No.141⌒★岸和田の銀行建築【岸和田市】泉州銀行・旧和泉銀行
岸和田市は大阪から大阪湾沿いに下ったところに位置する街で、
なんばからは南海鉄道で特急で20分ほどで到着します。
関東在住の人にとって、岸和田だんじり祭りぐらいしか有名なものは無い気がする、岸和田市ですが、何があるんでしょう。
岸和田駅にまず到着すると、北側の出口からは、800mぐらい続く、長い商店街に出くわします。
入り口には大きなたこ焼き屋があってそこから店が並んでいますが、威勢のいいのは最初のほんの数十mだけで、あとはいつものようにシャッター街になっていたりします。
アーケードが付いているのがそのうち半分ほど。
アーケードが終わった辺りに、泉州銀行の建物がありますが、
これは村野藤吾氏の設計だということです。
遠くからは新しい建物に見えたんですが、1959年築。
もう60年ほどが経過した建物でした。
この建物は、格子がきれいだったりします。
山折りの鉄部材が、立体的に表情を見せています。
商店街はさらに続いて、終わる辺りには(もはや商店街とは言えない気もするが)
旧和泉銀行の建物が残されていて、こちらも有名な建築家・渡辺節氏の設計。
1933年昭和8年に建てられました。
西洋建築外観ながら日本的に、庇風のものが取り付けられているんですね…。
半円アーチのエントランスが堂々とした感じを出しています。
中に入ると、何やらマダムがおられて、何やら名刺を渡されて、次々にお茶を出されて、壁には怪しげなポスターが貼られていて、
ここは宗教施設だったのか、勧誘されてしまう…(´Д`)と覚悟しましたが、
そういうものではなく、優しいマダムなだけでした(*‘∀‘)
お茶などの輸入販売をしていて、何らかの「サロン」を作っていて、結局どういう組織なのかは分かりません。
建物は2階建てでベランダ風通路がぐるりと回る、気持ちのいい空間です。
優しいマダムは銀行時代の金庫の中を見せてくれました。
重々しい扉。
中は応接間になっていました。
仏教画。書。カリスマ的な人の絵。
この部屋を見ている時もまだ勧誘されないかドキドキしていました(;´・ω・)
床は網代張りタイル。ここだけが、当時のもののように思えます。
旧和泉銀行のこの建物は登録有形文化財。
マダムによると、自治体に建物を寄付して残していく方針だ、とおっしゃっていました。
結局次から次に、おいしいお茶を3杯も頂いて、建物を後にしました。いきなり現れたただの旅行者に…。
No.140⌒★春日大社の社殿・杭全神社【大阪市平野区】
平野区の地名は、杭全氏という領主が荘園開発をしたあとに、平らな野になったことから「平野」という名前になった、などと言われますが、
その杭全の名を冠した、杭全神社が平野駅の近くにあります。
普通に、こうぜん神社と言っていましたが、これは「くまた」神社と呼ぶらしいですね。
ただ、杭全氏とは特に関係はなく、坂上田村麻呂の一族による建立だそうです。
本殿は、壁のように並ぶ拝殿?の後ろに、左から春日造、流造、春日造と並んでいるそうです。(見えない…)
見えない本殿たちは全て重要文化財。
地元の人たちを見てるとやはり、3つともに丁寧に参拝して行かれます。お賽銭3倍。
ここからでも頭が少し見えている、真ん中の流造が一番御利益がありそうな気がしますが、
左の鳥居が立っている春日造の社殿は春日大社にあったものなので、
よって、一番左が格式が高そうな気がします(*‘∀‘)
春日大社も、伊勢神宮などと同じく20年に一度建て替えていたようで、
各地に旧春日大社の社殿が建っていてこの神社もその一つ。
一番左の春日造がスサノオ、
真ん中の流造の社殿が1日に1000人の人間を殺す、と言ったイザナミ、
右側はそれに対して1日に1500人の子を産ませよう、と言ったイザナミの夫のイザナギが御祭神となられています。スサノオはその二人の子。
黄泉の国に行ったイザナミが、腐敗した自分の体をイザナギに見られた腹いせに、人を1日1000人殺すと言ったり、黄泉の国を閉じてしまったりして、
夫婦間の争いの末、離婚したそうですが、並んでいても大丈夫なのでしょうか…(;´・ω・)
