじゃないかと考えて、
いろいろ哺乳瓶を試してみるものの、やはり飲む気配はなし。
栄養相談コーナーで相談しても、
保育園に入ってお母さんが居ないと分かれば飲むようになるよーという希望を持たせてくれる相談士もいれば、
徐々に口に入れることから慣らして、何か月も前から準備しましょう!そうしないと保育園に入っても全然飲まないかもよーという脅しをかけてくる人もいてバラバラだったりします。
飲むか飲まぬかは保育園に入るまで分からないなんていう不安なことにはなりたくないのに、せっせと哺乳瓶トレーニングをしている最中です…。
★クリスマス
今日はクリスマス。
夜に、サンタさんはうちには来ませんでした。
でも、
もし、
ほんとうにサンタさんがやってきたら、
サンタさんが真夜中に玄関の鍵をガチャっと開けてやってきたら(うちには煙突なんて有りはせぬ)、
相当怖いですよね|qд°`)))
真っ暗闇の中、家の中をうろつくサンタ。たまたまトイレで起きてきて鉢合わせをしてしまう僕。
サンタさんと居合わせたら、必死の抵抗をして撃退し、最悪命を奪うことになるかもしれません。
なのでサンタさん、うちには予約なしで来るのはやめてください…。
No.157⌒★【横浜市中区】日本の玄関のキングの塔
キングの塔、と呼ばれている神奈川県庁。
小尾嘉郎という人の設計コンペ案を基に、神奈川県が実施設計を行いました。
1928年、まだまだ日本がアジアの強国であった頃で、
国威を示すように、帝冠様式で建てられた最初(期)の建物と言われています。
威厳があり、どどーんと居座っていて、まさに横浜のキングの塔です。
帝冠様式は、だいたいのものは左右対称のどっしりとした威厳のある建物で、
洋式の建物の上に和風の冠が乗ったもの。
では、神奈川県庁の上に乗っているものは何なんでしょう。あれが和風の冠?
紅葉の季節に行くと、イチョウが黄色く染まってこんな雰囲気になります(*‘∀‘)。
正面はこんな感じに。
正面から見ると、建物の上には、五重塔の上に立っている、相輪みたいなものがあるのがわかりますね。
神奈川県庁はその五重塔をモチーフにしたと言われています。
そっ…くり(;´・ω・)。
神奈川県庁はつまり、デフォルメにデフォルメを重ねた五重塔をモチーフにしているのです。
五重塔にした理由は恐らく、
外国人の海の玄関・横浜港からよく見えるように(当時は海の玄関しかなかった)、日本建築の中でも背の高い五重塔を基にしたのではないでしょうか。
中央の玄関から堂々と中に入ります。
正面に県庁の方が立ちふさがっていましたが、カメラを向けるとさっと横にどいてくれました。
外観は威厳たっぷりでも中の方は物腰柔らかな方々のようです。
空想上の植物、宝相華(ほうそうげ)が彫り込まれた古い照明が出迎えてくれます。
吉祥の植物で、正倉院の宝物などにもこの絵柄が使われました。
公開日にだけ入れる貴賓室。
向こうの額にかかっているのは歴代県知事で、初代県知事内山岩太郎氏をはじめ、
2代津田文吾氏、3代長洲一二氏、4代岡崎洋氏、5代松沢成文氏の肖像だと思われます。
現職黒岩祐治氏まで含めて6代(1947年の公選開始から)しかいません。
賄賂をもらったとか、不適切な発言をしたとか、ありもしないモリカケ論争の末辞めさせられたとか、そういう県知事はいなかったんでしょうか。
県知事がいったい日々何をしているのかなんて、ほとんどの県民は分からないからたとえ失言をしてもなかなか辞めさせるまでには至らないんでしょうね。
