No.115⌒★人口島のぐりんぐりん【福岡市東区】
むかーしむかし、博多湾の西側一帯を埋め立てようという話が出たとき、
相当な反対運動も起きていたんですが、あの喧騒はいったいどこへ行ったんでしょう。
と思うほど平穏に開発が進む博多アイランドシティ。
よくよく地図を見てみれば、福岡市中央部からは遠く離れた地域で、電車も通ってないので、とても住みにくそうな人工島です。
島が計画された当時(1980年代~1990年代)は福岡市の人口も増えていて、ベッドタウンの需要があったのかもしれませんが、その後見事に少子化時代に突入。
アイランドシティはどうなってしまうんでしょうか。
アイランドシティへの行き方は
天神からバスで行ったり、香椎駅からバスで行ったり、香椎花園駅から徒歩20分ぐらいかけて歩いて行くなどいろいろあります。(自家用車で行く、が正解)
だだっ広いアイランドシティ中央公園から西側は工場街、東側と南側は住宅や病院などの施設、北側は未だに更地が多いです( ノД`)。
アイランドシティにやって来てまず思ったのは、とにかく風が強いこと。
ゴーッという風が終始吹き荒れていました。
福岡市の花と緑のマスコットキャラクター、グリッピが
30度はあろうかという猛暑の中、公園を練り歩かされる苦役を行っていました。
中央公園内に建つ、ぐりんぐりん。
3D曲面を描きながら、コンクリートが打たれていて、難しい仕事のように思えます。
植物が上に乗ってるので、建物へのダメージも少し感じられます。
中は100円で入れる(子供は50円)温室。
緑いっぱいの公園ですが、建物内も緑がいっぱいです。
グリッピの使命はみどりを増やすこと。
使命は果たされたんですね。
建物内は蝶のオオゴマダラが放し飼い。
虫嫌いな人には最悪な環境かもしれません。
オオゴマダラくんは、さらに園内で続々と増産中でした(*‘∀‘)
金色のさなぎ、白いさなぎから、、どんどんと飛び立っていきます。
オオゴマダラは東南アジアなど熱帯地域に住む蝶なので、
年中暖かいぐりんぐりんはとてもいい環境なのです。
ぐりんぐりんは大ヘビの背中に乗っているように、屋上はぐねぐねと波打っています。
温室は上部開放。
屋上には遊歩道が走っていて、高い建物がないアイランドシティを眺めながらのんびりと散歩をすることができるでしょう。
複雑に入り組むぐりんぐりんの道。一周すると軽い山登りぐらい疲れます。
ぐりんぐりんは伊東豊雄氏の設計ですが、
昭和記念公園の花みどり文化センターのように、地面と建物が一体化したようなボーダーレスの建物で、
それがさらに進化したような建物(あるいは丘)でした。
No.114⌒★山梨県は杉の寺、杉の神社【甲州市】恵林寺、熊野神社
放光寺の少し南には、恵林寺があります。
放光寺が塩山駅から徒歩30分超、恵林寺も徒歩30分ぐらい。いずれにしても遠い寺たちです。
恵林寺は武田信玄の菩提寺です。
寺へのアプローチを見ると、おや?と思いました。
山門へ向かって続く道は、門の手前でくいっと曲がっています。
この配置は信玄が川中島の合戦の折、さらってきた甲斐善光寺と同じ配置。
甲斐善光寺も、山門の手前で道路が曲げられています。
もしかすると、甲斐の国にとって重要な寺はこのような配置になっているんでしょうか。
参道と街道を併用しているような道です。
甲斐武田神社も同様ですね。
山梨では多くの寺社は杉並木が取り囲みます。ここも例外ではなく、杉並木参道が続いていました。
門の額は、
「雑華世界」
と書いてあり、世の中には良い華も悪い華もあり、そういう世界をそのままに認める世界、みたいな意味だと思います。
それはともかく、京都の西に雑華院という寺院がありますが、そこには武田信玄父子の碑が建っています。
雑華院のある妙心寺は、信濃国の高梨氏の一族に連なる者が開山だということです。
何がどう繋がっているのか分かりませんが、
何はともあれ、信玄は今も、様々な華に彩られた世界にいることは確かです。
赤い四脚門は重要文化財。
徳川家康の時代、1606年に再建されたもの。
ここの額は「乾徳山」です。
乾徳山は恵林寺から真北に行くこと10㎞ぐらいの深い山地にある2031mの高い山です。
乾徳山は夢窓疎石が修行した山とかで、その夢窓疎石が開いたとされる恵林寺の山号が乾徳山になるのは必然なのかもしれません。
