建築遺産のlog!

世界中の建物に行けるといいな

No.126⌒★宮崎の島津邸【都城市】

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都城市のどちらかというと南にあるのに西を名乗る西都城駅から、

1.5㎞ほど歩いたところに都城島津邸があります。

駅の改札で、事務室にいる駅員さんに切符を渡そうとしたら、「私は駅員じゃない!」と言ってました。

じゃあ、誰なんだ、あんたは…。

押し問答の末、駅員さんが来るまで切符を預かってくれることになりました。いったい何者だったんだろう…。

 

…という西都城駅を出て、立派な都城市役所都城市立美術館の脇の道を通って、

ちょっと散歩をすると都城島津邸が建っています。

都城島津邸の建物群は江戸時代ではなく、多くは明治以降に整備されたもののようです。

 

この写真の本宅は、昭和初期に大林組によって施工されたもの。大林組ってそんな昔から大きな会社だったんですね…。

有名な建築家・武田五一の弟子で、大林組にいた松本儀八という人物が設計に携わりました。

 

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植樹祭か何かで天皇陛下も宿泊されたというこの島津邸は立派なものですが、多少シンプルな造り。

 

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織田信長みたいな一行もいました…(;´・ω・)!

何者かは知りませんが、

案内人の説明を聞きながら「分かったでござる」とか言っていました。

話の中から、熊本から来たということだけは分かりました。ということは真ん中の人は加藤清正でしょうか…?

向こうには、話も聞かず、扇子を広げてる武将もいますね。

 

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天皇陛下も来られたということで、カーテンは菊の紋。たった一日宿泊しただけなのに…。

 

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高そうな板戸に、山形の欄間。その上は吹き抜け。

 

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島津邸には他に、この剣道場だった建物や、石蔵や土蔵など何棟も建っています。

国の登録有形文化財になっているのはそのうち8棟。

 

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隣に併設されている資料館、都城島津伝承館は、銅板が不気味に緑青を覆っていました(´Д`)。

湿度が高すぎたのか何なのか、ここまでの色を発するとは思っていなかったでしょう。

それにしても不気味な色…核物質とかそういうものを連想させます。

もし、今も緑青で覆われている鎌倉の大仏が、この強烈な色で覆われていたら、あまり御利益も感じられないですね。

 

★*.+゚auraの子育て日記

子供が生まれました。

子育てとは相性の悪い、このブログ(建築と旅行)は存亡の危機にあります(´>ω<`)。

さて、どうなることでしょう。

 

子供が生まれてみると、事前に用意したのに意外と不要だった、というものが多いことに気付きますね。

 

・例えば、ベビーバス。生後1ヶ月しか使わないそうなので、買うのは考えものです。レンタルでいいかも。

 

・布おむつ。布おむつ育児を希望に燃えて、一式ばっちり揃えて見たものの、あまりの育児の大変さに、布おむつを使う余裕は全く無し!(特に核家族

 

・ミトン。指を咥えられなくなった赤ちゃんは何となく、不満げです(´・д・`)

 

・爪やすり機(電動、3800円)。意外に力が強くて赤ん坊の指なぞ一息にもぎ取っていく勢いです。爪切りは爪切りバサミが結構簡単だと気付きます。

 

・そして栄えあるベストオブいらない赤ちゃんグッズは、、、、

 

ベビーベッドです!邪魔、捨てづらい、高い、大人は座れない(きしむ)、おむつが替えにくい、夜泣きした時にわざわざそこへ行くのが面倒。

…というわけで、ベビーベッドという名の物置がリビングに発生することとなります(2日ぐらいしか使わんかった)

 

理想と現実は違う、ということを痛感する出産後です…。

No.125⌒★廃墟の構造美【都城市】都城市民会館

都城市へやってきました。

都城市は鹿児島県と宮崎県の県境にある市で、宮崎県側の市。

そして薩摩の島津氏の発祥の地でもあります。

江戸時代を通じても薩摩藩領だったんだから、鹿児島県でも良さそうなものですが宮崎県なんですね。

鹿児島市宮崎市の中間あたりの町なので、微妙なところです。

 

