建築遺産のlog!

世界中の建物に行けるといいな

No.82⌒★高原レタス村川上村に佇む心を無くしたオブジェ【川上村】

小海線は高原列車

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中央線小淵沢駅から分岐する、JR小海線高原を走る列車として有名ですよね。

清里から先には1375mの最高地点を通りますが、けっこうなだらかな平地を通っているので、あまり高原を走っている、とは感じません。

そもそも、起点の小淵沢駅の段階ですでに標高が886mもあるんですね。

その後ひと駅めの甲斐小泉ですでに1044m

次の甲斐大泉1158m清里駅1275m野辺山駅1345mと一貫してじわりじわりと登って行くのです。

 

高原レタスのまち川上村

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野辺山駅の次の駅は川上村の信濃川上(標高は1138m)。

1戸あたり年商平均2500万円レタス農家がたくさんいる、川上村ですが、今は雪に閉ざされていました。レタスの予感すらしません。

1戸あたり年商2500万円ということは、粗利が例えば20%だとすると、500万円ぐらいだということになります。

まあ、ここからなんだかんだと引かれるのかもしれませんが、大雑把に1戸あたり500万円ぐらいの普通の年収ぐらいが稼げるのです。

 

ただし、レタスは4月頃種を蒔いて、9月~10月くらいまでには収穫するようです。

その期間、わずか6~7か月。

となると、半年の収入が500万円にもなる!……のかもしれません。

 

ただし、レタス収穫時期はとにかく長時間労働だそうです。

半年で500万円だとしても、1日16時間働けば、時間を勘案すると実質的には半年の収入はその1/2の250万円にしかならない!……のかもしれません。

給料の安い農業実習生を使ってこれなので、実際はあまり儲からないのかもしれませんね。

 

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ここに来る理由はただひとつ!現代建築の川上中学校を見に来るのみです。

設計は、エーシーエ設計。2009年竣工です。

 

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この、犬のようなウサギのような物体は、

さとうりさ氏のプレイヤー・エイリアン。

もともと愛知万博愛・地球博に立っていたものです。

万博と比べて、周りに誰もいないので寂しげにしています。

二つ前の写真にある、ピンク色の卵みたいなものが、彼の「心」だそうです。

心はここにあらず、なのか、心を失ったエイリアンみたいな人間を表わしているのか、とにかくプレイヤーエイリアンは今、心を失っているのです。

 

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建物自体には、地元のカラマツ材を使用した、木感あふれる建物になっています。(もちろん入れず)

寒いので、パッシブソーラーシステムと呼ばれる太陽熱を利用した空調など先端のシステムも使われています。

 

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広い校庭。ひろびろとした校舎。

 

ここまでやってきたのはいいのですが、

小海線の、

運行間隔はだいたい1時間に1本。

駅前では店もほとんどなく過ごす方法もありません。

そして信濃川上駅からここまで徒歩で約25分。(タクシーはいない)

往復50分、滞在時間7分で戻らざるを得ませんでした(;´Д`)。

川上村で過ごすのはやっぱり大変なのです。

 

 

……と、まさかの滞在時間7分間の薄い内容で、記事を終わります(o_ _)o

No.81⌒★人形のまち岩槻【さいたま市】

岩槻城

岩槻は、さいたま市岩槻区

昔は岩槻市だったものが、2005年にさいたま市に編入されました。

区域にあった岩槻城太田道灌により築城されたとも成田氏によるものともされていますが、秀吉の小田原征伐の時に落城し、その後は高力清長氏などの居城となっていきました。

石高は約2万石。

 

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岩槻城で残っているのは、わずかにこの黒門、と呼ばれる岩槻城城門岩槻城裏門のみ。

あとは公園や公民館や市民会館になってしまいました。

 

 

