No.73⌒★洗足池のお話と建物【東京都大田区】と日蓮
【建築遺産のlog!】第73号
2017年3月17日
大田区千束の地に洗足池という有名な池があります。(五反田駅から東急池上線、洗足池駅)
この池が、「洗足」池という名前になってしまったのは、
むかしむかーし、日蓮というお坊様がこの池にやって来て、池で足を洗ったから洗足池と名付けられたそうです。(それだけかい!)
確かに、近くにある池上本門寺は日蓮が亡くなった場所、日蓮入滅の地と言われていて、
日蓮上人はここを頻繁に通った可能性は無きにしもあらず、ではあります。
洗足池は中原街道の脇にあり、日蓮は旅の途上だったのでしょう。
生まれ故郷の千葉県鴨川から京都方面に向かっていたのかもしれないし、逆かもしれません。その辺を散歩していただけかもしれません。あるいはこの辺りに住んでいて、この池で足を洗うことを日課にしていて周りの住民たちが日々それを眺めていたのかもしれませんね。
一方の、「千束」の方の由来は、千束分の稲の納付を免除されていた土地だから、という説があります。
1束は1斗。
10斗で1石なので、1000束=100石?
1石が1000合とすれば、1000束は100000合
でしょうか。
10万回分のご飯を免除されていたことになります。
そんな、現在の洗足池は近隣住民がジョギングをしたり、子供連れで賑わう、憩いの場となっています。
池の上では貸しボートが浮かび、ビオトープや公園が整備されて、図書館も建っています。
洗足池の近くには、鳳凰閣も建っています。
旧清明文庫と言い、清明会という組織が建てた、国登録有形文化財の建物です。
昭和8年築。
現在、遺跡発掘中とやらで塞がれていますが、資料館として整備されて、市民も利用できるようになりそうです。
側面にある樋をわざわざ正面へ持ってくるという変態的な樋の付け方は何でなんでしょうか。
看板建築のような、少し粗い外壁。鉄筋コンクリート造の2階建です。
頭頂部の突き出したところのデザインは変わった形をしています。
清明会は勝海舟の精神を涵養するための資料収集などの活動を行っていましたが、ほとんど活動せず解散しました。
これも洗足池のほとりにある御松庵妙福寺。
少し京都のような雰囲気のエントランスです。
23区内とは思えないたたずまい。
妙福寺の門をまっすぐ行った先には仏像が立っていました。
門からの見え方をちゃんと考えて配置してあるのです。
妙福寺祖師堂は国登録有形文化財の銅板が立っていますね。(階段の手前)
ここは日蓮の草庵で、ここで休憩していた日蓮が足を洗っていたので洗足池という名前になった、という故事があるお寺です!
寺の奥、洗足池のほとりには船着き場のようないわくありげな場所があり、足を洗ったのなら、そこで洗ったのかもしれません。
日蓮は他の池でも足を洗ったでしょうが、
この地が千束という名前だったため、「洗足」池という別字が考えだされ、
今もなお、「日蓮」の痕跡を残すことになってしまったのです。たぶん
No.72⌒★東工大王国【目黒区】大岡山駅
【建築遺産のlog!】第72号
2017年3月15日
壁面を這う緑化が印象的な東急病院が乗っています。
設計は、東急と東工大の安田幸一研究室他によるものです。
その、東工大は、大岡山駅を出てすぐのところにあって、敷地へは自由に出入りすることができます。
学生はもちろん、子供を敷地内で遊ばせてる家族も多くて、和やかな雰囲気の学内です。
部室棟からは何かの楽器の音が聞こえ、3月末にもなるとたくさん植えられている桜も楽しめるでしょう。
門を入ってすぐのところにある、東工大附属図書館。
これも、東工大安田幸一研究室による設計です!
見ただけで痛そうな鋭角の建物は苦手ですが、きれいな形はしています。
その、鋭角の建物の先にあるのが東工大の本館。国登録有形文化財に登録されている建物です。
1934年昭和9年築。
シンプルに白のスクラッチタイルの本体と、石貼りの車寄せ部分のアーチ。鉄骨鉄筋コンクリート造の4階建て。
設計はやはり東工大の当時の建築学科の橘教授によるものだそうです。
東工大は工業の大学だけあって、化学、機械、電気、金属、繊維、建築、それと経営も工学の一員で、どれも優秀な工学系学科になっています。
偏差値は68以上!( ノД`)とても入れそうにはありません。
去年は東工大の大隅教授(生物学)がノーベル賞を取ったことでさらに有名になりましたね。
裏から見た本館。
裏にも同じ位置に時計があります。
左右対称。
このショッカーの秘密基地みたいなマークは、東工大のシンボルマークです。
これは、東工大の「大」の字をデザインものですが、なぜ、よりによって大を図形化したんでしょう。
大の字は、どこの大学にもあるのです。普通は、「東」をデザイン化しませんかね。
本館裏にある、この低層の新築の講義棟も、安田幸一研究室による設計です!
