No.68⌒★大山を下る【伊勢原市】
マスクをして、花粉と闘いながら登ります。中腹まではひどい、花粉。
でも上の方の広葉樹林帯に入ると花粉があまり飛んでないような気がします!
大山阿夫利神社下社からの山道は、階段というより土石流の跡みたいな岩石だらけの道です。たまに立派な木の階段があったりしてほっとします。
そして、なんとか到着…
頂上付近は、ぬかるみの道になっていました。
雨が凍って溶け、また夜になって凍って、昼溶ける(が、蒸発しない)の繰り返しで冬じゅうぬかるみが続いているのかもしれません。
頂上からは遠い江ノ島までが眺められました。
湿気が多いからかあまり見えませんが、真冬に来ればきれいな景色だと思います。
大山阿夫利神社の上社の本社がぬかるみの海の中に建っています。
大山阿夫利神社は麓の方にある大山寺が雨降山を号しているように雨が降りやすい土地にあります。
あふり神社はあめふり神社のことだったんですね。
御祭神は、大山祇大神(おおやまつみ)。この神様は、木花咲耶姫(コノハナノサクヤビメ)の父親です。
かぐや姫の父が御祭神だったんですね。
富士山の周りでは、かぐや姫一族がとてもたくさん現れます。
大山は富士山と関係が深く、
富士に登らば大山に登るべし、大山に登らば富士に登るべし、
と言われ、両方登ることを推奨されました。
それも、これも、親子の神だからかもしれません。
(かぐや姫の木花咲耶姫は富士山の神、その父の大山祇大神は大山の神。)
頂上の茶店は全くOPENしている気配も無いのですることも無く、
下社まで降り、下山することにします。
この茶店は開いていることはあるんでしょうか。
OPENするとしたら、物資はどうやら簡易モノレールで運び込むようで、山の中をレールが延々とひいてあります。
帰りは女坂の方から降りれば、途中疲れた時に、大山寺で休憩することができます。
大山寺はとりわけ紅葉の頃が美しいと思います。
ただ、大山は紅葉の頃はひどい混みようで、ゆったりと登ることができない山になっています。
行き帰りのバス、とりわけ疲れた後の帰りのバスで座れないので、地獄を味わいますね。伊勢原駅に近づくに連れて増える渋滞、ぐずつく子供、沈滞する空気、汗の匂い…
2月あたりは閑散期なので、ゆっくりしたい場合はこの時期に登るのがいいかもしれません。
名物の大山豆腐は、もし食べるなら登山前に食べましょう。
登山して降りてきた頃には全て閉店しています(´Д⊂
大山の夜は、早いのです。
No.67⌒★大山に登る【伊勢原市】
建築遺産のlog!第67号
2017年3月3日
「君はなぜ山に登るのか…」と聞かれれば、
「そこに、建築があるからだ…。」と答えるでしょう( ´ー`)。
というわけで、大山に登りに行きます。
そこに、建築があるからです。建築のない山になんぞ、登りません!
大山は神奈川県民が富士山の次に愛する山。(高尾山がライバル)
夏から秋にかけては非常にたくさんの登山者や参拝者でにぎわう、この山。
伊勢原駅からバスに揺られること20〜30分ほどで麓に到着します。
麓には、「こま参道」という参道があり、有名な豆腐料理店や土産屋が軒を連ねます。
こま参道は数え間違えていなければ296段の階段と古くからの土産物店や豆腐料理店が飛び飛びにあり、参道を歩くだけですでに疲れ果てます。
296段をやっと上り切ったところに、ケーブルカーの駅があります。
大山ケーブルカーは、岡部憲明アーキテクチャーネットワークがデザイン監修をしたもので、ロマンスカーと同じ監修者です。
ロマンスカーと同じように、フロント部は天井まで大きく視界が開きます。
一番前に座れば、秋は大パノラマの紅葉を楽しめることでしょう。
ケーブルカーは、終点の大山阿夫利神社(下社)まで630円、5,6分で到着します。
ケーブルカーで行けば、楽々ですが、歩いて登ることもできます。
「男坂」、「女坂」 とあり、
男なら男坂から登りましょう。