人形だらけのまち、岩槻

岩槻は人形の町として有名です。

人形のまち」と検索すると、他のどの町をも差し置いて、岩槻の名前が出てくることでしょう。

福岡県出身のぼくにとって、”人形のまち”といえば、「八女人形会館」がある福岡県八女市だと思っていたんですが(あるいは博多人形の博多)、検索には一切出てこないですね(´Д`)。

 

なんと、岩槻は全国のひな人形の8割を生産しているのです。

 

人形の東玉

その、人形のまち・岩槻の人形会社の中でも最も大きいだろうと思えるのが、人形の東玉です。

人形の東玉は岩槻藩大岡家が治めていた1852年嘉永5年の創業

大岡家は、有名な南町奉行大岡忠相大岡越前)とは遠戚関係にはあったようです。

 

HPに書いてあるには、戸塚隆軒という漢学医が人形作りの趣味が高じて創業し、会社はここまで大きくなったようです。

作品がすばらしかったので、東玉という号を城主から頂いたんですね。

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東玉は、

岩槻の周りの幹線道路沿いに上のような大看板をたくさん出しているんですが、

夜はぼわっと淡い光で照らされていて、自転車などで通るととてもこわいんです(;´Д`)

岩槻は田舎なので周りは田んぼで、昼見ても怖く、ひと気のない夜はさらに輪をかけて怖いんですが、なぜこの人形の写真を採用したんでしょうか…。

他にかわいい人形はたくさんあるだろうに。

 

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東玉大正館

中井銀行の岩槻支店だった東玉大正館は国の有形文化財に登録されています。

煉瓦造の2階建。一部石張りで左右対称の建物。

屋根は寄棟瓦葺きで、わずかに日本風でもあります。

中は、たくさんの人形が詰め込まれていました。

今は五月人形と、吊るし雛が販売の主流ですね。

 

遷喬館

 

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岩槻駅近くにある、

岩槻藩遷喬館です。茅葺の建物で、無料で入ることができます。

幕末頃、児玉南柯私塾をここに開きました。その私塾ものちに岩槻藩の藩校になります。

遷は、他へ移って行くこと。

喬は、高く、そそり立つこと。

遷喬館は高みに登るような意味ですかね。

 

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藩校、つまり学校のため、かなり簡素な内装です。

たくさんの子供たちが、この広い部屋で学んでいたことでしょう。

 

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人形のまちらしく、ひな人形も、置かれていますね。

 

岩槻は、

まだまだ江戸の香りを色濃く残す町です。

その岩槻は、人形のまち、として高みに登って行ったのです。

No.80⌒★徳川秀忠と西武のプリンス【所沢市】狭山不動尊

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狭山山不動寺・狭山不動尊

山口観音の隣にあります。

ここは、西武王国なので、レジャー施設は徒歩圏内に全て揃っているのです。

狭山不動尊も、もちろんレジャー寺社。

開基は、堤義明です。

堤義明41歳頃の1975年昭和50年に建てられました。

世界一の金持ちは、寺ぐらいすぐ建ててしまうんですね。

 

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エントランスは、芝増上寺にあった勅額門で徳川秀忠の廟だったものです。

重要文化財

「台徳院」という後水尾天皇の勅額を掲げているので勅額門と言われます。

徳川家のものだけあって、きらびやかな装飾に包まれています。

 

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重要文化財でも次々進みます(いっぱいあるから)。

次は

御成門

やはり重要文化財。これも徳川秀忠の廟、つまり芝の増上寺に建てられていたものです。

やはりきらびやかな装飾、釘隠しには徳川葵の紋章がふんだんに使われています。

 

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丁子門。

やはり、重要文化財

これは秀忠の霊廟のものではなく、江として知られる、崇源院の芝増上寺の霊廟から持ってきたものです。

 

江は浅井長政の三女で、

長女が有名な豊臣秀吉側室の「茶々」、次女は京極高次に嫁いだ「初」で、その三女になりますが、最初は豊臣秀勝に嫁いでいました。

つまり、再婚なんですが、秀忠との間には3代将軍家光を含む7人もの子を産んだので仲睦まじかったのではないでしょうか。

 