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西都城駅から西へ約1㎞のところにある兼喜神社は、島津家の一族、北郷氏の北郷相久を祀っています。

 

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北郷氏の家紋は、島津家本家と似ていて、丸に十字ですが、

島津家本家の家紋と比べて、丸と十字の間にわずかに隙間が空いていますね。

ちなみに、鹿児島市のマークは、島津家の家紋と日立の社標を混ぜ合わせたようなマークになっています。

 

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兼喜神社は県の有形文化財で、権現造りの建物。

権現造りということは、手前から拝殿・石の間・本殿と連なっているのでしょう。

傷みの大きい社殿でもあります。

 

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西都城駅から東の方へ行った時に見つけたこの異様な建物は…。

一体何の建物なんでしょう。( ˙-˙ )

 

工場かな?

 

バッティングセンターかな?

 

アコーディオンのように伸び縮みしそうな丸い屋根…('Д')

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それは巨大な廃墟でした…('Д')

タクシーとかが勝手に休憩所として使っているみたいです。

コンクリートの土台に鉄骨屋根が乗った建物で、

(元)都城市民会館という建物だったようです。設計は九州が生んだ名建築家・菊竹清訓氏。

 

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建物から出ているダクトが鉄骨で組まれた作業台の上に出て来て…というよく分からんが大げさなデザイン。

 

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扇のウィングは等間隔ではなく、その間の壁のデザインも定型のようで定型でなく、

階段の目地は階段に合っていないし、何だかよくよく見ると大雑把なデザイン。

 

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階段のギザギザの形は天井を伝って、正面玄関前の天井にまで及んでいます。

それを力強くRC梁が受け止めています。

 

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階段へ至るスロープは苔むしていました。

これはこれできれいなスロープですね。

 

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反対側の階段のデザイン。

樹木のような手すり。

階段のギザギザの形が壁や、奥のサッシ?にまで及んでいます。

こちらは構造美というより、繊細な印象です。

 

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軽快な階段、重い階段、重い階段と連なって行くのです。

そういえば、反対側の階段も、そこに至るのは金属製手すりの軽快なスロープでしたね。

この建物は、真ん中のコンクリートの床がアコーディオンみたいな鉄骨の蓋を受ける、コンクリートの力強さを強調して造られているように見えます。

 

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庭園らしきものも、廃墟になっていました。

 

使いみちのない廃墟のようにしか見えませんが、宮崎の大学が2027年まで賃借しているので、それまでは取り壊しとはならないようですが、

その後どうなるのかは分からない建物ですね。

No.124⌒★加治木町の石造建物【姶良市】

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鹿児島中央駅から宮崎方面に出ている特急きりしま

鹿児島中央駅から、加治木、霧島、都城と抜けて宮崎まで走る黒い電車。

これも水戸岡鋭治さんのデザインですが、こういう、いかつい表情の電車から、指宿の玉手箱号のようなポップな印象のものまで幅広くデザインできるところは、さすがですね。

 

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とはいえ乗って行くのは、こちらです(特急料金がかかるから)。

普通電車で、CTと書いてあります。奥にも、車体の色が少し違うCT電車が見えますね。

CTは「Commuter Train」の略で、

つまりそのまま通勤者の電車のことですね。

ひだひだが先頭に付いてしまっている、無骨なデザインで、

このCT 817系電車も水戸岡鋭治さんのデザインだそうですが、九州はもうどこもかしこも水戸岡デザイン。

他にデザイナーは、小田急ロマンスカーなどの岡部憲明氏や、TRAIN SUITE 四季島などをデザインした奥山清行などいますが、世間一般にはそんなに知れ渡っていません。

 

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加治木駅から800mのところにある加治木図書館は、国の登録有形文化財です。

三方に縁側が周っている和建築ですが、倉庫と化してしまってるようでした。縁側があるところに同じように庇が廻っています。

その、下屋部分がこの建物のデザインの決め手になっています。

 