ケーブルカー乗り場から少し通り過ぎた先にある分岐点から右へ行くと、男坂。左が女坂入り口。
男坂の特色は、とにかく息つく暇もない階段の連続で、その階段の一段一段の高さも高いです。大股で登っていく階段は激しく体力を消耗します。
女坂は、途中に寺があり、休憩するのに良い場所がありますが、男坂は一気に休憩もなく登らされます。
一生懸命、慣れない山登りをがんばっていたのですが、
途中で、サンダル履き・だらしないジャージの若者に軽く追い越されてやる気を無くしました…。(何者なんだ)
間違えてなければ、1128段ほど登ると、神社(下社)の下に到着します。
そこからさらに、神社の階段を128段登ったところにあるのが、大山阿夫利神社(下社)です。
こま参道の296段+男坂1128段+大山阿夫利神社128段=1652段。
鍛えられてないなよなよの足には、ここから先に登る体力と筋力は残されていませんでした…
( ノД`)
というわけで、ここからは日が変わって2日目。
ずるしてケーブルカーに乗って大山阿夫利神社下社から再スタート。(半年ぐらい過ぎてるけど)
こま参道の296段、神社の階段128段はどちらにしろ登らないといけないですがね。
いきなり現れる急階段。降りる時は恐怖と疲れで足ががくがくします。
これはスギの雌花でしょうか。雄花は、これを目がけて花粉を飛ばしまくるので毎年花粉症に悩まされるのです。
この山は、中腹まではスギなどの針葉樹、それより上は広葉樹林帯、不思議なことに、上社がある頂上付近はまた針葉樹林帯になります。
神社と言えば、スギ。上社がある頂上と植林しやすい麓付近だけスギを植林したんですね、きっと。
一刻も早く登って下りねば、いけません(花粉症なので)
そうして一生懸命登っていたんですが、後ろから来た小学校2年生ぐらいの女の子に軽く追い越されて、やる気を失いました。(何者なんだ…)
No.66⌒★湘南最後の酒造は元気に営業中【茅ヶ崎市】熊澤酒造
茅ヶ崎市には、
「湘南に残された最後の酒造」
という謳い文句の、熊澤酒造があります。
1872年(明治5年)の創業。
確かに、湘南地区の二宮町、大磯町、平塚市、藤沢市、寒川町では酒造は滅亡していました。
まあ、どこまでが湘南か、というと結構意見は分かれるようです。
二宮町から藤沢市までは完全無欠な「湘南」です。ザ・湘南と言っていい地域。湘南度100%。
それから鎌倉から葉山までの地域もほぼ湘南と言っていいでしょう。湘南度90%。
ただし、鎌倉にはビールの醸造所があります。「酒造」の定義にビールの醸造所が含まれていればアウト。
そして、同じ相模湾に面している小田原から湯河原までの地域。この辺りは一般に「西湘」地域と呼ばれますね。行政区分上は湘南地域ではありません。ただ、この地域には酒造は無いので、どちらでもいい話ですね。湘南度40%。
その北の伊勢原市。ここには酒造会社があります!県の行政区分上は「湘南」地域。車のナンバーも「湘南」ナンバーのややこしい地域。ただ、気分的に湘南度は5%ぐらいです。青い海も、白い砂浜も水着の美女も、この町にはいないのです。
「湘南に残された最後の酒造」、という言葉は少しグレー気味なのです。
熊澤酒造は今は6代目の蔵元・茂吉さんが経営しています。
左のタンクには「MOKICHI」と書いてありますね。
熊澤酒造は「天青」という銘柄の酒を造っていて、それは中国の「雨過天青雲破処」ということばから取ったものです(公式HPによる)。
雨が過ぎ、雲の切れ間に見えた空の青さ。そういう美しい青のことを言っているようです。
熊澤酒造へは茅ヶ崎駅から相模線に乗り換えて2駅の香川駅下車、北東へ徒歩10分〜15分。途中歩道は無くてこわいです。
お客様用の入り口はこちら。
MOKICHI TRATTORIA。イタリアンの店です。
古い家屋を使っていて、扉も古いものですが、自動ドアに改良しています。
酒造会社だけあって、ここでは、パスタ+日本酒のような組み合わせもできます!