恵林寺の拝観は16時半まで。
前の放光寺に着いたのがすでに16時32分だったので、入れるはずもありません…(´Д`)。
塀の外から眺めるだけとします…。
塀の外は、お土産屋とか誰もいないタクシー乗り場とか、廃墟になったレストランとか、観光地になっていて、寺の風情は失われてる気がします。
ぶどう愛の強い山梨県は
民家の格子もぶどう柄。
塩山駅から南へ下ること20~30分歩いたところにある熊野神社。
山梨では多くの寺社は杉並木が取り囲みます。ここも例外ではなく高い杉に囲まれていました。
周りには民家とぶどう畑しかない平地なのでいきなり高い杉が立っている光景は異様でもあります。
この神社の真南にかなり行ったところにある富士山から、北にある乾徳山まで、たくさんの寺社が並んでいますが、
思えば富士山の麓にある浅間神社の樹高45mはあるという富士太郎杉から始まり、熊野神社や恵林寺、放光寺や、その他の寺社の杉に至るまで、杉が点々と並んでいます。
富士の真北にあるというだけで寺社が集中して栄えたような甲州市に、人々は何か霊的なものを求めたのかもしれません。
高い杉は、富士に降り立つ神や仏から見えるように、その目印の役割なんでしょうか。
熊野神社本殿は重要文化財に指定されています(拝殿も重文)。
本殿は、社殿が四列並列することが特徴の、春日造で造られています。
1、2、3…あれ?一つ足りないな…。
置いてあった説明板によると、赤い社殿の三つは江戸時代に再建されたが、ひとつだけ再建できずに小祠となってしまったもの(´Д`)。
よく見ると確かにありますね、小さな社殿が。
そしてどす黒い右側の2つが重要文化財の本殿だということでした。
春日造というので、三連になっている左が重要な建物だと思ってしまいました…。
…富士山と乾徳山と北極星の線上にある、寺社仏閣たちのお話でした。
No.113⌒★魅力を放つ放光寺【甲州市】
山梨のぶどうは収穫の時期を迎えるまでもうわずかのようです。これはマスカット?
マスカットは7月中旬から早くも出回り、8月には終了するそうです。
その後巨峰など他の品種が次々と収穫時期を迎え、10月頃までぶどうシーズンが続いて山梨は賑わいます。(一番賑わうのはワインの新酒の頃)
マスカットの収穫体験ができるところもあるようですが、7~8月の暑い盛り、しかも夏は熱帯地域になる山梨県で体験はしたくないですね(´Д`)
袋を被せてあるのとないのがあるのは、違いは何なんでしょう。
今から被せる予定…?
もう袋作業に飽きたのか…?品種の違い…?鳥にあげる犠牲用ぶどう…?
ハッピードリンクショップ!
山梨県内の徒歩旅行者の味方です。山梨旅行で見ない日は無いと言っても過言ではありません。
山梨県はとにかく飲食店もコンビニも見当たらない田舎の地域が多いんですが、そんな時の最後の切り札がハッピードリンクショップになります。
昼ごはん:ハッピードリンクショップ
に、なります…( 'ω' ;)。
山梨県で寺巡りなどをしてしまうとお世話になるかもしれません。
塩山駅から北へ向かうこと、数キロのところにあるのが、放光寺です。
駅からタクシーで行くと1600円ぐらいまでメーターが上がります。歩いて行くと、30分以上かかります(途中から歩道なし)。
一番いいのは、塩山駅前にある、レンタル自転車で行くことかもしれません。
30分毎に100円の料金。
ただし、行きはずっと登り坂です…。(自家用車が一番いいかも)
ストラックアウトがしたくなる山門から入って行きます。(タクシーで行くとすっ飛ばされる)
門は結局3つ潜り、とても広い寺です。
花もきれいな放光寺。今の時期はあじさいですが、4月頃の春の花がたくさん咲く頃が最も賑わうようです。
本堂にはたくさんの蓮が、整然と並んでいます。
本堂の南隣からは本堂と関連施設の内部拝観ができますが、16時半に受付終了です(着いたのは16時32分…( ノД`))
本堂の左隣には、愛染明王のお堂。縁結び、恋愛成就の御利益があります。
一番奥で照らされているのが、愛染明王様。
おん まかあらぎゃ ばぞろ うしゅにしゃ ばさらとば じゃくうん ばんこく
と唱えながら、愛染明王の印を結ぶと恋愛が成就するかもしれません。