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この通っていいのかだめなのか分からない図書館脇の通路を通って行くと(だめかも)、

 

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裏に石造の倉庫があり、これも有形文化財で、この敷地には、全3棟の文化財登録の建物がありました。

この倉庫に使われている石材は、加治木石と言って、火山天国・鹿児島県内ではたくさん採れる火山灰が固まった溶結凝灰岩です。

大谷石の外観で、デザイン上も非常に良さそうな石。

調べてみると大谷石も、溶結凝灰岩なんですね。石の成分が似ているのかもしれません。

鹿児島県内だけでなく、日本は火山天国なのです。

 

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かっこいい形のくさび。

石材は同じでも石仕上げでデザインを形成しています。

 

加治木石は、初代の帝国ホテルに使われましたが、2代目のフランクロイドライト館からは大谷石が使われているようですね。

 

 

関東から遠くて有名でない加治木石。関東から遠くても有名な水戸岡鋭治氏。

いち早く有名になった方がその地位を総取りしてしまうんでしょうか。

N0.123⌒★鹿児島の石造文化【鹿児島市】旧鹿児島刑務所正門・石橋記念公園

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鹿児島アリーナの隣に、旧鹿児島刑務所の正門が残されています。

ここへのアクセスはどうすればいいんでしょうか。

バスが近くを通ってますが、どのバスにどこから乗ったらいいのかわからず、途中まで炎天下の中歩きました。(なぜバスという乗り物はこんなにも分かりにくいのか…)

鹿児島天文館の商店街からは徒歩で20分から30分はかかります。(暑いので秋~春にかけて行くのがいいかも)

 

ここは昔、鹿児島刑務所があったものと思われますが、今も隣には拘置所があって、その名残が感じられます。

鹿児島刑務所は現在は鹿児島県の遥か北、湧水町というところに追いやられていました。

 

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最近、監獄ホテルで話題になった、奈良監獄と同じ山下啓次郎氏と太田毅氏の設計で、登録有形文化財です。

山下啓次郎の孫はジャズピアニストの山下洋輔、息子は三井鉱山系の実業家、息子の嫁は司法大臣の娘、他にも侯爵系の人や専務だとかジャズヴォーカリストとか、すごい人たちが家系に連なっています。

大臣も音楽家も金とか家系次第なんでしょうか…(´Д`)

 

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鹿児島監獄は、お城風の石造門ですが、全て残されていたら奈良監獄ホテルのようにいろんな使い方ができただろうに、もったいないことです。

向こう側(正面側?)に比べてのっぺりとした平たい壁で、

正面側は割れ肌のデザイン重視の石、裏側は平たく仕上げて使いやすさ重視、という感じがします。

石壁が表に比べてごつごつしていないので足をかける場所もないので脱獄が難しくなっています。

 

この監獄門は、鹿児島アリーナの広場にただ置かれているだけで、訪れる人もおらず、ひっそりとしていました。(暑いから?)

 

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鹿児島市の東の方、石橋記念公園にあるのは西田橋御門。

 

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西田橋というのはこちら。

この西田橋を午前6時頃開き、午後6時頃閉じていたのが西田橋御門です。夜遊びするのも大変な時代です。

 

石橋記念公園は、橋マニアが楽しむための公園みたいな場所で、

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これやこれやこれなんかの橋がありますが、もはやどれがどの橋かわかりません…(´Д`)が、これらの橋は全て岩永三五郎という熊本の石工が造り上げた橋です。

 

しかし、鹿児島には護岸施設や監獄、橋など石造のものがとても多いですね。

石橋記念公園にある石橋たちは溶結凝灰岩という石が使われているそうです。

溶結凝灰岩は、火山で噴出してきたものが、熱や重みで圧縮されてできた凝灰岩で、もともとは火山灰などの軽いものが主だそうで、噴火の熱や噴出物の量がものすごいものだということがわかります。

開聞岳桜島霧島山など火山には事欠かない鹿児島県では大量に手に入れられる石材です。

 