にごり酒と、相模湾らしくシラスのペペロンチーノ(とびっこ乗せ)。日本酒と合います。
トマトソースと、日本酒は合うんでしょうか…。
日本酒以外では、湘南ビールの醸造所でもあるので、ビールの種類も揃っています。
開店は予約した客から通されていき、良い席をあてがわれたあと、当日予約の人たちは10分ぐらい待たされてからやっと入れました。そしてすぐに満席。
安いレストランではありませんが、人気はかなりあるようです。
MOKICHI TRATTORIAの隣のこちらの蔵の方を入って行くと、
中にはまずパン屋があり、奥にカフェがあります。
木組みをそのまま見せた美しいカフェです。
さっき食べたばっかりだけど、ケーキセットを食べて行きました。
向こうに見える本棚には建築の本、美術の本がたくさん置いてあってある程度詳しい方が施主なのかもしれません。
この他にも、日本料理&酒の「天青」や、ギャラリーショップなどがひと固まりに並んでいます。
パンを買って、椅子がたくさん置いてある外でのんびり食べるのもいいかも。
空には、冬過天青雲無処が広がっていました。
No.65⌒★茅ヶ崎の椿とえぼし岩の海【茅ヶ崎市】氷室椿園
茅ヶ崎へやってきました。
海の水平線の左の方にわずかに写っているのは有名なえぼし岩です。
チャコの海岸物語、えーぼし~いーわが遠くかすんで~なーみだあふれて~かすんでみえーるー♪
の、えぼし岩!
数十年前に霞んで見えるえぼし岩を見ていたのはピーナッツでした。
裸でジルバを踊っていたのがチャコ、口づけを待って砂浜を指でなぞっていたのがミーコですね。
えぼし岩はこういう形をしています。
烏帽子というより、ハリーポッターの寮の組み分けをしてくれる帽子に似ています。曲ってるし…。
烏帽子岩は「ヘッドランド」と呼ばれる場所から見ることができます。
ヘッドランドは砂浜の砂の流出を防ぐために人工的に造成された場所、、
のはずですが、ヘッドランドのせいで逆に砂の浸食が大きくなったといわれたり、
離岸流の発生により海水浴客の死亡事故が起こりやすくなるなんて言われています。
ここの昔の航空写真と見比べてみても、ヘッドランドの周りは浸食が激しい気がするんですが…何のために設けたんですかね。
シュモクザメの頭みたいなのがヘッドランドです。
左の茅ヶ崎漁港とヘッドランドの間が最も侵食されています。
多くは漁港のようなコンクリート護岸などの整備により侵食が発生するのです。
ヘッドランドへは茅ヶ崎駅南口から茅09神奈中バスに乗って行くことができました。
江の島は波の向こうに見えました。
ヘッドランドから歩いて200~300m、氷室椿庭園です。
1935年昭和10年築の古い建物のまわりに椿園が広がっています。
草紙洗。
小野小町が、ある歌合わせの会で詠んだ歌が、それは万葉集の草紙に載っているものだ!と抗議されました。
小野小町はそんなはずはないので、その草紙を洗わせて欲しいと言って洗ってみたところ、小野小町が詠んだ歌の部分だけが消えてしまいました。
実は、前日に小野小町の詠む歌の内容を盗み聞きしたライバルの大伴黒主が、
事前に草紙に書き足していたのです!(>_<。)
このために大きな恥を掻いてしまいました。
しかし、小野小町と正面切って歌で競い合っても敗れることは分かっていたので、どちらにしても恥を掻いたことでしょう。
蜀紅。
いわゆる三国志時代の蜀の首都・成都の近くを流れる蜀江で取れた生糸を使って織り上げられた絹織物、の名前が付けられています。
春日影(はるひかげ)。
俳句の季語で、春の日差し・光を表わすことばが使われています。
椿の品種の語源はそれぞれなんですね。
椿はもちろんこれ以外にもたくさん植えられています。
一つ一つ語源を調べて見るのも面白いんじゃないでしょうか。
建物は、国登録有形文化財を目指して運動中だということですが、どうなんでしょう。
見た感じはあまり美しい建物ではありません。
今はこの建物の由来について、調査をしているところのようです。
氷室椿園は三井不動産副社長の氷室氏の庭園であったところを寄贈されたものです。
庭園には椿だけでも250種が植えられています。
そして、椿の季節は、まだでした。( ノД`)(3月~4月)
今はまだ少し咲いている程度。
……春日影はもう少しです。
No.64⌒★早大の周りのデザイナーズ寺社仏閣たち【新宿区】石山修武の観音寺と隈研吾の赤城神社
早大大隈講堂の近くにあった早稲田社会教育センター。
早大生などの就職活動に伴うキャリア教育、自己分析、業界研究などを行うそうです。
早大生はアフターケアが手厚いですね…過保護かも…( 'ω' ;)
エプロンのように降りてくる黒い鋼板と、上部も特徴的な白い外壁で構成されているこの建物は、北河原温氏の設計です。
北河原温氏は、良く言えば芸術的、悪く言えば奇抜というかけばけばしい建物をいつも建てているような気がします。
この建物の説明文は、
「稲穂のメタファーとして想起されたステンレス製ルーバーと、大木のシルエットが浮かび上がる耐候性鋼板バネルのファサードによって、豊かな都市空間の創出を目指しました……」
だとのことです
(*´・д・)?