宙に浮いたアーチ。
コンクリートでありながら、軽やかなイメージを…というコンセプトかもしれません。
安田幸一研究室のページを見ると、東工大緑ヶ丘の建物の大規模修繕だとか、准教授の家やらの設計にも関わっているのが分かります。
東工大に関係する建物の設計は、多くは東工大内部だけで完結しているのです。
大岡山西一号館(旧分析化学実験室)の建物。留学生センターとも書いてあります。
これも国登録有形文化財。
石貼りとスクラッチタイル貼と時計の組み合わせは本館と同じ。ミニ本館という感じもします。
似たような感じですが、こちらの方が窓のアーチや装飾など、細部まで細かくなっている気がします。
竣工は1931年、設計者は東工大の復興部になっています。
復興とは、関東大震災からの復興ですね。
東工大は数ある工学系学科の中で建築だけ抜き出しても古い歴史があり、
優秀な教授がいらっしゃることがわかります。
新旧の建物が入り混じりながら、調和よく存在していました。
No.71⌒★【横浜市港北区】こどもの国へ行こう(大人向け)
横浜市のこどもの国へ行きましょう(*‘∀‘)
渋谷からは田園都市線に乗って、長津田駅で下車。改札を出て、そのまま改札も無いこどもの国線に乗り込んで、2駅!
長津田ー恩田ーこどもの国。こどもの国線は3駅しかありません。
こどもの国線はまさにこどもの国のために造られた路線です。
長津田駅は改札が無くて、恩田駅かこどもの国駅で、SUICAやPASUMOや切符を使って入退場します。
こどもの国線には、こどもの国へ行くであろうこどもがたくさん詰め込まれていて、
泣く子、騒ぐ子、ぐずる子、うるさい子、大人しい子、寝てる子、泣く子、騒ぐ子、寝てる子、ぐずる子、うるさい子、うるさい子で車内は無法地帯となっています。
寝てる子と大人しい子は、好感がもてますね。
広さ1000000㎡の敷地があるこどもの国はたくさんの子供連れでにぎわっています。
この日はその広い敷地を利用して、駅伝大会が開かれていました。
広いコンビニが1000㎡なので、コンビニ1000個分(駐車場合わせて)の広さ、
東京ドームだと21個分の広さがあります。
入園料は600円。
園内はとても人が多いのに、レストランは多くなさそうなので、入った瞬間に腹ごしらえ。
入ってすぐのセルフ式レストランでは牛乳ラーメンなるものが売られています。
クラムチャウダーのクラム抜きみたいな味のラーメンでした。
こどもの国は雪印乳業が土地を一部寄贈し、今も牧場の経営を行っています。なので牛乳ラーメン。
園内には羊も馬も牛もたくさんいます。
動物園(別途250円)に入れば、さらにたくさんの生き物がいます。
クジャク舎のエサ箱は雀によって占領されていますね( 'ω' ;)
ぼくも雀に生まれ変わったら、ここに住み着口でしょう。
雀は偉そうに、
クジャク舎の中の木の上でくつろいだり、じゃれあったりして我が物顔で暮らしていました。
雀の侵入口は、ここ!
扉の下のわずかな隙間から、雀たちは自由に出入りを繰り返していました。
シカもここではのんびりとしています。
たまに通りかかる人間などを見ながら、一日中大人しく過ごしているようでした。
この黄色い羽のような施設は、黒川紀章氏設計の休憩所。
黒川紀章氏は園内でいくつかの建物も設計したようですが、現存しているのは、今やここだけのようです。
休憩している人は皆無でした。休憩所というより、芸術のオブジェですね。
近くには閉じたものもあります。
開いた花と閉じた花は分かりますが、閉じた時、表と裏の装飾が逆転してないですか?