石橋記念公園へは観光周回バスで行くのがわかりやすいので、それを利用するといいでしょう。暑いときは無料の石橋記念館で休めるので良いと思います。

まあ、みんな、石橋はそっちのけで石橋下の水場で遊んでたけど…

No.122⌒★江戸の現役護岸【指宿市・鹿児島市】うなぎ末吉

指宿の帰り。

田舎なのに混み合って座れない各駅停車で鹿児島方面へ戻ります。

高校生ががんがん乗って来て、とても座れない指宿枕崎線。高校生はどこでもいますね…。

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途中で降りた宮ヶ浜駅はどうやら長渕剛ゆかりの土地らしいです。

「鶴になった父ちゃん」という歌に宮ヶ浜のことが歌われています。

”幼い俺を父ちゃんはバイクに乗せて 宮ヶ浜にいつも連れてってくれた

浜の西に沈む夕陽が赤く揺れていて 海よりも限りなく優しかった”

という詞の部分ですが、

歌詞を読んでいく限り、亡くなった父親を偲ぶ歌になっています。

浜は東にあるので山の方へ沈んでいく夕陽が残念ですが、それはそれで神々しい光景だったのでしょう。

 

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駅前にはいもあめを売っている坂本いもあめ店が続いています。

明治創業で、鹿児島ではいくらでも手に入るさつま芋を使って作られたいもあめで、

ものすごく気さくなおばあちゃんが出迎えてくれます。

イントネーションがすごく可愛いですね、この地方の方言は。

 

ただ、いもあめを3つも買ってしまった結果、、、食べきれませんでした(´Д⊂ヽ

粒の一つ一つが大きくて、なかなか食べ終わらない、いもあめ…。

自分用には1袋でいいかもしれません。

 

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宮ヶ浜には、江戸末期に築造された防波堤が残っています。

雁木状の防波堤。階段状になった形を雁木状と言い、防波堤の先端がそのような形になっているようです。

その防波堤が未だに現役で使われているので、国指定史跡となっています。

 

しかし、遮るもののない港。35度の猛暑で、熱中症寸前になったので急いで退散しました。

防波堤の反対側の先っぽでは少年が二人、この猛暑の中、釣りをしていました。大丈夫か、あの少年たち…。

 

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そういえば、鹿児島港にも江戸~明治頃造られた港湾施設があって、こちらは重要文化財に指定されています。

 

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こちらも雁木状の石積み。こうすることで、海の方へ降りていくこともできますね。

 

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この日はここまで回ったところで力尽きてしまいました。

鹿児島随一の繁華街天文館にある、うなぎ屋末吉。

ここではうな重を頼んでもうなぎとご飯が別々に出てくるので、最初は食べ方に戸惑います。

うなぎ→ご飯→うなぎ→ご飯の順番に食べればいいのか、それともうなぎをご飯にかけるのか…

ビールを飲みながら一つ目のうなぎを食べ、残りはご飯にかけて食べるとか、お好きな食べ方でいいと思うんですが、正解は何なんでしょう。

うな重は松竹梅の松でも2760円。焼き方はもちろん西日本風の香ばしいうな重

おいしすぎて、次の日の昼と夜にも行ってしまいました…(*‘∀‘)。

 

★*.+

大河ドラマにもなった「天地人」っていう小説。大河ドラマブランドで間違いないだろうと思って読んでみたら、びっくりするほど面白くないですね…。

波風立たず秀吉の軍門に下る上杉家。波風立たず会津に移封される上杉家。盛り上がりもなく終わってしまいました。

なぜ、これが大河ドラマに…。

No.121⌒★日本のポンペイ【指宿市】橋牟礼川遺跡

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東京よりは平均気温がだいたい3℃高い指宿市

もし、地球温暖化が進んだとしたら、東京も指宿のようになってしまうんですね。(温暖化してるかどうかは別として)

 

それにしても、すさまじい暑さです(´Д`)。

遮るものが無い町。エアコンが効いた、気軽に休めるところのない町。

そんな指宿の観光の目玉は、砂蒸し風呂です…(´Д`)。

 