まあ、もちろん、全て善政を敷く知事ばっかりだったのかもしれません…。
(疲れたので続きます…)
★*.+゚図面のできるまで( ㅎ ㅎ)
こないだ図面を描いていたんですね。
作業工程はこのような感じで進んでいきました。
①作業者が図面を作成する
→②担当者による図面チェックが入る
→図面修正で差し戻される①〜②を繰り返し
→③課長チェックを受ける
→差し戻される①〜③を繰り返し
→④部長チェックを受ける
→やり直しを命じられ①〜④を繰り返し
→⑤施工会社にチェックしてもらう
→図面修正の必要性が出る①〜⑤を繰り返し
→⑥発注者へ恐る恐る提出してみる…:(´;Д;`):
→簡単に差し戻される①〜⑥を繰り返し
→⑦地権者へ恐れおののきつつ提出してみる|qд°`)))
→激怒され差し戻される①〜⑦を繰り返し
1枚の図面を描くのにどれだけの工程を経る気だーヽ(`Д´)ノ
課長チェックと部長チェックなんて二つも必要あるんか(`Д´)(たまに副課長チェックも有り)
担当者から地権者まで、みんな言ってることがばらばらだから右往左往する図面。
たった1枚の図面を完成させるまでに凄まじく消費される紙と時間と健康…。
しかもこの苦労は発注者の「設計変更!」の鶴の声の下、簡単に降り出しに戻るのです。
…以上、単なる愚痴でした。
No.156⌒★【千葉市】都川の建物たち。中央図書館、千葉教会
千葉県庁の辺りを流れる都川。
ずっと辿って行くと、加曽利貝塚の方まで行き着き、この川を通して貝やら魚の輸送を行っていたんでしょう。(今も繋がってるかは分からない)
昔も今も、千葉市の重要な河川です。
昔も今も都川は文化の中心地。
辺りにはたくさんの建築遺産がありました。
いわゆる旗竿地に建っていて、旗竿の竿の部分に顔を向けるように玄関が造られています。
千葉教会は、
井上馨による西洋式首都計画のために招聘されたエンデ・ベックマン事務所の一員としてやってきたゼールによって1895年に設計されたものです。
その西洋式の首都計画は井上馨の失脚によって無くなりましたが、ゼールはそのまま日本に留まり設計活動を続けました。
何気なくあった建物ですが、意外にかなり古い建物。
ただそんなに古い建物に見えないことと、県の文化財に留まっていることを見ると、改修の手が加えられているんですかね。
裏手にある千葉県立中央図書館は見るからに古そうな建物。
でも教会よりはずいぶん新しい建物です。
1968年築、大高正人氏設計。
この地方を治めた千葉氏の拠点の猪鼻城があった台地の端の方に建てられています。
猪の鼻のように、にゅうっと突き出た台地だから?
1968年当時の近未来を現したようなデザインをしています。
ロボット、基地、宇宙。そんなイメージが湧いてきます。
だいたい、庇だけのためにこんな重厚なコンクリートは必要が無いと思います。
ここが、軽快な金属製屋根などではあってはならないのです。
建物のコンセプト上。
天井は格天井のように四角の梁が連続して構成されています。
内部も外部もどちらも同じ構成で、いかようにも建物は増殖していけるというメタボリズムの思想によるものです。
設計者大高正人の本も、わざわざ大きくスペースを取って設置されていました。
★auraの子育て日記(生後4か月)
最近、わが子は独り言をよく言います。
誰もいないのにぶつぶつぶつぶつ、しゃべっています。
(´Д`)まさか、誰かいるの?