不思議な花です。
ここの見どころは、小鳥舎。
無数の鳥が放たれていて、
頭上をたくさん飛び回っていて、糞を落とされないか心配になりながら歩きます。
喧嘩している鳥や、
人に水しぶきをかける鳥もいます。(その後また水浴びに行った)
整然と並ぶ巣箱。
これは巣箱の一戸建て。
4つ前の写真の巣箱は、集合住宅。
こちらは高級住宅街なので、少し静かな空間です。
イサム・ノグチがつくったトンネル状の通路がプール場の横にありました。
イサム・ノグチは彫刻家、画家、インテリアデザイナー、舞台芸術家など何でもこなす芸術家。
児童館は、有名な建築家の大谷幸夫氏の設計です。
児童館らしく、少しポップな意匠に仕上がっていると思います。
園内を歩くと、もうそれだけで数時間は経っていると思います。
梅は終わりましたが、これからの季節は桜も楽しめます。
冬はスケート、夏はプールやバーベキュー、湖のほとりでのんびりしたり、大人も十分に楽しめるこどもの国だと思いました。
おとなの国と言っても過言ではないですね(*^^*)。
No.70⌒★大室公園にある古民家【前橋市】とグリーンドーム前橋
NHKのおはよう日本のお天気アナウンサーの酒井さんが少し寒がりなのか、
彼女の防寒対策を信じて行くと、暑くて耐えられない時があります…( 'ω' ;)
1枚多く着ていけと言ったから信じて多く着ていったら、電車の中で汗だくになっていたり。日常茶飯事です。
彼女より少し薄着で出かけるとちょうどいいようですね。彼女は背中に4枚もホッカイロを貼っていて手袋マフラーとばっちりなのに、
なお寒いと言っているんです。
*.+゚★
大室古墳群には、古い住宅が残されています。
富岡製糸場もあるように、群馬県に多い養蚕農家の家で、2階建て。2階はもちろん、蚕が住んでいました。
2階の屋根はばさっと断ち切られていて、蚕様が快適にお過ごしになられるように採光や通風を行います。
蚕は低い気温でも高い気温でも育ちますが、高温の方が育ちやすく、また高湿な方が良いですが、高温すぎても高湿過ぎてもだめです。
屋内で燃やされた火から出る二酸化炭素などの汚れた空気が充満するのも好まないため、通風や採光などをきちんと管理する必要があるのです。
ここにはボランティアさんが何人かいますが、のんびりしたもので、ここは入っていいとか、あっちに展示室があるとか親切に言ってくれるものの、説明はビデオ任せで、自分たちは日向でゆったり過ごしていたりします。(聞けば完璧に答えてくれるので、知識量はすごいものです)
建物の中は1階はザシキがあり、日当たりの良い2部屋は客用のものです。
上は広い蚕様の部屋。
1階との間は竹で仕切られています。
蚕様のために、下階の光が漏れないように、通風は良くするように、でしょうか。
近くには、相変わらず、小古墳があったりします。
手がゴムみたいに曲がった人は、武人かな?奥の2人はおそらく盛装をした方たちですね。
バスは、
1日に4本しか来ないため、乗らないと大変なことになります。
一部、回れていないところもありますが、泣く泣く戻る時間になりました。
ここのバスは、出発時間の5分前にならないと頑なに乗せてくれません。
からっ風がびゅーびゅー吹いて寒いのでバスの前で待ってたら、運転手さんはこちらを一瞥しただけでバスの中でスマホをいじっていました( ノД`)。
にでも行きましょう。
ヤマダグリーンドーム前橋は前橋市街地の西側の前橋公園内にあり、
松田平田設計が設計、1990年に竣工しました。
競輪場がメインで、イベント会場としても使われます。
ネーミングライツを、ヤマダ電機が取得(ヤマダ電機は高崎市が本社)しました。
ヤマダグリーンドームは上から見るとこんな感じ。
この日は某超大手家電小売会社の販売イベントが行われていたので、中に入ることができました。
建築面積は25000㎡、東京ドームの1/2強の大きさです。
構造は、施工した清水建設が技術を保有する、張弦梁構造で建てられています。
張弦梁構造とは、アーチ状の梁と、それを張るケーブルを組み合わせることで軽量・大空間が可能な構法だとのことです。
アーチで曲がった梁の端と端をケーブルで引っ張るイメージです。
この、某超大手家電販売会社のイベントですが、
写真の中の赤い服、黄色い服、青い服を着ている人はほぼ全て、店員。
それから、黒い服を着た人で、スーツの人も全て店員。