とはいえここは、美しい拝殿が手前に構えています。
上に開く、しとみ戸が涼しげですが、ガラス建具も入った現代風。
春日大社の回廊にも付いている、
釣灯籠がぐるりと建物を囲んでいます。
ここはミニ春日大社のようです。
★auraの子育て日記(生後2か月過ぎ)
生後2か月も過ぎると生活もだんだん落ち着いてはきます。
生後すぐの1時間~2時間おきの恐怖の夜泣きが無くなって、3時間~4時間おきになりました。
ただ、
泣く時間がどんどんとスーパーパワフルになってくるんですね…。
5分も泣けば疲れ果てて寝た子が、それが10分になり、20分になり、最近は1時間近くも泣き続けているような気がします(´Д`)
声量も飛躍的にUP。
近づくと、より盛大に泣くという、そのやり口。
生後すぐは育児は睡眠との闘いですが、生後2か月もするとだんだんと体力との闘いに変わってきそうな気がします。
うんち量もおむつからはみ出るほど、どんどんパワフルになってきました。
「流せるうんちヘラ」という商品があるけど、ここで使うんですね(*‘∀‘)
おむつのうんちを流さないとゴミの量が半端じゃないのです…。
No.139⌒★海の神住吉大社【住吉区】
大阪市住吉は元々は「すみのえ」と言っていたようですね。
すみのえの、「え」が吉の字になって、いつのまにか「すみよし」と呼ぶようになってしまいました。
今は内陸になってしまっている住吉大社の方まで海がせり出していて、
その後陸地になった住吉大社の西側の広大な敷地が「住之江区」という名前で存続しています。
つまり、住吉区も住之江区も、どちらもすみのえという語源で同じ。
住吉大社は昔は海際に建てられていたので、海の神様が祀られています。
海の神、
航海の神、
和歌の神とされています。(;´・ω・)
和歌…
国生みを行ったイザナギノミコトが海で黄泉の国の穢れを落とすため禊で体を洗った時に、その三神が生まれました。
水の底で体を洗うと2神が生まれ、水の中程で体を洗うとさらに2神が、水の表面でさらに2神が生まれて、
そのそれぞれ1神ずつが住吉三神になっています。
その後も左目を洗って太陽神・天照大御神を右目を洗って夜の神・月読命を生んだり、もう神がだだ洩れで生まれてきました。
住吉大社へはあべのハルカスがある天王寺か、通天閣がある恵美須町から阪堺電車で行きましょう。
鉄道各線は、住吉大社へのアクセスを競うように駅を建てています。
アクセスは非常に便利。
大阪の神社は灯籠が多いですねえ。
こういうずらずらと灯籠の並んだ神社は大阪ではよく見かけます。
住吉大社は第一殿から第四殿まであり、
その全ての幣殿と渡殿(手前)が重要文化財、本殿(後方)の全てが国宝に指定されていて、海へ向かって建てられています。
幣殿・渡殿・本殿が連なったこの形式が住吉造。
後ろの本殿は内部で2室に分かれ、神様の住まう場所と、天皇が神と共に食事をする場所、に分かれているそうです。
その恐れ多い建物の屋根には白猫が鎮座していました…(;´・ω・)
★*.+゚auraの子育て日記
赤ちゃんの生後2か月革命のお話
生後2か月で赤ちゃんは革命を起こすそうですね。その次は9か月に革命を起こすそうです。
検索すると必ずロシアの2月革命と10月革命が出てきますが、違います。
ちなみに10月革命では立憲民主党政府が倒されたそうです。
日本のあの党は何でこんな不吉な政党名を付けたんでしょう。
赤ちゃんの方の2か月革命は例えば、首が座ってくる。少しずつ声を出すようになる。指しゃぶりをするようになったり、目で物を追うようになったりするようですが、
わが子はどれもできるようになりつつあるのは確かですが、革命というほどのインパクトは感じません。
そういえば、お腹が空いた、のサインは出してくれるようになりました。
手をマイクを持ってるみたいに前に突き出して、ドヤ顔すれば、「お腹空いた母乳飲ませろや!」のサインです(たぶん)。
まだまだサインと呼べるものはそれ一つだけ。
「革命」という言葉の強さに引きずられて、その変化に気づいてないだけでしょうか。
