No.60⌒★いわきの古い建物新しい建物【いわき市】
缶コーヒーって毎年、さらにおいしくなって新登場!とか言ってるけど、よくよく考えたら20年ぐらい前とあまり味が変わらない気がしますよね。
同じように、洗濯洗剤も毎年、驚きの白さに!(当社比)とか言ってるけどどこまで白くするんだ!という感じですよね。というか、これまた20年間白さは変わらない気がしますよね。
同じように、コンビニのお弁当がさらにおいしく!とか、緑茶ペットボトルがさらにおいしくなって急須でいれたような味わいに!とか言ってるけどあんまり変わってないですよねえ。
CMって狼少年みたいになってると思うのです。
*.+゚★
いわきへ行くには特急ひたちで向かいます。
磐城国(いわきのくに)へ、常陸国(ひたちのくに)の名を背負った特急で。
前も言ったんですが、なぜ特急いわきとか、特急ときわ(常盤は常陸と磐城の造語)にしなかったんでしょうね。
そして特急ときわは、いわきへは行かないのです(1本を除いて)。
わけが分かりません。
特急ひたちと特急ときわの違いは、その名前と停車駅の違いでしかありません。
硬質な感じの内装と、
このずんぐり頭の車体。
しかし!もうひとつ、特急ひたちは車内販売があり、特急ときわには無いという違いもあります。
上野からいわきまで、車内販売は2往復してくれることでしょう(意外と往復回数は少ないので、軽い気持ちでスルーすると後悔します)。
いわき駅から坂を登って300mほど行った先に、飯野八幡宮があります。
拝殿、と、後方にそびえる異様に高い本殿。
どれも1600年代に建てられた神社のようです。
江戸時代はじまってすぐ、そして磐城平藩がこの近くに拠点を築いた頃ですね。
この地を納める鳥居氏が入って来て、飯野八幡宮だった土地に城が築かれ、代わりにここに新しい飯野八幡宮が築かれました。
徳川幕府になった時に、城と神社が新装されたんですね。
拝殿は建物の大きさにしては大きな唐破風です。
本殿の後ろには長い避雷針が存在感を見せつけています。
本殿はなかなか見ずらいですが、
入母屋造りで、こけら葺きの建物。磐城を代表する神社だけあって、格式のある建物です。
いわき駅からは300~400m南下したところにあるのは、いわき芸術交流館アリオス。
長くて大きな建物で、広い公園に隣接しているのでたくさんの人がいます。
国際建築賞、BCS賞(建築業協会賞)、北米照明学会照明賞ほか、建築関係の賞を総ナメと言っていい建物です!(建築学会賞が無いかな…)
左から、大ホール、ロビー棟、中劇場。
中劇場といいながら、かなりの大きさなのが分かります。
低くて暗いエントランスから、いきなり広くて明るい吹き抜けに出ます。
床材も、壁も天井も、エントランスに比べて明度の高いものを使っています。
光が舞い降りる滝をイメージしてカスケードと名付けられた空間です。
上から「降ってくる」ので、壁は縦張り、縦目地で降り注いでいる感じを出しています。(たぶん)
屏風のような波々の外壁をしているところも…。
近づいてみると、籐編みのような壁になっていました。
遊び心も感じられる建物でした。
号外号⌒★御朱印が勝手に売買されているというお話
御朱印を売買しているのが問題になってるようですね。
ヤフオクのページを見てみると、確かに売ってます。
よくもまあ、こんなにたくさん売る奴がいるもんです。1324件ヒットしました。
安いのは1000円ぐらいで、
高いものになると数万円にもなるんですが、
高いのはやはり限定モノのもう手に入らない御朱印や遠い地域の御朱印ですね。
こないだ見たどこかの記事では信仰としての御朱印なんだからこんな形で売り買いするのはダメだ、と書いてあったけどそれは難しい問題です。
売れるのであれば、やる人はたくさんいると思うし、もはや御朱印集めは信仰を離れて、ただの趣味とかゲームのような性質を持ってしまっているのです(もちろん、一部の人の間では)。
「期間限定」とかの文言で御朱印を出せばそりゃあマニアは集めたがることでしょう。
もはや、
ポケモンスタンプラリーなどと同じく、一種のスタンプラリーと化しているのです(もちろん、一部の人の間では)。
山手線ではよく、子供の代わりにお父さんがポケモンスタンプを集めてる姿を見るじゃないですか?