それから、それ以外の服を着ている人の中にもスタッフがたくさん混じっているようでした(;´Д`)
ぱっと見た感じ、ほぼ店員…。
あんな中に入って行くのはワニだらけの沼に裸で飛び込んで行くようなものです。
鴨ネギにはならないように、そそくさと帰ることにしました…。
No.69⌒★大室公園の大室古墳群【前橋市】
前橋駅から、1日にたった4本しか出ていない大室公園行きの、
サスペンションがいまいちのためやたら酔うバスにゆられて40~50分、
大室公園へ向かいます。
着くころには、気持ち悪さでふらふらです。
本来、ここへは公共交通機関で来るところじゃないんでしょうね。(1日4本しかないバス、最寄り駅まで徒歩で1時間)
群馬県は自動車を中心に作られた県なのです。
大室公園は、五料沼という沼がある広い公園で、
多くの古墳群を中心に整備された歴史公園となっています。
東京では風はおだやかだったのに、さすが群馬県だけあって、ここではからっ風がうねるように吹いています。
再現されたという帆立型貝塚が広場に立っていました。
全長37m、幅39mの正円形に近い2段の古墳が立っていた、とこの案内板には書かれています。
今日はあまりの寒さに上州キッズたちも全く姿を見かけませんが、遊び場として使われているようですね。
無数に人道が築かれて、いいように使われています。
こちらは、本物の古墳。国指定史跡の小二子古墳(しょうふたごこふん)
前方後円墳で、全長は38m。
「前方」には人や馬の埴輪が、
「後円」には太刀や盾などの武器の埴輪が、
古墳を取り囲んでいたようで、現在でも復元された埴輪によって取り囲まれています。
前方の人や馬たち。
手前の右手を挙げた人が農夫、その向こうの胸を反らせている人が武士、一番向こうのひときわ高い人が盛装した人だということです。
必ずしも、墳墓を守護する人たちだけではないのです。偉い人から、働く人まで。ここではムラが築かれているようです。
後円の武器置き場。
右側のミサイルが地面に突き刺さったようなのは靫(うつぼ・弓入れ)、その左は太刀?、その左は弓を射る時に左手に巻く鞆(とも)、その左はまた太刀?、後ろの屋根があるのは家、だとのことです。
こちらは、大室古墳群最大の中二子古墳で同じく前方後円墳、全長111mです。
どんな人が埋葬されていたのかは、発掘で何も発見できなかったため分からないということです。
このあたりでは有名なさきたま古墳群の古墳の大きさにも匹敵するものなので、かなり強大な首長だったようです。
……と、このように大室古墳群には何基もの古墳がたくさん散らばって築造されています。
このあたりの木にはヤドリギがたくさん付いています。
木に寄生する木、ヤドリギ。
キレンジャクという鳥などによって種子が運ばれ、発芽しますが、
春になると、キレンジャクがこの木に群れをなして集まるため、鳥愛好家たちもカメラを持って群れを成して集まってくるそうです
(´ω`*)。
No.68⌒★大山を下る【伊勢原市】
マスクをして、花粉と闘いながら登ります。中腹まではひどい、花粉。
でも上の方の広葉樹林帯に入ると花粉があまり飛んでないような気がします!
大山阿夫利神社下社からの山道は、階段というより土石流の跡みたいな岩石だらけの道です。たまに立派な木の階段があったりしてほっとします。
そして、なんとか到着…
頂上付近は、ぬかるみの道になっていました。
雨が凍って溶け、また夜になって凍って、昼溶ける(が、蒸発しない)の繰り返しで冬じゅうぬかるみが続いているのかもしれません。
頂上からは遠い江ノ島までが眺められました。
湿気が多いからかあまり見えませんが、真冬に来ればきれいな景色だと思います。
大山阿夫利神社の上社の本社がぬかるみの海の中に建っています。
大山阿夫利神社は麓の方にある大山寺が雨降山を号しているように雨が降りやすい土地にあります。
あふり神社はあめふり神社のことだったんですね。
御祭神は、大山祇大神(おおやまつみ)。この神様は、木花咲耶姫(コノハナノサクヤビメ)の父親です。
かぐや姫の父が御祭神だったんですね。
富士山の周りでは、かぐや姫一族がとてもたくさん現れます。
大山は富士山と関係が深く、
富士に登らば大山に登るべし、大山に登らば富士に登るべし、
と言われ、両方登ることを推奨されました。
それも、これも、親子の神だからかもしれません。