それともまだ2か月革命は来ていないのでしょうか
……と考える生後2か月の誕生日でした。
No.138⌒★東北3つめの極楽浄土【角田市】高蔵寺
国道113号線から少し入ったところに、
高蔵寺という古いお寺があります。
周りは山間部の農村で、のどかな地帯。
たぶん車でしか行けない場所なので、レンタカーで行きましょう。
広い駐車場に車を置いて、高蔵寺へ繋がる石畳があったのでずんずん進んでみます。
こういう山地にあるお寺ってだいたい、山あり谷ありの険しい参道を登って行った先にあることが多いので、覚悟していったら………
わずか1分で阿弥陀堂に到着しました…。
近すぎて拍子抜けします(ありがたみが薄れるかも)。
高蔵寺阿弥陀堂は、平安時代後期にあたる1177年に建立された宝形屋根、茅葺の、重要文化財の建造物です。
ここは岩手の中尊寺金色堂、福島県いわきの白水阿弥陀堂と並んで3大阿弥陀堂とも呼ばれますが、
そもそも東北地方で平安時代の建築物は、その3カ所しか残ってないそうです。
3カ所だけ残った平安時代の建物が全部阿弥陀堂っていうのもすごいですよね。
阿弥陀堂は一神教みたいに阿弥陀如来様を信仰する、極楽浄土の信仰による仏堂なので、
東北の人はどれだけ極楽へ行きたかったんだ!と思います。
高蔵寺は、
白水阿弥陀堂みたいに池に囲まれた阿弥陀堂、といういかにも極楽浄土のような配置をしてもおらず、
まあ普通に建っています。
極楽浄土の高蔵寺の隣には、同じく重要文化財の旧佐藤家住宅が建っています。
旧仙台領内のどこかから移築されてきたそうですが、どこなんだろう。
不用心なことに、
自由に中に入ることができますが、最初すさまじく真っ暗で怖いほどです。
電気を点けると少しわかるようになってきましたが、
扉を開けっ放しにしたいところです(建物の写真をひたすら撮ってる人がいて、閉めざるを得なかった…)
囲炉裏の一辺が土間に解放されていて、使いやすそうな囲炉裏です。
旧佐藤家住宅は江戸後期の農家の建物。
手前の部屋が「ひろま」
左の奥が「なかま」
右の奥が「なんど」
「なかま」は中央の部屋の意味なんでしょうかねえ。独特の呼び方。たぶん偉い人を接客するお座敷。
立っている場所の「どま」と合わせて、間取りは広間型三間取りと呼ばれる素晴らしく典型的な間取りをしています。
高蔵寺境内は、庭や樹木や、背後の借景の山や…
野の花やいろんな花が咲き乱れていたり、
意外にここは極楽浄土なのかもしれません。
★auraの子育て日記
手を握ってあげても、抱っこしてあげても、膝の上に乗せても泣き止んでくれない
…(´Д`)
近所を散歩しても、お腹を満たしても、なでなでしても、何分か放置しても泣き止んでくれない
…(´Д`)
万策尽きた、と思ったとき、
抱っこして風呂場に連れて行って、お風呂のお湯を入れ始めたら、
お湯がじゃばじゃば流れる音が心地よかったのか、泣き止んで眠りに落ちました
…('Д')
しばらくはこの方法で寝かしつけようと思います(*‘∀‘)
寝たあとも風呂場でずっと抱っこし続けるのに耐えられれば(現在の体重5㎏)
No.137⌒★台地の廟所【角田市】石川家廟所、八幡神社
角田市の読み方は、
×つのだし
×すみだし
×かどたし
×かくたし
〇かくだし
です。
角田の読み方多い(´Д`)。
同僚にも角田(かくだ)さんという人がいましたが、みんな「かくたさん」と言っていましたね。
角田市は宮城県の南、白石市の南に位置し、周りは山に囲まれた人口3万人ぐらいの都市で、阿武隈川が削った深い谷を走る阿武隈急行が通っています。
ずいぶん無名の都市ですが、角田県という県だった時代もあります。
角田宇宙センターというJAXAの研究機関があることから、
台山公園にHⅡAロケットの実物大模型が置いてあります。
全長53m、直径4mの巨大な筒。
JAXAの角田宇宙センターでは、このうちロケットエンジンなどの研究が行われました。
なぜか石川家廟所の隣に…。
石川家は伊達家の一門。元々は福島県の南寄りの石川郡を領有していましたが、
のちに角田城主となり、存続していき、
明治政府の初代角田町長は石川家38代の方でした。