それは違うだろう、と思って見てるんですが、御朱印の話もそれと近いものはありますね。
欲しい人はとにかく欲しいのです、コレクションとして。
御朱印は「信仰」が関わってる分、ポケモンスタンプラリーより問題は根深いかもしれません。
ぼくは、そんな、人から買った御朱印なんぞ全く要らないですがね…。
御朱印集めは一度やったことがあるんですが、3、4社で断念しました。
御朱印帳が分厚くてかばんに入らないし(カメラ2台、充電器、電子書籍などが所狭しと入っててもう入らない…)、
そもそも社務所が開いてる時間に到着しないことも多いのです…(つω・`。)(信心が足りないのかも)
No.59⌒★東京赤坂乃木神社【東京都港区】
東京都赤坂にある乃木神社。
乃木神社って、京都とか山口とか日本全国にあるようですね。
乃木神社に祀られた乃木希典大将は日露戦争で東郷平八郎と並び英雄とされている一方で、
司馬遼太郎など、軍人を多く死なせた大将として批判的な人もいます。
昨年はとある事件のためにテレビでよく見かけた、この事務所。
左右対称の外観、車から降りて雨に濡れないような配慮もあります。
しかし思ったより小さな建物ですね…。
大きな看板は近くに有り。
乃木會館は主に結婚式場として利用されています。
大江宏氏設計、1968年築の建物。右側の建物も乃木会館の続き。
列柱が並ぶ外観。
気になる結婚式費用は、
50人ほど出席すると、
270万円ほどになるようです!(「みんなのウェディング」による)
1人当たり3万円もらえたとして、3×50=150万円だから270万ー150万=120万円の赤字になります。
みんなのウエディングは、分母としての出席者数が50人だったり100人だったりバラバラなので分かりづらいですが、高い部類であることは確か。
帝国ホテルは65人出席で386万円、明治神宮は30人出席で115万円です。
マンダリン・オリエンタルの656万円というのもあります( 'ω' ;)(86人出席)
ちなみに僕の結婚式費用は、100万円ぐらいだったような気がします。(60~70人出席)みなさんお金出しすぎです。
乃木会館の3つほど隣、ジャニーズ事務所からは5つ隣に乃木神社があります。
入り口の梅は見事に咲きつつありました。
大江新氏の父の大江新太郎氏が設計したという建物はこの手水舎だけになってしまいました(火災のため)。
乃木神社の本殿と拝殿・幣殿は大江宏氏の設計。
宝物殿は大江宏氏の子供の大江新・昭兄弟によって設計されているので、ここは
大江ワールドなのです!
とても美しい内部空間。
結婚式の準備が整った段階の光景のようです。
社殿前では写真を撮られている新郎新婦がいました。
幣殿。
出席者席が周りを取り巻いています。
270万円の中に、ここでの式費用も含まれているんでしょうね…高額なわけもわかります。
境内には旧乃木邸が建っています。
ここの土地は、乃木家の住宅でした。
乃木大将は殉死する朝、おそらくこの家で、夫人と共に胸を張って記念写真を撮り、
その後部屋で切腹し亡くなりました。
日露戦争の采配が失策だったかどうかはともかく、たくさんの人を亡くならせてしまったことを悔いていたようで、戦後、傷病者の見舞いなども欠かしませんでした。
乃木将軍の殉死は単なる殉死ではなく、償いでもあったのです。
半地下の1階は大谷石で、2階が木造。
看板には平屋建、と書いてあるので地下付き平屋なのかもしれません。
拝殿の横には「さざれ石」が置いてあります。
さざれ石(小石)たちは石灰岩などの石灰分を接着剤に、少しずつ大きくなっていつの日か「巌」になっていきます。
まださざれ石と呼ばれているので、これはまだ小石です。
いったいどのぐらいの大きさになったら、晴れて「巌」と言ってくれるんでしょうか…。
乃木大将は巌となりえたのでしょうか…。
No.58⌒★神社パラダイス【静岡市】静岡浅間神社のたくさんの神社
★*.+゚
宇津ノ谷峠を越えて、静岡市まで降りてきました(バスで)。
駿府城の北西の山には、寺社仏閣が密集しています。
ある運勢のサイトによると、北西は金の方位に位置するそうです。
金の方位は仕事運や事業運などが良いでしょうとのこと。
北西の金の方位に良いカラーは、銀、白、グレーだそうです。
(金色じゃないんかい)
まず現れるのは参道を歩いて行った先にある
大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)。
大歳御祖命が御祭神で、農業関連の神様です。
農業は事業運と相性が良さそうですね。よって駿府城の北西のこの場所に建ってるのかもしれません。
高貴な人々が楼門を守っています。二人とも弓遣い。
この神社は最近新装されてピカピカです。本殿も新装。
なかなか変わった橋の掛け方をしています。
階段だけだったところにむりやり橋を架けて、何段か登らずに済むようになっています。
建物は重要文化財。
次の神社は八千戈神社。
御祭神は八千戈命。
名前通りたくさんの矛(戈)を持っているのか、武の神様です。
困難を切り開く、開運の神様でもあるようです。
これも事業を切り開く、北西向きの神様でしょうか。
さっきの大歳御祖神社と同じく、黒と金を基調とした派手な建物です。
八千戈神社は唐破風・千鳥破風・入母屋造り、重要文化財指定です!