(かぐや姫の木花咲耶姫は富士山の神、その父の大山祇大神は大山の神。)
頂上の茶店は全くOPENしている気配も無いのですることも無く、
下社まで降り、下山することにします。
この茶店は開いていることはあるんでしょうか。
OPENするとしたら、物資はどうやら簡易モノレールで運び込むようで、山の中をレールが延々とひいてあります。
帰りは女坂の方から降りれば、途中疲れた時に、大山寺で休憩することができます。
大山寺はとりわけ紅葉の頃が美しいと思います。
ただ、大山は紅葉の頃はひどい混みようで、ゆったりと登ることができない山になっています。
行き帰りのバス、とりわけ疲れた後の帰りのバスで座れないので、地獄を味わいますね。伊勢原駅に近づくに連れて増える渋滞、ぐずつく子供、沈滞する空気、汗の匂い…
2月あたりは閑散期なので、ゆっくりしたい場合はこの時期に登るのがいいかもしれません。
名物の大山豆腐は、もし食べるなら登山前に食べましょう。
登山して降りてきた頃には全て閉店しています(´Д⊂
大山の夜は、早いのです。
No.67⌒★大山に登る【伊勢原市】
建築遺産のlog!第67号
2017年3月3日
「君はなぜ山に登るのか…」と聞かれれば、
「そこに、建築があるからだ…。」と答えるでしょう( ´ー`)。
というわけで、大山に登りに行きます。
そこに、建築があるからです。建築のない山になんぞ、登りません!
大山は神奈川県民が富士山の次に愛する山。(高尾山がライバル)
夏から秋にかけては非常にたくさんの登山者や参拝者でにぎわう、この山。
伊勢原駅からバスに揺られること20〜30分ほどで麓に到着します。
麓には、「こま参道」という参道があり、有名な豆腐料理店や土産屋が軒を連ねます。
こま参道は数え間違えていなければ296段の階段と古くからの土産物店や豆腐料理店が飛び飛びにあり、参道を歩くだけですでに疲れ果てます。
296段をやっと上り切ったところに、ケーブルカーの駅があります。
大山ケーブルカーは、岡部憲明アーキテクチャーネットワークがデザイン監修をしたもので、ロマンスカーと同じ監修者です。
ロマンスカーと同じように、フロント部は天井まで大きく視界が開きます。
一番前に座れば、秋は大パノラマの紅葉を楽しめることでしょう。
ケーブルカーは、終点の大山阿夫利神社(下社)まで630円、5,6分で到着します。
ケーブルカーで行けば、楽々ですが、歩いて登ることもできます。
「男坂」、「女坂」 とあり、
男なら男坂から登りましょう。
ケーブルカー乗り場から少し通り過ぎた先にある分岐点から右へ行くと、男坂。左が女坂入り口。
男坂の特色は、とにかく息つく暇もない階段の連続で、その階段の一段一段の高さも高いです。大股で登っていく階段は激しく体力を消耗します。
女坂は、途中に寺があり、休憩するのに良い場所がありますが、男坂は一気に休憩もなく登らされます。
一生懸命、慣れない山登りをがんばっていたのですが、
途中で、サンダル履き・だらしないジャージの若者に軽く追い越されてやる気を無くしました…。(何者なんだ)
間違えてなければ、1128段ほど登ると、神社(下社)の下に到着します。
そこからさらに、神社の階段を128段登ったところにあるのが、大山阿夫利神社(下社)です。
こま参道の296段+男坂1128段+大山阿夫利神社128段=1652段。
鍛えられてないなよなよの足には、ここから先に登る体力と筋力は残されていませんでした…
( ノД`)
というわけで、ここからは日が変わって2日目。
ずるしてケーブルカーに乗って大山阿夫利神社下社から再スタート。(半年ぐらい過ぎてるけど)
こま参道の296段、神社の階段128段はどちらにしろ登らないといけないですがね。
いきなり現れる急階段。降りる時は恐怖と疲れで足ががくがくします。
これはスギの雌花でしょうか。雄花は、これを目がけて花粉を飛ばしまくるので毎年花粉症に悩まされるのです。
この山は、中腹まではスギなどの針葉樹、それより上は広葉樹林帯、不思議なことに、上社がある頂上付近はまた針葉樹林帯になります。
神社と言えば、スギ。上社がある頂上と植林しやすい麓付近だけスギを植林したんですね、きっと。
一刻も早く登って下りねば、いけません(花粉症なので)
そうして一生懸命登っていたんですが、後ろから来た小学校2年生ぐらいの女の子に軽く追い越されて、やる気を失いました。(何者なんだ…)