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徳川秀忠堤義明

堤義明の父は、堤康次郎堤義明は、その三男です。

徳川秀忠の父は、徳川家康徳川秀忠は、その三男です。( ・ω・)

 

父の堤康次郎西武グループを一代で作り上げた、カリスマ経営者。

父の徳川家康徳川幕府を一代で作り上げたと言ってもいい、カリスマ大名。(*•ω•)

 

堤義明は、西武鉄道グループの2代目経営者。

徳川秀忠は、徳川幕府の2代将軍。(゚Д゚;)

 

堤義明は、堤康次郎の妻ではない内縁関係の女性の子。

徳川秀忠は、徳川家康の側室の子。(°Д° )/

 

堤義明と、徳川秀忠は共通点が多いのです。

戦災で焼け残ったこれらの門を、何としても西武グループの総本山、所沢に持ってきたかったんじゃないでしょうか。

徳川幕府徳川秀忠以降も、二百数十年間、存続したのです。

もしかすると、

堤義明は、西武鉄道グループの永い繁栄を願って、この門を手に入れたのかもしれません。

 

寄せ集めの狭山不動尊

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第一多宝塔。第一ということは第二もあります。

第一多宝塔は埼玉県の有形文化財で、大阪府高槻市から持ってきたもの。

第二多宝塔兵庫県から持ってきたものです。

 

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羅漢堂と唐金灯籠

奥の羅漢堂元勲・井上馨にあったものを移設してきた、と書いてあります。

手前に並ぶ、唐金灯籠増上寺秀忠霊廟にあったもの。

ここの山門は、田中平八郎の邸から持ってきたもの。

寄せ集めの集大成みたいな区画になっています。

唐金灯籠の唐金は、金という言葉が入っていますが、青銅のことです。いわゆるブロンズ。

 

他にも彦根市から持ってきた弁天堂や、奈良極楽寺からの弁天堂奈良桜井寺からの桜井門などがあり、すごいラインナップなんですが、

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本堂がいかにも普通っぽいのが、いつも謎に思っていました。

 

どうやら、

本堂も元々は京都東本願寺から移築されてきた

ものだったのが、焼失してしまったものらしいですね。

もはや、どこかの寺から1流本堂をスカウトしてくる財力はなく、普通の本堂となってしまったようです。

ユネスコ村の失敗が色濃くなってきた2001年の不審火だったのです。

そして、堤義明の失脚ももう少しだったのです。

No.79⌒★レジャー施設的金乗院山口観音【所沢市】

【建築遺産のlog!】第79号

2017年3月31日

  

真言宗吾庵山金乗院放光寺(山口観音)

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山口観音は水子供養の寺でもあるようで、

本堂裏の斜面に広大な仏像が置かれています。

小さく、妖精のような仏像がたくさん。

妖精のまま、生まれることなく、空へ上っていったのです。

 

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ほほう…お釈迦様の鐘……

 

でも、この穴に、

何度お金を落としても、落としても、

ボトッ…

ボトッ……

という音しか鳴らないんですが(騙されたか…)

 

水子地蔵尊の一番上の辺りにあります。

 

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龍が手すりになっている階段を登って行くと、

 

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が建っています。

法隆寺夢殿みたいな八角の塔。

この八角形の角はそれぞれ、東西南北、北東、北西、南東、南西の八方角を向いています。

八は全ての方角、つまり宇宙そのもの、無限を表しているんですね。

龍も、八部衆の一つで阿修羅や夜叉などと共に仏法を守護します。

 

五重塔は跳高欄がぐるりと取り囲み、簡素なデザイン。

 

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その五重塔の下に仏国窟という洞窟が口を開けています。

この洞窟を通って行くと、四国八十八カ所霊場

を回ったのと同じ効果があるようです。

 