江戸時代の末に建造されました。
次はこの急階段を登って行った先にある(下は八千戈神社)、
賤機山古墳(国指定史跡)!
ではなくて、
麓山神社です。
そして、正面写真を撮るのを忘れて側面だけ撮るという…。
それにしても徳川家の建築だけあってどれもこれも極彩色です。
そしてまた重要文化財。
さっきの八千戈神社よりも数十年、古い神社です。(江戸時代後期の建築)
この神社は大山祇命を御祭神とし、衣食住全般を見守ります。
農業の神様とかぶっている部分がありますが、五穀豊穣から林業の繁栄までを願う、「事業」に関係する神様と言えそうです。
そして、門からして美しい静岡浅間神社と神部神社。
神社建築では珍しい高層の神社。
これは拝殿で、後ろに浅間神社と神部神社が並んでいる、珍しい形式。
舞殿から見た拝殿。舞殿も拝殿に比べれば地味なものの、彫刻は美しいです。
御祭神は木之花咲耶姫命(コノハナノサクヤビメ)と大己貴命(おおなむちのみこと)。
実はかぐや姫だという、女神ですね。
安産などの神様。
浅間神社HPによると八千矛神は大己貴命の荒魂という、神の荒々しい側面を現した魂らしいです。
何のことやら分かりませんが、
そのため先ほどとは違って武の神様ではなく、延命長寿などの神様なっています。
どんな時か分かりませんが、荒々しくなると矛を持って敵を薙ぎ倒しに行く、普段は優しい神様なのです。
延命長寿…安産……北西の方角だから事業系の神様を集めたというわけでもなさそうですね。
ともかくこの場所は神社を寄せ集めた神社パラダイスなのです。
No.57⌒★蔦の細道・東海道・宇津ノ谷の旧道の話【藤枝市】
ヤフー知恵袋ってサービスあるじゃないですか。
教えてgooなんていう類似サービスもあって、素晴らしいサービスだと思うんですが、あれに答えてくれる優しい人って一体何者なんですかね。
例えば僕がウルトラマンのことなら任せとけってぐらいウルトラマン専門家だったとしたら、
ただひたすらウルトラマンの投稿が来るのを画面の前で待ってるんでしょうか。
何ももらえないのに。
そんな素晴らしい人がいる、ヤフー知恵袋は不思議だなあ、と思ったんです。
さっき、投稿をずっと見てたんですが、僕が答えられそうな内容のものは、皆無でした…
(。´Д⊂) 。
★*.+゚
旧東海道ができる前までの細い道を
「蔦の細道」
と言って、
宇津ノ谷の峠越えをする険しい道です。
蔦に覆われた細い道のことだと思いますが、
つまり、こういう道のことでしょうか?(参考写真・No.116に出てくる逗子市の道)
マムシが出そうであまり歩きたくない道です。きっと蜂もいますね。イノシシもうろうろしてるかもしれません。蜘蛛の巣にも引っかかります。
そんないやな道ですが、
という在原業平の歌が残っています。
「宇津」と「うつつ」を掛けています。宇津ノ谷で夢にもうつつにも恋のことを考えている、男の歌です。
「からくれなゐにみつくくるとは」の札をバシッと取ってやりましょう!
在原業平は、伊勢物語の主人公と言われる平安時代の人物で、美男子です!