たくさんの人の縁結びの煩悩が吊り下げられています。
━━━
悪いことをしたカンダタは地獄に落とされましたが、過去にひとつ、踏みつぶされそうだった蜘蛛を踏みつぶさず助けたことがあるので、お釈迦様はカンダタを助けようと地獄に蜘蛛の糸を下ろしました。
カンダタはそれにつかまって登って行きましたが、ふと下を見ると無数の罪人が蜘蛛の糸につかまって登ってこようとするではありませんか。
「糸が切れてしまう、お前ら下りろ!」とカンダタが叫んだ途端に糸は切れてしまい、カンダタは地獄へ舞い落ちてしまいました。
━━━
…という、この話を思い出しました。
何が言いたいかと言うと、縁結び、恋愛成就は他人を蹴落としてでも達成しようと思えば、この縁結びの御札たちは切れてしまうことでしょう、ということです。
そして、今にもちぎれそうです。
★*.+゚
ハンカチで、
鼻をかんでいる人をたまに見掛けるんですが、
あれはゴミ箱にポイされるんでしょうか。
それとも、洗濯機にインされるんでしょうか…(((´ω`;;))
No.112⌒★塩山の屋敷【甲州市】甘草
塩山駅前には、甘草屋敷と呼ばれる建物がありました。
塩山駅徒歩0分(30秒ぐらい)で行ける、重要文化財ですが、訪問している人は皆無でした(´Д`)なぜだろう…。
甘草屋敷へはたったの300円の入館料で入れますが、建物に入らない場合は無料で、裏には図書館もありました。
甘草屋敷というだけあって屋敷前には甘草がたくさん植えられています。(見分けがつかんがたぶんあれもこれも甘草)
この甘草屋敷の主、高野家は江戸時代に薬用としての甘草を幕府に納めたとのことで甘草屋敷と呼ばれました。
ただ、聞くところによると、この甘草たちは何らかの病気で花が咲かなくなってしまったようです。
甘草屋敷を名乗る資格はないですね…(-"-)
甘草とはこのように、流木をただ集めて来たみたいなカンゾウの根を乾燥させてすりつぶしたりエキスにしたものを甘味料や薬用として用います。
現在、使われている甘草のほぼ全量は輸入品。
その多くは中国からの輸入なので摂取するのは少し不安です。
日本での動きとしては、
三菱樹脂という会社が2010年頃、甘草を日本で栽培するよー、と宣言して、
2015年頃、事業化の見込みはたったよー、と報告があり、その後音沙汰がないのでまだ事業化されてないんでしょう。
それだけ甘草を作るのは難しいものなのです。
甘草屋敷でサービスとして頂いた甘草茶と、甘草屋敷に生った枇杷。入館料たった300円なのに…。
お昼ご飯を食べそびれて行ったんですが、このメニューはお腹がもっと空く組み合わせです…(´Д`)
甘草茶は甘味料として使われるから甘いと思いきや、普通のお茶の味でした。
言われればほのかに甘いかな、と思うぐらい。
甘草は砂糖の50倍もの甘さがある成分が入ってるそうですが、お茶ではその実力は発揮しません。
甘草屋敷の客間。
ここで誰もいないひっそりとした中で、甘草茶を頂きました。
和洋混ざったような電灯。
二階は養蚕のために使われた階です。
板が渡してありますが、ギシギシ言って床が抜けそうで少し恐怖を感じました。
2階からは甘草畑と、その向こうに塩山駅が見えます。
駅前にしては、結構広い敷地です(裏にも広い敷地が広がってる)
草生す東門。
甘草屋敷は大きく、茅葺だったころは葺くのは大変だったことでしょう。
日本家屋としては珍しく、3階建てになっています。
真壁の、木の風合いが美しい建物です。
塩山駅の反対側にある、於曾公園。
この公園も、昔は屋敷(於曾屋敷)だったところです。
今は、あまり手入れされてませんが、花や、ぶどう棚が置かれている園芸公園になっています。
このように、内堀・外堀がある砦みたいな屋敷だったとあります。
ここの主であった於曾氏は、甲斐武田家の有名な板垣信方の板垣家を継いだ家で、その後ずっとたどっていくと、板垣退助に繋がります('Д')。
板垣信方ー板垣信憲(板垣家は一時断絶)ー板垣信安(於曾家が板垣家を継いで再興)・・・・板垣退助、、という血の流れですが、板垣家はいろいろ流転の末、板垣退助の時代は土佐藩士となっています。
歴史はどう動くのかわからないものです。
屋敷の周りには今も堀の名残なのか、水路が堀のように流れていました。
この道は猫がたくさん。
屋敷への入り口?