台山公園というだけあって、台地にある公園で、
この石川家廟所は、その一番高いと思われる場所に建っています。
昔の古墳が台地の上にによく建てられたのと同じ。支配者は死後、高台に眠ることがお好きなのです。
石川家の当主たちも、死後、角田の発展を見守ろうとしたのか、
あるいは残された人々が守護神として高台に祀ったのかもしれません。
ロケットも同様に、角田の象徴としてのロケットを、町が見下ろせる一番の高台に祀ったんですね。
台山公園の麓には、石川家ゆかりの八幡神社があります。
立派な杉(角田市天然記念物)。歴史の長さが感じられます。樹齢400年。
楼門の彫刻。向こう側にも同じ彫刻がありますね。
左右対称でとても品良く見えます。(でも案内板や手すりが左右対称を崩す…(´Д`))
後ろから見た楼門は、見下げの位置にあるので、
表の見上げの楼門ほど威圧感は感じず、少しかわいく見えました。
そう思うと、神社が登り階段をまず登らせる配置はとても重要なものですね。
威圧感のある楼門=頼りになりそうな神様。
それで多くの信仰を獲得できるかもしれないのです。
★auraの子育て日記
新生児とのお出かけはどういう方法が一番良いのでしょう。
エントリーナンバー1:プスプス(価格:15万円)
利点:寝ながら移動できる。荷物がたくさん積める。注目を浴びる。
欠点:重い。車に乗せるのが大変。車の座席がひとつ潰れる。注目を浴びる(悪い意味で)。カーブは無理やり感のある曲がり方。階段の上り下りは事実上不可能。
エントリーナンバー2:ベビーカー(価格:6万5千円)
利点:折りたためるのでコンパクト。軽い。誰もが持ってるのでオプションパーツ類が安い。
欠点:新生児には少し辛い態勢。ベルトをするのが面倒。背中に熱が籠る。階段が大変。
エントリーナンバー3:スリング(抱っこ紐の一種)(価格:7千円)
利点:階段が楽。エスカレーターにもバスにも混雑した電車にも乗れる。
欠点:数キロの体重を常に抱えるので疲れる。熱が籠る。赤ちゃんは景色を見にくい。
…この3種を使ってみた結果、、、、
一番いいのは「3」のスリングだということがわかりました
(´Д`)
一番安いのに…。
何よりも、スリング抱っこ紐は揺りかごみたいな構造なので、赤ちゃんが寝ていてくれる率が格段に高くて、ベビーカーはベルトで締められてきついのかとにかくぐずるぐずる…。
外出はぐずりとの闘いなので、スリングが一番良いように思います。
これが、新生児期から乳児、幼児となっていくと、また変わってくるんでしょうね。
15万円もしたプスプスの元はいつか取れるんでしょうか…。
No136⌒★観光地への道【伊達市】梁川城、梁川八幡宮
観光地になりたいなあ、と思っている伊達市。
旧亀岡家住宅だけじゃなく、他にも虎視眈々と観光地化を狙っているようです。
その一つが、この梁川城跡。
ゆくゆくは国指定史跡の称号でも得て、
もっと整備して、
観光地になってほしい、と思ってるそうです。
今は石垣がわずかに残って、
泥臭い池と小さい神社社殿があるだけの、ただの廃墟になっています。
伊達市の財政では、この状態から城郭を整備してアクセスを良くして(周辺は道が狭い)、観光地として立派にやっていけるようになるには、ほぼ不可能な事態です。
そのためまずは、国指定を得ることが第一歩です。
梁川城は伊達家の支城として存在しましたが、
上杉家が治めた頃に廃城になってしまったようです。
鶴ヶ城と呼ばれてる城は、仙台から大分まで、
実はたくさんあります。
この城もきっと、鶴が舞うような美しい城だったのでしょう。
もう一つ、観光地化を目指しているのが、こちら(*・ω・)つ
ここで初陣の祈願をしたという政宗にちなんで造られ始めた政宗にぎわいひろばです。
にぎわってますねえ…(;´・ω・)祝日だったのでとてもにぎわってます。
整備計画によると、この賑わってないにぎわい広場は、見たところ今の5倍ぐらいになるよう計画されているようです。
整備計画中と言いながら、全く開発の気配もない、にぎわい広場の奥地。
にぎわい広場はアイスクリームの旗が寂しげに風に揺られていました。