しかし残念ながら和歌以外の才能はない頭の悪い男でした。
蔦の道では狭すぎる、ということで、
小田原攻めに行く豊臣秀吉により、この東海道(旧東海道)が通されました。
蔦のない、当時では広い街道です。
現・東海道は大きなトンネルがある上下2車線の立派な道路(国道1号線)になっています。
トラックがバンバン通っていて排気ガスが臭いので、歩いてだと通りたくありません。
明治時代にはそれらとは別にトンネル(隧道)が掘られました。
つまり、この辺りには蔦の細道、旧東海道、隧道、東海道と贅沢にも4本の道があることになります。
これが隧道の入り口。
ひと気がありませんが、掃除はきっちりとされていて、清潔感があります。
アーチのレンガは4層に施工されています。
内部では強い明かりがついていて、意外と恐くないかも。
それにしてもきれいなトンネルです。
レンガは下段がイギリス積、上段が長手積で積まれている、ツートンのおしゃれなレンガ造隧道でした。
当時としては最先端のこの隧道は、
「日本最初の有料トンネル」
として営業されていたと、藤枝市観光協会のHPには書いてあります。
旧東海道の山道を歩くとすごい山道で大変な思いをすることになるので、有料でも繁盛していたと思います。
藤枝市側には、宇津ノ谷峠超えの安全を祈願する地蔵も並んでいました。
峠超えは命にも関わる、危険なことだったんですね。
300mほど歩いた先にある、静岡市側の出口です。
藤枝市は説明板のみあり、静岡市は説明板に加えて3D地形図まで用意されていて、使われた予算額がまるで違います!
宇津ノ谷の静岡市側にある集落は、瓦屋根のまだまだ古い町並みを残しています。
山の斜面にへばりつくようにある畑は、茶畑。
静岡の山間部の茶畑はすさまじくて、
人力で登れないところは簡易モノレール(?)を設置してあるのはもちろん、数十mの断崖絶壁の際まで茶畑にしているところもありました。
谷に囲まれた集落です。
ここも観光地として期待されているのか、石畳など整備がばっちり進んでいます。
No.56⌒★コンテンツ不足の観光地【藤枝市】大旅籠柏屋、木和田川砂防堰堤のつたの細道公園
西焼津駅→田中城→蓮華寺池→若王子古墳へと登って降りてきてだいたい8㎞ほどの距離になります。
まあまあの距離ですが、山登り(若王子古墳)があるとぐっと疲れますよね。
古墳の山から降りてきて、蓮華寺池の山小屋風のそば屋で月見天ぷらそばを食べ(490円)、
近くの白子商店街からバスに乗り込みました。
30分に1本しか来なかったからその長い長い待ち時間で、甘栄堂のサッカーエース最中を買うことになったわけです。
藤枝市出身のサッカーエースというと、サッカーをあまり知らない僕でも、
…と、そうそうたるメンバーだと分かります。
バス待ちをしている間にも、サッカー部ご一行様の貸し切りバスが通り過ぎていきました。
30分待って、やっとやって来た路線バスに乗って20分ほど行った先は、
岡部宿大旅籠柏屋です。
大旅籠、というだけで柏屋がヒットする、そんな場所です。
1836年頃に建てられた、国登録有形文化財の建物。
最近改修が加えられたようで、新しい建物に見えます。
中では弥次喜多さんが、女中と話をしていますね。
何をしているんでしょうか、足を洗っているように見えます。
この先にある、険しくて有名な宇津ノ谷峠を通って来て、足が疲れてしまったんでしょうか。
隣には岡部宿の本陣の跡地があり、きれいに更地にされていて、昔あった本陣の部屋の名称が記されていました。
この跡地も芝生がきれいで新築のような感じがします。
奥に見える数棟の和食処も、土産屋などの建物も新築。
駐車場も、門も、あれもこれも全部新築。
さっき弥次喜多さんがいた建物内部の梁を見ると、この建物が古いものだということが分かります。
ただ、観光地としてはたいして面白いことはなく、すぐにここを後にしました。
結局、古い建物は1棟だけで、あとは面白みのない観光施設が連なっているだけなのです。
そこからまた30分に1本のバスに乗り込みます(新静岡駅行き)。
宇津の谷峠の「坂下」バス停で下車。
トイレも無い国道のPAみたいなところで降ろされ、そのまま細い道の方に入って行って5分ほど歩きます。
ここには
「つたの細道」公園
という公園が整備されていて、
揺れて少しこわい吊り橋を渡ったり、
この石積みの木和田川砂防堰堤を見て楽しむという、マニアックな公園です。
砂防堰堤自体は有形文化財に登録されていて、
その昔、明治の終わり頃にこの川が決壊したため、当時の政府は段々畑のようにいくつもの砂防堰堤を築きました。
そのためたくさんの堰堤が段々と並んでいます。
最初の堰堤は、兜の形に似ていることから兜堰堤と呼ばれています。
また、石積みはモルタルなどを使わずに積み上げていく空積という手法を取られています!