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ずらっと並んだ仏像のトンネルは1分もかからないうちに出口に辿り着くでしょう。

暗いですが、そんなに怖くはありませんでした。

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武蔵野七福神めぐり

と書いてある派手な中国風の建物(本堂隣)。

Wikipediaを読んでみると、

武蔵野七福神は埼玉県飯能市、入間市、所沢市の寺院・神社の七福神めぐりで、

西武鉄道が提唱した。

とおっしゃっております。

 

七福神巡りも、レジャーのひとつとして造られたにすぎないものなんですね…。

結局このお寺も、全体が西武鉄道の観光レジャー施設のようなものです。

その一環として五重塔も建てられたのかもしれません。

五重塔はユネスコ村が閉村し、ユネスコ村大恐竜館として再オープンした時期の1999年頃に建てられました。

西武鉄道は、レジャー客を増やすためにはなんでもやります。

 

武蔵野七福神めぐりとして、

この寺には布袋様だけがいればいいはずですが、七体全部いました。

(めぐらなくていいじゃん)

 

七福神めぐりの他の施設として、山口観音は西武狭山線で、他は全て西武池袋線から行くことができます。

(一日では回れないので2日に分けて西武鉄道で巡ってね。駅からは西武バスを使いましょう。)

 

この七福神めぐりには、ご利益はあるんですかね。

 

西武鉄道のご利益はあるんでしょうね。運賃として…。

 

 

No.78⌒★【所沢市】西武ドーム周辺のお寺と廃墟。ユネスコ村と山口観音

【建築遺産のlog!】第78号

2017年3月29日

 

西武ドームの周囲の建物

 

西武ドームの付近には、いろいろな建物が点在しています。

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この辺りには、狭山湖と多摩湖という人造湖がありますが、多摩湖の方を造るときにあった、慶性院の山門、

 

慶性門

だけが、ここに移築・保存されています(ちなみに住所は東大和市)。茅葺の長屋門で幕末頃の建築物。

 

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多摩湖を見つめる

だいだらぼっち(大多羅法師)

も、ここにいます。

 

だいだらぼっちは巨人ですが、山梨県の土を盛って富士山を造ったりするほどなので、こんな小さな顔ではないはずです。 (山梨県を削った結果、盆地に)

 

だいだらぼっちが山を造ったりして近くの土地を掘った結果、湖になったり、盆地になったりしています。

 

廃墟のユネスコ村跡地

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しかし、夢破れた西武王国の跡地は悲しいものがあります。

このAMUSEMENT PARKと書かれた建物は廃墟、その奥もほとんど使われない駐車場などがあり、車いす野球の会場と化していましたが、

駐車場も端まで行くと通路が草と蜘蛛の巣で覆われていて通れなかったりします。

 

ユネスコ村1990年で終了し、その後ユネスコ村大恐竜館として再OPENした時も、野球がある日ぐらいしか客が集まらなかったように思います。

恐竜館もそのまま悲惨な状況で完全終了し(2006年)、今はところざわのゆり園などとして、ほそぼそと使用されている程度です(ほとんどは廃墟)。

 

ユネスコ村や西武ドームを含むその一帯を指した

「所沢アッハの森」

のネーミングはその後付けられたものです。

ユネスコ村の負のイメージを一回リセットする必要もあったのです。

 

山口観音金乗院

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近くには山口観音と呼ばれている金乗院があります。

山口観音は例にもれず行基の開基。

寺号は放光寺となっており、いったいどれで呼べばいいのか、迷います。

多摩湖と狭山湖の合わさる辺りに建っており、危うく湖の底でしたね。

 

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本堂はやや中国風な感じもする建物です。

建物外壁はぐるぐる回るマニ車で取り囲まれていました。

 

武蔵野うどん

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山口観音の茶店では、武蔵野うどんも食べることができます。ビールも飲めます。