入ろうとしましたが、
・ポストがあり、
・表札がある
ので、入ってはだめな門なんでしょう。
まだまだどなたかの屋敷として歴史は続いているようです。
No.111⌒★塩ノ山と共にあるまち【甲州市】
新宿から1時間半ほど中央線に揺られて辿り着く、塩山駅周辺は今は甲州市ですが昔は塩山市と呼ばれていました。
旧塩山市は駅の北西方向にある、塩ノ山からその名を付けられました。
駅から少し北へ向かうと現れる塩ノ山。
駅方面からだとビルが視界を遮っていて見えませんが、
昔はどこからでも見える、ぽつんと立っている山で人々に愛されてきたのでしょう。
塩ノ山は、
「四方から見える」からそれが塩ノ山となったそうです('Д')。
まあ昔々岩塩が採れたから塩ノ山という説もあるようですが、どちらが由来かは今となってはわかりません。両方?
確かに、周りには高い山が無いので、四方から見渡すことができる山という由来は納得できる感じでした。
塩の山の麓には向嶽寺があります。
杉並木の向こうに見える、中門は重要文化財。
このあたりの寺社の多くは、寺社の周りに高い杉が植わっているのが特徴で、平地でもまるで防風林のように寺を取り巻いています。
この道をずっとまっすぐ伸ばした先には恵林寺の山号でもある乾徳山という山がありますが、
振り返ったずっと先は、富士山に繋がります。
昔から火災を繰り返したようで、この中門だけが残され、重要文化財となりました。
文化財のため、開かずの扉。
中門を迂回して通り過ぎると池が現れ、屋根付きの橋がかかっています。これも通行不可(つω・`。)。
橋から、中門の方向が富士山の方面。
池の向こうにわずかに見えるのが仏殿です。
池は藻で埋め尽くされているわけではなく、きれいな池でした。
塩ノ山からの湧水なのか、寺や周辺の集落には水路が通っていて、たくさんのきれいに見える水が流れていました。
そのたくさんの水のお陰で、池は良い水質が保たれているんですね、きっと。
仏殿は鎌倉円覚寺舎利殿の禅宗様のような建物ですが、円覚寺舎利殿と比べれば背の高さが全然違います。
外壁の色がいい色合いです。
まあ、そんなお寺でした。
なんだか顔の長い大仏…。
駅の近くには明治時代に建てられた中央区区民会館があります。
国登録の有形文化財。明治12年築の、学校施設だった建物です。
近くの案内板にはその後、警察署、図書館と経て、区民会館となった、と書き記されています。
各時代で改修が加えられて、元の姿そのままとは言えませんが、藤村式と呼ばれる山梨県に多数存在した西洋建築の一つです。
藤村式は、明治時代の県令(県知事)だった藤村紫朗の名が使われた西洋建築様式(擬洋風?)で、
学校が主で、他にも役所など公共建築が100棟以上、建てられました。
そんな一時代を築いた建物なんですね。
夕方だったのでひっそりとしていた中央区区民会館は、たくさんあるツバメの住宅が夕ご飯に大忙しでした。
門ではツバメ同士が喧嘩してて通してくれませんでした…(´・д・)。
軒が少ない藤村式の西洋建築は、日本の気候、特に山梨のような夏は高温多湿、冬は雪もたくさん降るこの地域にはあまり馴染めず、次第に建てられなくなっていきます。
それでも、この深い雨除けのあるここの玄関だけは営巣にもぴったりだったんですね。
No.110⌒★白石のサヴォア邸【白石市】
白石市の当信寺近くを歩いている時に、ふと通りかかったこの建物。
なんとなくサヴォア邸に似ているなあ、と思いながら通り過ぎました。(住宅じゃないけど)
サヴォア邸とは、こういう建物。
見れば見るほど同じ…(´Д`)
ピロティの感じといい、連続窓の感じと言い、2階建てなところ、屋上に何かあるところ。
なんなんでしょう、この建物。
設計はアモルフの竹山聖氏によるものです。
サヴォア邸(もしくはサヴォイア邸あるいはサヴォワ邸)を設計したル・コルビュジエは、世界でも屈指の知名度と人気を誇る建築家です。
近代建築では影響力はトップかもしれません。
そのル・コルビュジエは、近代建築五原則、というものを提唱しました。
五原則とは、
・ピロティ
・屋上庭園
・自由な平面
・水平連続窓
・自由な立面
の五つですが、そのうち自由な平面と自由な立面に関しては、現在はほとんどの建物が達成していると思います。
この白石市の謎のサヴォア邸(実は白石市ふれあいプラザ)も、自由な平面・立面に加え、ピロティ、水平連続窓についても達成しています。
屋上も、グーグルマップを見る限り、なにかしら庭園というか小広場として利用している形跡があります。
つまり、白石市ふれあいプラザは、コルビュジエが提唱する近代建築の五原則も達成した、サヴォア邸に似た建物なんですね…。
コルビュジエは、スロープを多用することでも有名ですが、この建物にもスロープらしき施設がはっきりと見えます。
窓を連続窓とするために、柱は少し奥に設置。サヴォア邸と同じく純白な外壁。ピロティを車寄せに利用しているところも一緒。
サヴォア邸は広大な敷地になぜか二階建てのピロティ付きの建物になっていますが、こういう建物はもともと都市向きの建物なんです。
白石市の中心部にある、ふれあいプラザの方がしっくりきます。
まあ、ただ、そんな建物でした…(何の建物かは知らん)
★★
さて、
次の日、車を借りて白石市の郊外の方を走っていると巨大病院が現れたんですね。
公立刈田総合病院というようですが、
これも結構サヴォア邸なのでは…(´Д`)?