…などということを楽しむのがこの公園なのです。
さて、そんなマニアックなこの公園は、
駐車場やトイレもばっちりと整備されていて、藤枝市の気合いが伝わってくる公園なんですが、
利用者は1人だけでした…。
大したコンテンツでもない堰堤や本陣跡に必要以上の整備を進めてしまったんですね。
他の都市の砂防堰堤に行ってみると、
だいたいは道なき道のようなところを上った先とか、どこにあるのかも分からないといった、
「観光」としては全く期待されてない地味な存在です。
そんな、砂防堰堤を観光地にしようとする藤枝市は珍しい存在なのです。
公園内には工事の様子や、堰堤の構造などの説明板が立っていて、勉強するためにはとてもいいと思います。
また、子ども連れで来て、探検して帰るのもいいでしょう。
もうすでに整備してしまったんだから、みなさん行ってあげましょう…。
No.55⌒★藤枝市民の憩いの場所蓮華寺池【藤枝市】とその奥の若王子古墳
軍を持たず、交戦権も認めないって…。
もし、これが信長の野望とかだったら、始まってすぐの第1ターンで全隣国が攻めてくると思います。なにせ、軍がいないんだから。
攻めるなら騎馬隊がいいですね。
他国より出し抜けて城を落とさないといけません。
その後は支配するも良し、略奪するも良し、皆殺しにするも良し、やりたい放題です。
そんな、やばい国に我々は住んでいるわけですね…(T_T)
田中城から北上します。
すでに徒歩数キロ歩いてるので、疲れを感じはじめました。
近くには、前川國男氏設計の藤枝市岡出山図書館などというものもあります。
が、たいして見るべきものはなさそうですね…。
なぜか屋上への登り口は塞がれています。
図書館機能としても、昔ながらの狭い、かび臭い、暗い図書館という感じです。
不要な間仕切りなんかもあって、
いくら有名建築家の建物とはいえ、壊して新しい図書館にしたくなります。
その、さらに北には。
蓮華寺池という池があります。
駐車場には広いスタバもあり、第一駐車場も第二駐車場も満車。
ここは、それはそれはもうたくさんの藤枝市民でにぎわっています。
藤枝市民に子供の頃の思い出を聞くと、3位以内には必ずランキングされるであろう、蓮華寺池。
写真の口ばしが白い、黒い水鳥はオオバンです。
口ばしから頭の先まで白いことから、英語圏ではハゲの代名詞のように使うこともあるそうで、
Wikipedia大先生によると、「上嘴から額にかけて白い肉質(額板)で覆われる。」
とあるので、やっぱり禿げてるんですねー
ここには、そんなオオバン他数種類の水鳥がいて、
水鳥写真家も池の周りに多数陣取っていてじっと動かずにカメラを構えてました。
蓮華寺池の後ろにある山道を登って行きます。
舗装されたアスファルト道路ですが、
時たま隠し階段があるのでそこを登ると近道になります。
気付かずに登ると数倍の長さの道を歩かされることでしょう。
水道管だけで立っている水道。足元が腐食しています。
1㎞ぐらい登ると、頂上です。
南の駿河湾から、北東の富士山まで、とてもいい眺めです!
頂上は史跡の若王子古墳と呼ばれ、20以上の墳墓がずらっと並んでいました。
昔の首長はこういう、眺めのいい場所に墓をつくることも多いですね。
ずらっと並ぶ古墳。左の窪みが22号墳かな?
奥が2号墳。その奥が23号墳。(たぶん)
手前から4号墳、5号墳、24号墳。左奥に8号墳、9号墳(たぶん)
時代としては5世紀から6世紀と推定される、一般的な古墳時代です。
富士山は、山と山の間に顔をのぞかせています。
この辺りでは富士山を一番良く眺められる場所かもしれません。
その地を、昔の首長たちは永遠に眠る場として選んだのです。
富士山を独占する、山の頂に。