おばあちゃんの手作り、みたいな文言も書いてあったので、意外と本格的なものですね。

 

所沢とその周辺では武蔵野うどんの店がたくさんあって、

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所沢駅から徒歩7分の武蔵野うどん店・涼太郎うどんは、

なぜかイタリアンな内装のお店でビールはイタリアビール、突き出しもイタリアンな中、

 

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完全和風の武蔵野うどんを食べることができます(*´∀`)。(炙りチーズうどんなども有り)

 

武蔵野うどんは、固くて、かなり腰のある太麺で、肉汁のつけ麺が多く、埼玉でたくさん採れるねぎなどの野菜が入っています。

人気店も多くて、行列ができていたり、埼玉県民(と多摩地方の東京都民)に愛されるうどんなのです。

 

山口観音の続きは、次回。

No.77⌒★【所沢市】の建築好きも訪れる狭山湖畔霊園と聖地霊園

【建築遺産のlog!】第77号

2017年3月26日

 

現代建築とお墓:狭山湖畔霊園

 

狭山湖畔霊園は、西武ドームからやや北へ行ったところ、

西武ドームの北を通るレオライナーの路線を挟んで目と鼻の先にあります。

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湖畔からは300mぐらい離れてるけど湖畔霊園。

 

たくさんのお墓の中に、ドーム球場とか、宇宙船みたいに見える建物が鎮座しています。

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これは、真ん中は屋上緑化、正円でない丸い屋根が乗っている、

 

狭山湖畔霊園の管理休憩棟

 

です。設計は中村拓志氏主宰のNAP建築研究所

 

中村拓志氏は尾道にリボンを巻いたようなチャペルを建てたり、一目で外観に目が行く建物の設計をします。

 

墓地、というのは主に四角い墓石の連続なので、

その中に丸い建物があるととても目を引きますね。

 

霊魂は、真ん中の屋上緑化の木にまず降りて来て、ぽっかり開いた穴から建物の中へ入って来るんでしょう。

 

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降りてきた霊魂は、中で休憩している家族や親せきや友人と、一緒に過ごすのでしょう(知らんけど)。

それにしても内部も美しい形をしています。

 

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霊園の真ん中付近にある、

礼拝堂。

 

これも中村拓志氏の設計です。さっきとは全く違った雰囲気の建物ですね。

 

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入り口も三角形になっています。

 

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中は光が降り注ぎそうな開放的で木の質感たっぷりの礼拝堂(でも夏は暑そう…)。

 

この建物の地下は納骨堂になっていました。

 

狭山湖畔霊園は西武ドームの建築面積(40000㎡)よりも大きい50000㎡の敷地に約4500区画のお墓を収容します。

墓所使用料は189万円(2.7㎡)~2400万円(24.0㎡)まで様々です。

 

現代建築とお墓:芝生が美しい所沢聖地霊園

 

所沢にはもう一つ、有名な霊園があります。

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それが所沢聖地霊園。池原義郎氏の設計です。

この日は夏真っ盛りの35℃ぐらい気温がある日でした…。

とにかく暑くて、日差しを避けるところも無いので、園内に人は誰一人いませんでした。

 

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白と、緑で覆われた聖地霊園。

南の島の霊園、といった感じの雰囲気があります。

 

所沢聖地霊園は1974年昭和49年に開園し、

面積は26万㎡と、西武ドームの6倍以上の広さで敷地内には23000もの区画があります。

墓地使用料は、2.5㎡125万円〜で、狭山湖畔霊園より若干安い価格設定でしょうか。

 

モニュメンタルな礼拝堂

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礼拝堂も開園時に建てられたものです。

この礼拝堂も、三角屋根の頂部はトップライトになっています。

 

霊魂は、トップライトのガラス窓から入ってきて、礼拝をしている家族やら友人と交わるのでしょう。

 