聞いていると、寝る前の独り言と、機嫌がいい時の独り言と、機嫌が悪い時の独り言は少しずつ内容が違うみたいですね。
寝る前は独り言というより、鳴き声と独り言が同化している感じです。
………と、書いていたら、いつの間にか独り言をあんまり言わなくなっていました
(´Д`)
ブームがあっという間に過ぎ去るのが乳児。
先々週まであった人の顔を触るというブームとか(よだれでべとべとになる)、顔を合わせると盛んにしゃべりかけてくるブームなどは、すでにどこかへ消えてしまいました…。
今は一日一日が大事なんですね。
No.155⌒★【千葉市】貝塚の県千葉県。花輪貝塚、月ノ木貝塚
数百メートル南西に歩くと、花輪貝塚があります。
花輪貝塚は4000年ぐらい前に人が住んでいたようで、7000~3000年前ぐらいの加曽利貝塚と時期的には被っているはず。
採れたのもハマグリ、イボキサゴなどこれも加曽利貝塚とほとんど同じ。
いわゆる舌状台地(ぜつじょうだいち)と呼ばれる、舌状にべろんと突き出た台地で(標高は約30m)、平地に近い土地なので集落も造りやすいのかもしれません。
花輪貝塚は国指定史跡ですが、侵入禁止のようでした(´Д`)。
グーグルマップにも出てこない、忘れられた貝塚です。
そもそも千葉県には、グーグルマップにも忘れられるほどたくさんの貝塚があって、
日本全国の1/4もの貝塚がここに集中しています。
花輪貝塚からさらに南に歩いて行くと、月ノ木貝塚があります。(国指定史跡)
広い更地。台地状の土地。
自治会の建物が近くにあって、広場として使われているのでしょう。
人は誰一人いない…。
ここでもイボキサゴ、ハマグリなど、同じようなものが見つかりました。
時期も4500年前前後で同じ頃。
クジラもいたそうなので、外洋の方とも交流があったんですかね。
どこへ行っても貝塚にぶち当たるのが千葉県です。
もう、貝塚はしばらくお腹いっぱいです…
(´Д`)
★auraの子育て日記(生後4ヶ月弱)
ぺちゃんこのティッシュ箱
うちには、ぺちゃんこのティッシュ箱が二つほど落ちています(だいたいいつも)。
とにかく飲んでは吐き戻し、笑っては吐き戻し、泣いても無表情の時もいきなり吐き戻すのが乳児。(なぜだ)
リビングの右と左に、ティッシュの箱を一つずつ置いていて、いつどこでどのように吐き戻ししてもすぐにティッシュが取り出せるように万全の体制を敷いてます!╭( ・ㅂ・)و
ただ、それ以外にもいきなりうんちをしただとか、いきなり泣き出したとかで慌しくなって、
右往左往しているうちに、ティッシュの箱は無残にも踏み付けられまくることになるのです。
その結果がぺちゃんこのティッシュ箱。
ティッシュ箱がぺちゃんこになればなるほど、うちでは育児をがんばった姿です。
No.154⌒★【千葉市】特別な貝塚、加曽利貝塚
千葉公園から千葉モノレールでぐるぐるっと、桜木駅まで行くと、そこは有名な加曽利貝塚がある駅です。
駅から歩いて10分ぐらい。加曽利貝塚は住宅地の中に忽然と現れました。
加曽利貝塚は、貝塚と言っていますが、集落跡でもあります。紀元前のおよそ2000年間、集落として存在してきました。
今も昔もここは住宅地だったのです。
加曽利貝塚の横には小さな川がありますが、その川はどこへ続いてるかというと、千葉県庁の脇を通って、東京湾へ注がれています。
昔はこの東京湾からの貝を含む物資を、舟で運び込んでいたのがわかります。
かなり広い公園。
1日じゅう、ここで新聞読んだり仲間としゃべったりしていそうな老人が何人かいる以外は、あとはランニングしたり、散歩したり。遺跡公園なのに遺跡目当ての人は見当たりません。
加曽利貝塚は最近、貝塚としては珍しく(初?)、特別史跡に指定された、超重要な貝塚なはずです。
ここは観光地でもない住宅地なので、訪れる人は近所の人ばかりなのです。
左へ行けば、小汚い変な屋根の建物があって、
集落跡の発掘跡の姿を見ることができます。
屋根の形がそのまんま天井に…(´Д`)
右へ行けば、地中式のシャープな建物があって、
シャープな貝塚の断面をみることができるでしょう。
断面におびただしい貝が見える貝塚からは、
ハマグリ、オオノガイ、シオフキ、イボキサゴ、カガミガイ、クロダイ、スズキ、シカ、イノシシなどが見つかったようです。
そのうちシオフキ、カガミガイ、クロダイは今でも東京湾で問題なく採れ、
ハマグリ、イボキサゴはかつて東京湾で採れたものの激減し、今はだんだんと復活しつつあるそうです。
スズキはシーバスという名前で釣り愛好家に釣られているようですね。