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砂蒸し風呂は、名前を聞いただけで汗が噴き出てくるので、近くの橋牟礼川遺跡へと向かいました。

橋牟礼川遺跡国指定の史跡指宿駅からは、南へ500mほどの距離です。

2ヘクタールある、とても広い公園ですが、草刈りのおじいさんとぼくの二人しか、ここにはいませんでした。

草刈りのおじいさんは、作業小屋のまわり数メートルだけ一生懸命草刈りしていました。

やばくなったらいつでも小屋に逃げ込める態勢ですね、さては。

 

橋牟礼川遺跡は、縄文時代から平安時代ぐらいまで連綿と続いた集落で、

ポンペイのように開聞岳の噴火で埋もれた遺跡ではないかと言われています。

鹿児島では、桜島が鹿児島湾を形作り、最南端では開聞岳が指宿一帯を形作ったので、あんなにいびつな形をしているんですね。

大噴火の日は分かっていて、西暦874年の3月25日(旧暦3月4日?)に開聞岳の大噴火は起こりました。平安時代の、遣唐使が廃止される前の国風文化が生まれようとしている時代でした。

そこから時が止まり、今また土器など日の目を浴びることとなった貴重な遺跡なのです。

 

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もこもこした暑苦しい感じの竪穴住居。

そんな竪穴住居たちが公園内に点在しています。

竪穴住居の中も、日陰で涼しいかと思いきや、すごい暑さでした。

噴火でそのまま集落が残ったとしても、茅などは無くなっているだろうし、本当に、このような形をしていたんでしょうか…。

 

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暑いのでたまらずビールに逃げこむ結果に…(´Д`)。

 

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駅の西側にある長寿庵という和食処で、豪華な内装の店内です。

指宿駅は東にしか出口がなく、トンネルを潜らないといけない西側には観光客は来ないので、長寿庵は地元の人たちでにぎわっています。

 

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その長寿庵には、そぼろ+温玉の「温たまらん丼」という丼ぶりがありました。

たしかに、そぼろの濃いめの味と温玉がマッチしたたまらん味です。

暑い中、歩きまわった甲斐があったと思う瞬間です。

No.120⌒★指宿の玉手箱号で指宿へ【指宿市】

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鹿児島中央駅から出ている「指宿の玉手箱」号。

夏休みだから、チケット入手困難なほど人気!で、2週間前から予約が必須!ネットでチケット買えば10万円のプレミア!かと思いきやあっさりとチケットは取れました(20分前に)。

思えば、指宿の観光地と言えば、考え着くのはほぼ砂蒸し温泉のみ!

夏の暑い日にわざわざ指宿に行こうとする人はいません!(たぶん)

というわけで、いぶたま号で夏の指宿へ~。(←夏に指宿へ行こうとする人)

 

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指宿の玉手箱号は、九州ではもはや珍しくない水戸岡鋭治氏がデザインしただけあって、

近年の水戸岡デザインらしく、木のぬくもりあふれた車内になっています。

指宿の玉手箱号は2011年に運行を開始し、鹿児島中央~指宿間を走っています。

指宿まで、大きな駅は無いので、ほとんどの人が指宿まで向かいます(どこかで停車した気がする)。

 

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席はだいたい二人掛け。

今回は一人で行ったので、隣は知らないおっさんになってしまいました…。

この電車には、偶数の人数で乗るといいですね(´・д・)2人とか、4人とか、10人とか…奇数で乗ると、誰か一人、隣がおじさん地獄に陥ります。

 

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子供が遊ぶことを想定したような本やソファのコーナー(おじさんも大丈夫です)。

 

もし、

席を選択できるのなら、指宿へ向かって左側の席を取りましょう。

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左側に見えるのは広い鹿児島湾!右側に見えるのは山の裾にへばりつくように建てられた住宅とか草むらです。

 

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左側はずっとこんな風景でした。

右側は特に見たい風景はなさそうでした。

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その海を見るための真横に向いた席も作られていますね。

客でごった返していなければ、いろんな過ごし方ができるのが、指宿の玉手箱号です。