ピロティ、及び水平連続窓っぽいデザインは一緒。白いところも一緒。
ピロティが車寄せになっているところも一緒。
ただ、サヴォア邸に似せなければ、という思いが強いのならば、実は自由な立面(ファサード)ではないのかもしれません。
設計は芦原太郎、北山恒、堀池秀人のトリオ。
芦原太郎、北山恒両氏は前々回、白石第二小の設計で出てきた人で、
堀池秀人氏は、前回白石市文化体育活動センターの設計で出てきた、白石市ではおなじみの人物です。
上の方には緑が見えるので、屋上庭園もしっかり完備。
やはりこれもサヴォア邸のオマージュ的建物かもしれません。
ちなみに病院は朝早く行き過ぎたせいで閉まっていました(´Д`)。
スロープがあるかどうかは不明です。
天井まで届かない小部屋を造っていて、奥行きの広さ、天井の高さを感じさせる建物です。
以上、
No.109⌒★鉄骨の塊の建造物【白石市】
東口には立派なロータリーがありますが、改札口はなぜかないため、ひと気がまるでないゴーストロータリーになっています(一組のカップルが横になってるだけ)。
東口の方には川が流れていて、あとは悠々とした住宅街が広がっている地域。
数キロ先で白石川に注がれる、その川には橋がかかっていて、
その姿は、あばら骨の化石のようです。
首長竜の化石のよう。
しらさぎ橋という名前のようです。
この橋は、しらさぎの姿を表していたんですね…('Д')
そういわれれば、何となくしらさぎに見えて来なくも無いかもしれません。
震災で落ちて来た天井材、みたいな壊れた感じもする橋ですが、
1本1本をよくよく見ると、鉄骨にトラス(三角形)がしっかりと組まれていて、空へ見事に飛び立つしらさぎの強い翼の姿を表わしています。(そもそもしらさぎの形だからしらさぎ橋と名付けられたわけではないかもしれんが…)
これを設計したのは阿部仁史氏(阿部仁史アトリエ)で、1994年32歳の頃でした。
宮城スタジアムも設計している、有名な方ですね。
市営鷹巣住宅。設計組織ADHの設計?
を、川沿いに横目に見ながら、新幹線白石蔵王駅の方へ向かいます。
白石蔵王駅を通り過ぎた向こうに、白石市文化体育活動センターホワイトキューブがあります。
堀池秀人都市・建築研究所の設計。
ファサード(正面)は普通ですが、内部は鉄骨の塊です。
中に大きな卵型のものが浮かんでいますが、完全に通行止め状態。
念のため次の日も行ってみましたがやはり通行止めでした。
あそこに、何かがあるんですね…見られてはならない何かが…。(廃墟?)
文化体育活動センターというだけあって、フィットネスクラブみたいなスペースが端にあります。
「今日のご案内」というホワイトボードを見てみると、
ホール:コスプレ撮影会
リハーサル室:ヒップホップダンス教室
アリーナA:書道会
会議室2も書道会……などという予定になっていました(´Д`)。
文化体育活動センターはどちらかというと文化活動が優勢なようです。
ホワイトキューブは巨大な施設にも関わらず、人の気配はあまりありません。
書道展覧会もほとんど人を集めていない様子なので、ヒップホップで疲れたキッズがひとりたたずんでいるだけでした。
空中歩廊のスロープ。
その向こうには無粋に白い壁がいきなり立ち上がったりしていて、これはいったいどういう計画だったんでしょう(白い壁の向こうは書道会の展示をしていた)。
卵型の何かなど、見応えはある建物ですが、「箱モノ」という言葉がピッタリ過ぎる、赤字の気配濃厚な建物でした。