芸術を理解しない人は良さが分からない建物。
その早稲田社会教育センターから少し行った先には、観音寺という怪しい建物の寺があります。
有名建築家、石山修武氏の52歳当時の設計です。1996年築。
屋根が湾曲していたり、凸凹が多い建物なので、もう至る所に雨ジミが目立ちます。
石山さんも、デザイン性のある建物を多く建てていますね。
入り口からはまっすぐ道が伸びてピロティを通ってお墓へ。
左へ階段を登れば本堂へ。
裏にはスロープ。
恐らく住居部分にアクセスするスロープだと思います。
自由な形をしているので、最初は廃墟の建物かと思いました…。
崩れているようで、崩れてない。バランスが悪そうに見えて、意外とバランスがいいのかもしれません。
屋根や壁は無造作に貼り付けられている感じがしますが、よくよく見ると構造体はどっしりと建っています。
この駅から比較的すぐのところにある、赤城神社。
最近、右側のマンションと共に改装されました。どちらも隈研吾氏設計。
社務所などの目に付く機能はマンションの一層目や、地階に設置されているので都心とは思えないほど本殿周りがすっきりとしていると思います。
寒いのにたくさんの人が訪れていました。
殖産興業、厄難消除、学問芸術、特に火防の御利益があるとのことですが、
ほとんどの人は「学問芸術」の願いに限ってお願いに来ているような気がします!
つまり受験生。学生らしき人たちが長々と列を作っています。
早稲田から近いので、早稲田を受験する人も多いのでしょう。
この、赤城神社は火防の御利益があるといいながら、自身は2度も被災して焼失しています。(;´ω`)
1度は江戸時代、もう1度は昭和20年の東京大空襲での焼失ですが、火防の神とはいえ、大空襲は止めどもなかったのです。
隣のパークコート神楽坂も一体開発で隈研吾氏設計ですが、ルーバー柄の外壁。
パークコート神楽坂はRC造、6階建の分譲マンションですが、
賃貸すると、20~30万円だそうです(1LDK~3LDK)。
火防のご利益はなさそうですが、学問のご利益はどうなんでしょうか…。
No.63⌒★早大大隈講堂と受験生【新宿区】佐藤功一・大隈庭園・都電荒川線
早稲田大学へ行くときは
東京唯一の路面電車、都電荒川線で行くといいですが、そういえば乗ったことが今までなかったですね。
接続する駅が王子とか大塚とか町屋とか、ほとんど行くことのない駅ばかりの路線なんです。
運賃は全線乗っても、165円というお手頃価格。でもそのせいか、すごく混んでいました。
巣鴨の方を通るからなのか、とりわけ老人がたくさん乗っているような気がします。(そんなわけでいつも席には座れないと思います…)
電車というより、雰囲気はバスですね。
早稲田駅から10分かからないぐらいの、早稲田大学大隈講堂は重要文化財に指定されています。
贅沢にも鉄骨鉄筋コンクリート(SRC)造で、
1927年昭和2年に建てられたロマネスク様式の建物です。
ロマネスク様式は窓が小さめなのが特徴で可愛く感じます。
そもそもロマネスク様式が用いられたのは10世紀ぐらいのことで、
その頃は、異民族の侵入などで建物に防御機能が必要な時代で、建築技術がまだまだ未熟だったせいもあって、小さな窓しか付けられませんでした。
ロマネスク様式の建物は一般的に壁が1mもある分厚いものだそうですが、そうなるとなおさら大きな窓は作れないですね。
↑群馬県庁舎(低い方が佐藤功一氏の設計、高い方は佐藤総合計画)
佐藤功一氏は早稲田大学に今も続く、建築科を創設した方でもあります。
入ろうとすると、入り口に何か書いてあります。
「受験生保護者様控室」(一般の方の御入室はご遠慮ください…)
(゚Д゚;)保護者連れで受験を…
足が不自由だから付き添いだとか、皇族のお方のお受験だから護衛代わりに必要だというわけではなく、
何でもない受験生の保護者が付き添ってくるんですね。(T_T)
受験生が、保護者を連れて来た時点で落第させればいいのに…
大学生にもなろうとしてるのにガキか!と思いますね。(大隈講堂に入れなかったことに対する恨み混じり)