つまり、陸上のシカ、イノシシを除いて全て東京湾に今でもいる生き物たちなんですね。
右奥には崩れ果てた竪穴住居。
完全に崩れ果てたのか、1棟はリフォーム中。
縄文時代にはなかったであろう技術レベルで掘っ立て柱の根巻きのようなものが作られていました。
まさか、あの下はコンクリートで固められているんでしょうか。
正面出入口から奥に行けば、大須賀家住宅という古民家があります。
が、金属屋根で中も見ごたえはありません。
コンテンツは揃っているものの、まだまだ施設の更新が進んでいない加曽利貝塚。
特別史跡となったことで、今後変わって行くんでしょうか…。
★今日の貝塚(´Д`)
千葉市は貝塚がたくさん。あっちにも貝塚、こっちにも貝塚があります。
その一つが荒屋敷貝塚。
国指定史跡になっていますが、
ただの広場にしか見えません。
荒屋敷貝塚には、当時のものか近くの住人が捨てたものなのか分かりませんが、
土の上には大量の貝殻が落ちていました…。
千葉駅から、バスで40分以上もかけて行って、ほとんど見るものもなく、
またバスで40分以上もかけて千葉駅に戻って行きました。
徒労感だけが残る旅、それが貝塚を巡る旅です…!(´Д`)(加曽利貝塚のような貝塚は稀)
貝塚は、「遺跡」であるので、低い草しか生やしてないところが多いです。とにかく芝生を生やして草が長くならないように常に刈りまくる。
つまり、
貝塚の周りに家を建てれば、光や風が入り込む健康的な住宅になりますね(*‘∀‘)
貝塚なので、立ち入り禁止になっているところも多く、自宅の隣に半永久的に空地ができあがります。
住宅の購入を考えている方は、ぜひ、どうぞ。
欠点は、ほとんどが僻地にあるということです…。
No.153⌒★【千葉市】千葉公園のまわりをまわる
千葉駅から千葉モノレールで、北へ向かいました。
稲毛区役所もそちらの方にあるけど、結構内陸部にあるんですね。
というか、稲毛海岸駅も稲毛海浜公園も稲毛高校も稲毛民間航空記念館も、稲毛区ではないんですね('Д')
稲毛と言えば海のイメージがあるのに、稲毛区は全くの海無し区です。
千葉モノレールに乗って一つ目の千葉公園駅。
千葉公園は冬になると雪吊りが施されます。
千葉は雪なんか、ほとんど降らないだろうし降っても雪吊りするほどではないだろうに…。
向こうに見える逆さまの電車が千葉モノレール。
ボート池と呼ばれる池にはカモがたくさん浮かんでいました。シベリア辺りから越冬のために渡ってきた、キンクロハジロくんですかね。
千葉公園前交番は屋根が、というより屋根兼外壁が丸くなった変わった建物。
植栽のために、外壁を下部を途切れさせているところも気になります。
正面から見ると普通に見える、この交番。
植栽のために、外壁を一部切欠いているように見えます。
そこまでして、わずかな植栽を…('Д')
さらに先へ進むと、どこから現れたのかおじさんが群れを成して歩いていて、
千葉競輪場がありました(ご飯だけ食べて行った)(禁煙って書いてあるのに煙草臭い店内だった)(昼なのにみんな酒を飲んでた)。
千葉公園を越えた先にはコルテ松波という集合住宅があります。
道路側は無表情なグレー一色のベタ塗りの外壁。
プライベートスペースに入ると階段、廊下、カラフルな玄関と一気にうるさい建物になっています。
この建物は外でなく、内に向いた建物です。
一番上の左の階に行くには、
手前の階段を登って、奥の階段へ行って、渡り廊下を渡って、奥の階段を登ってさらに渡り廊下を渡って行けば着くんですかね(´Д`)
設計したのは空間研究所。
眺めるのはいいですが、住むのはイマイチそうな空間です。
別に悪いというわけではなく、
どの空間を重視するかは建築士によって随分違うのです。
★*.+゚auraの子育て日記(生後3ヶ月半)
最近は寝付きが良くなってきました。
生後間もなくの頃は(今も生後間もなくかもしれんが)、
夜も1時間起きに起きたり、ほとんど寝なかったりして、
2時間ほどしか寝られず会社に行くこともあって、
「終わった…」
と思っていました。(実は仕事中にこっそり寝てた)
それからはひたすら寝活の日々。
夜は暗くする。夜更かしは絶対にしない。
昼と夜の区別を徹底的に付けていきます。
そうすると最近は、5時間ぐらいまとめて寝てくれることもあるので、こちらもかなり寝られるようになりました。
一番大変なのは、やっぱり生後2ヶ月までなんですかね。
それまでは子供が安定してないし、
何より親がまだ子育てを全く分かってない、手探り状態なのです。