利用者は神社にお参りに来るわずかな人たちと、公衆便所を使いに来る人たちだけ。
地域としても今や寂しい地域なのです。
その隣にある、八幡神社は少し見ごたえがあります。
林の中に建つ神社。
梁川城の北東の方角にある、鬼門としての神社でしょうか。
木立の中を抜けていくと、
池の中に鬼石観音堂がたたずんでいます。
坂上田村麻呂が建てたなんて言い伝えがあるので、本当だとしたら1200年前のものです。
そういわれれば、鬼石観音堂も、平安時代の風情を感じられる気がします。
梁川八幡神社の社殿は修理中でした。
坂上田村麻呂が活躍する前後だと思いますが、その後奥州藤原氏の繁栄と凋落、
伊達氏の興隆がある中で、地域では重要な神社であり続けました。
伊達政宗で言えば、初陣と、妻の愛姫(めごひめ)が伊達家に引き渡された場所として有名です。
なんとなく、政宗にぎわい広場を作りたくなる気持ちも分からないではない、由緒です。
★*.+゚auraの子育て日記
初めて電車に乗って、夜のネオンに興奮して、深夜泣き喚く我が子…。
大したことはしてないのに、何気なくつけたテレビの光に興奮して、深夜泣き喚く我が子…。
背中が凝るのか、一晩中伸びをして、あげくになぜか泣き喚く我が子…。
かと思えば、飲まず食わずで何時間も大人しく寝て起きない我が子…。(逆に大丈夫かと心配になって眠れない)
安定感ゼロ、それが乳児です(*ˉ꒳ˉ*)
No.135⌒★蚕の邸宅【伊達市】旧亀岡家住宅
北海道に伊達市っていう市がありますよね。
北海道の左側にカニの爪みたいに伸びた半島(半島の先は函館)の、付け根あたりにある市で、
昔噴火した有珠山があるところです。
その、北海道伊達市とは関係なく、今日は福島県伊達市のお話です( ´∀`)。
ただ、
北海道の伊達市も、福島県の伊達市も、同じ伊達政宗がいた伊達氏に由来した名前です。
北海道伊達市は明治に開拓した伊達氏の分家に由来するもの。
福島県伊達市は伊達郡を拝領した中村さんが伊達の名前を名乗ったもの。
つまり、北海道伊達市は回り回って、元々は福島県伊達郡から来た名前だったのです。(もしかしたら北海道中村市だったかも)
地名が人名を経由してまた地名になったんですね(´Д`)
伊達市周辺は養蚕の産業が盛んで、その養蚕で儲けた亀岡家の邸宅が残されています。
保原総合公園は、大規模な遊具やら野球場から相撲場まである、まさに総合公園。
文化施設としての亀岡家住宅もそこに移築されていました。
公園内で異彩を放つ、旧亀岡家住宅。
2016年7月付の国指定重要文化財の立派な建物ですが、
周りのスポーツ施設などにはたくさんの人がいるんですが、この亀岡家住宅の周りだけ誰もいないのが気になります(;´・ω・)。
みなさん、見飽きてしまったんですね…。
彼の手がけた建物は「江川式建築」と呼ばれます。
江川式建築の特徴は、
例えば、
屋根の上に取り付ける棟飾りは五輪塔を模したものを付けることが多いそうですが、この建物も五輪塔っぽいデザインの棟飾りが設置されていました。
このように、全体的に洋風外観ながら、日本的な要素もある建物です。
内部はなぜか和風。
ここで商人たちが、無数の蚕の卵・蚕種を紙に貼り付けたものを売買していたようです。びっしりと紙に張り付いた、無数の黒い卵を…(;´・ω・)
商人たちにはやはり慣れ親しんだ和の部屋の方が取引にはいいんですね。
内装は黒柿と呼ばれる材など、高価なものが多数使われ、商人たちはここで寝泊まりをして取引を進めたようです。
そういう大部屋がいくつか並んでいて、同時並行的に商人たちとの取引が行われていました。
廊下の曲がり角にも気を遣って施工しています。
そこへ無造作に現代の管理人が掃除機を置いていたりします。
('Д')気を遣えっ
亀岡家ということで亀甲マークの戸。
唯一の洋間。
照明がある中央から、折り上げ部は旭日旗みたいに20条の光線(?)が発せられ、下がり天井部は、それが36条の光線となっています。
それがなんだ、という感じですが、
真ん中と外側で微妙な操作をして、デザインを成しているのかもしれません。