怪しい入り口。
仕方がないので裏へ回って大隈庭園でも散歩していきます。(普段は大隈講堂に入れるのかは、知りません)
水は、濁り、あまりきれいな庭園でもないですが、都心にしてはかなり大きな庭園で、のんびりとできます。向こう側に見えるのは食堂などの棟。
それにしても、立派なカメラを持って写真を撮っている人が多いですね、ここは。
なぜ、たいしてきれいでもないこの庭園に、カメラ愛好家が集まるのか、謎です。
もしかすると、地方から出てきた受験生の連れのお父さんかもしれないですが、まあよく分かりません。
この公園では、
受験生の頭上にはまだサクラは咲いていません。
咲いているのは、梅でした…。
No.62⌒★アマダの伊勢原の城【伊勢原市】フォーラム246
【建築遺産のlog!】第62号
2017年2月20日
アマダは愛甲石田駅すぐ
伊勢原市の愛甲石田駅。
新宿からは快速急行で35分、535円で到着します。
この駅には、アマダという会社の本社があります。
愛甲石田駅からも見える、黒い頂上がブリッジみたいになった建物がアマダの本社ビルです。
あの白い建物の向こうのM字型のビルね。
そのアマダ本社の入り口。
守衛さんが仁王立ちしていて、
入っていいか迷うところですが、おそるおそる入りましょう!(全然入っても大丈夫)
アマダのがいよう
ここはA&A建築研究所というところが設計した建物で、
12階建、延べ床面積20000㎡の巨大な建物です。こんな田舎に…。
Mの字に見える建物ですが、AMADAのMですかね…?(2文字目?)水門にも見えます。
丸い低層の建物がエントランスラウンジ。
ところで、アマダホールディングスはなんの会社かというと、
板金などの金属加工機械や、プレス機、切削機械など、加工用の機械を作っている会社で30か国弱の国外支社もあり、
資本金は547億!売上高2800億(連結)!従業員8000人の隠れた巨大企業です。
創業者の天田勇氏は東京都豊島区で創業しましたが、本社機能をここへ移転してきました。
アマダの板金加工機械は、3DのCADデータを基に、飛行機・車や小さな板金まで多様なものを、プリンターのような機械で作成していきます。
今までよりも時短・人員削減効果が大きい機械なのでまだまだ成長する余地はありそうな会社です。
トラス屋根の入口から入館します。ガラスを見ると鏡面ガラスになってます。
エントランスは大きな吹き抜けになっていて、
天井からはアマダのAのマークが赤い目で見降ろしていました( ノД`)(Mじゃなかったの?)
近くにはホテルのようなカウンターがあって、実際に8階~12階はカラオケラウンジやクラブもある宿泊ゾーンになっています(楽天トラベルには載ってませんでした)。
3階は宴会場。
機械工業ということで、何となく男の城、といった建物なんでしょうか。
建物の反対側にやってきました。
ラウンジがあり、コーヒーを飲むこともできるようですが、オーダー方法がわかりませんでした。
全体的に内装がバブリーです。
とにかく柱も壁も天井も鏡貼りで落ち着きません。
ここの天井にもアマダの赤い目が…( ノД`)
現代美術もたくさん置いてあって、無料美術館のようでもあります。
1階には金属質な外観のレストラン、「レストラン翠溪」があって、
日曜日はビュッフェ、その他の曜日は普通のレストランになります。
この日はビュッフェデー。
立地が悪いのか、特別混み合うこともなく、比較的安い値段で食べることが出来ます。(1620円)
ここのすごいところは、時間前にやってきたのでラウンジで座ってレストランが開くのを待っていたら、わざわざレストランの方がOPENしたことを知らせに来てくれたことです。
何も言わず座っていただけなのに、私服=ビュッフェの人、という図式で呼びに来るようにしているんでしょうか。
レストランがOPENするまでほとんど人がいなかったのに、OPENした途端何人も押し寄せてきました。
そこそこの人気はあるようです。
アマダは現在は業務も好調。
まだまだこのバブリーな建物もしばらくは安泰でしょう。
そんな気がする建物です。