建物を奇抜な形にしたりするのは決して建築家の自己満足ではないと思います。

モニュメンタルな建物があると上から降りてきた霊たちも迷わずに来れるような気がします。

ここでは、彼ら(霊)が主役なんです。

 

 

★あとがきのひとりごと

ぼくは花粉症ですが、まず毎年2月中旬に発症し、3月中旬には最もひどくなります、、が、3月下旬には一旦症状が8割方治まって、4月下旬頃の、みんな花粉症を忘れてしまった頃にまた発症します。(その後6月まで続く)

 

一番、花粉症がひどい時期に半ば治まって、花粉が無くなってきた頃また発症するという、この流れ。

 

ぼくはいったい、何の花粉に襲われているんでしょう…。

 

★★ひとりごと2

今日の記事を書いたあと、スマホのネット広告が、お墓の広告ばかりになりました。

 

どうやらお墓を買いたい人と認識されたようです。

No.76⌒★【所沢市】アッハの西武王国!のさわり。西武ドーム

【建築遺産のlog!】第76号

2017年3月24日

 

所沢市の西武王国(アッハの森)

所沢市には、西武グループの本社が集結しています。

創業者の堤康次郎軽井沢で事業を始めて、西武鉄道から伊豆の駿豆鉄道、軽井沢や箱根の開発まで広域に渡った西武王国の本拠地が、所沢。

 

西武がかつてレジャー王国を築こうとした、狭山湖周辺には、

西武多摩湖線西武園線西武狭山線で行くことができます。

この辺り一帯は、「アッハの森」と名付けられたはずですが、定着してるんでしょうかね?

アッハのアの字も見かけなかったけど…。

 

西武園競輪場、西武園ゴルフ場

へ行きたいならば、西武新宿線村山駅から、西武園線で行きましょう。

 
西武園ゆうえんち

へ行きたい!と思えば上記の行き方か、西武拝島線萩山駅から西武多摩湖線に乗り換え、西武遊園地駅で降りるか、さらに西武レオライナーに乗って遊園地西駅で降りましょう

(;´Д`)。

 
西武球場西武ドーム

に行くためには、西武池袋線西所沢駅から西武狭山線で行きます。

 

分かりづらい、手あたり次第、行き当たりばったりなのが、西武王国の特徴です…。

土地を買収ししだい、強引に線路を繋げて行ったんだろうなああ、、。

是政線とか。

 

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今日は新宿から西武拝島線萩山駅乗り換えて、西武多摩湖線西武遊園地から

レオライナー西武山口線

で行くことにします。

 

レオライナー西武園ゆうえんちの開業に伴って軽便鉄道として敷設されたらしく、最初はおとぎ列車という名前だったみたいですね。

 

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軽便鉄道から、案内軌条式鉄道という形式で再整備され、タイヤ付きの鉄道、つまりバスもどきの鉄道としてレオライナーは誕生しました。

 

レオライナーは、広い西武園ゆうえんちの移動手段ぐらいの用しかなさないので子供連れがほとんどで、

泣く子、騒ぐ子、騒ぐ子、騒ぐ子、大人しい子、うるさい子、騒ぐ子、静かな子、騒ぐ子で溢れかえっていました(´Д`)。

あとは、ゴルフの人とか、電車マニアの方が乗っているようでしたね。

 

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レオライナーの終点は、西武球場前駅

西武ドームは、野球が無い日は、つまりほとんどの日は、人よりも猫の方が多いんじゃないか、というぐらい閑散としています。

狭山線なんか、こないだ数人しか電車に乗ってなかったですね…。

駅前でのんびりと猫に餌をあげてる人の姿をよくみかけます。

 

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野球がある日は、このように仮設テントや屋台も建ち並び、人が集まります。

 

野球がなければ人が集まらない西武ドーム周辺ですが、王国を築こうとしていただけあって、コンテンツだけは充実しています。

その内容は次回…